イリスの色いろのお話

イリスのエレガンス★コミュニケーション blog
色彩・着物・ファッション・アート

加山又造展

2009-02-22 23:19:43 | 観劇・アート
新国立美術館の「加山又造展」へ行きました。

日曜日ということもあり、混んでいました。
美術館の人気企画ものに来るたびに、
日本人て美術が好きなのだな~と思います。

印象的なのは、桜とかがり火の描かれた屏風絵と、
枝垂れ桜の屏風絵、
モダンな裸婦像の「はなふぶき」、
そして、
萩のアームリング。

もともと、加山又造は、和装図案化の息子であったそうで、
着物も何点かありました。

麻の藍染めは蔦文様の色合いも涼しく、
桜文様の訪問着は可憐。
銀の摺箔の訪問着や、
黒い打ち掛けも存在感がありました。

どれも、上質な空気感を漂わせていましたね。

ひとつ、ひとつ、
これには、どんな帯がいいかな、
などと着上がった姿を空想しながら見ました。

着物は人がまとって完成する芸術品。
着た人の心をも変える影響力があります。

この着物は、私には似合わないな、とか、
これを着たらどんな気持ちになるかしら、
などと夢想しながら見て廻るのが、とても楽しくて、
しばらく余韻に浸っていました。

この他に、「不二」と題された富士山の掛け軸や、
紅葉柄のデミタスカップも素敵で、
着物も含めて、いずれも個人蔵となっていまして、
なんともうらやましいこと・・・

加山又造は、琳派の流れを汲みますが、
単なる写しではなく、
「断絶」することから本質をえぐり出すことのできた人。

月と、波と、雪月花。

私の和心が踊る、豊かなひとときでした。






天の上をめざして・・・

2009-02-17 22:04:36 | Weblog
小西浩文さんの講演会へ行ってまいりました。

http://project-yoshi.com/konishi/

この講演会の企画運営を行なったのが、私の友人だったからでもあり、
また、小西さんのお噂は以前から聞いていました。
無酸素で、標高8000メートルの山に登頂する、トップクライマー。

「男の中の男」

そんな男性に、会いたくないはずはありませんよね。

実際、お話を聴いてみて、まさに、「本物」 でした。
「剛」と「柔」をバランスよくお持ちだな、と感じました。

小西さんに関する映像やスライドを見せていただき、質疑応答がなされました。

トレーニング時間について質問が出た時、
小西さんは、「基本的に24時間」とお答えになりました。

身体を鍛えるための腹筋などは2時間程度でも、
起こること全てがトレーニングだと。
とくに、感情のコントロールをすることを忘れない、と仰る。
それができなければ、山ではすぐ「死」が待っている。
肉体は分かりやすいが、心はわかりにくいから、と。

「感情のコントロール」

この必要性は、成功哲学の世界では、どのコーチも口を揃えていることです。
小西さんは、登山という、
「生」と「死」の隣り合わせの世界で、その必要性を否応なく感じたのでしょう。

「絶対に、五体満足で、生きて帰る」
ことを再優先とする決断が、運をもつけて、
これまで何度も死んでもおかしくない場から生還されてきました。

また、小西さんが、人をみるときは、
人のもつ気とかエネルギーだとか、雰囲気だとか、顔つきだとか、
そういうものからわかるとおっしゃいました。
信用できる人かどうか、
それが分かる為には、自分がまっさらでないといけない、とも。


私が特に印象的だったのは、
亡くなられた小西さんの奥様が、生前、小西さんに言た言葉。

「たとえ世界中の人があなたの敵となったとしても、私はあなたを信じる」

小西さんは、この無条件の愛によって、どれだけ支えられているか、
勇気をもたらしているか、とお話になりました。

実は、以前、私も全く同じ事を伝えたい、と思ったことがあります。

それは、もし、私に子どもが産まれたら、、、と夢想していたとき、ふと思ったのです。
私は その子に全く同じことを伝えたい、と思いました。
たった一人でも、無条件で100%信じきってくれる人がいたら、
その子は立派に生き抜くだろう、と思ったから。
母として、我が子に贈ることができるのは、それしかない、と思ったから。
(誤解を招くといけませんが、私は妊娠していたわけではありません)

小西さんのお話で、そのことを思い出しました。
そして、その言葉をご主人に対して贈った奥様は、
なんて素敵な女性だろうと、感慨深いものがありました。

たった2時間でしたが、本物にふれ、
一番大切なものを思い出させてくれる、貴重な時でした。





禅 ZEN

2009-02-04 18:56:25 | 観劇・アート
映画「禅 ZEN」を観ました。

道元禅師の和歌

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり」

にあるように、あるがままを、あるがままに受け入れること。
そんな風に、なれたら、、、と思いつつ観ました。

映画の中で、「悟りとは?」と問われた道元禅師は、

「只管打坐(しかんたざ)、ただひたすらに坐ることです」
と答えます。

中村勘太郎さんの、座禅を組んでいる後ろ姿が美しかった。


私は座禅はしたことがありませんが、
気功の修練中、ただ立っているだけで、ただ座っているだけで、
至福の感情になったことが何度かあります。


映画を観て、中国での気功研修で、
達磨が9年間座り続けたという洞窟に行ったことを思い出しました。
山に897段の階段があり、頂上に、達磨堂があります。
弟子は毎朝食事を届けたそうです。

さて、座り続けた達磨の心境はどのようなものだったでしょう?

私は、きっと素晴らしい心地よさから、
座禅を止められなかったのではないかな、と勝手に思っていました。
だって、現実の世界の方が大変ですもの。

悟りの境地に入ると、大量の脳内物質ドーパミン?が放出されるそうで、
脳機能学者の苫米地博士も講演会で、同じような事を仰っていました。

もちろん、座禅は正しい指導者の元で行うとよいのでしょう。
私も一人で家で座っているのと、
師のもとで行うのは全くレベルが違いますから。

さあ、レッツ座禅?!