銀座の松屋で行われている白洲正子と次郎の展示へ行ってきました。
お二人の暮らした鶴川の武相荘のお部屋の再現や、
食器、衣服、美術品などを見ることができました。
白洲正子さんは、私にとって憧れの人です。
独自の磨かれた審美眼をお持ちで、生き方が美しい。
学習院時代14歳で、能「土蜘蛛」を舞い納めていたりする写真をみるにつけ、
ああ、育ちが違う、と感慨深いものがありました。
銀座にお店をもち、目利きにかなった骨董や美術品を紹介していましたが、
そのお店を始めたのが、正子さんが今の私と同じ年のことでした。
そして、夫である次郎氏とのパートナーシップも憧れの一つ。
次郎氏は、吉田首相の側近としてGHQと折衝したことでも知られています。
当時の日本において、彼ほど海外に対して交渉力のある人はまずいなかったと思われます。
次郎氏は、イギリスのカントリージェントルマンな暮らしを実践。
信条は「プリンシパル」。
日本語でいうと、「筋の通った」ことになるようで、
曖昧を好む風潮にいつも喝をいれていたとか。
家族に宛てた、手書きの遺書がありました。
「葬式無用 戒名不要」
とだけありました。
潔いその言葉。どこまでもかっこよすぎます。
お二人の暮らした鶴川の武相荘のお部屋の再現や、
食器、衣服、美術品などを見ることができました。
白洲正子さんは、私にとって憧れの人です。
独自の磨かれた審美眼をお持ちで、生き方が美しい。
学習院時代14歳で、能「土蜘蛛」を舞い納めていたりする写真をみるにつけ、
ああ、育ちが違う、と感慨深いものがありました。
銀座にお店をもち、目利きにかなった骨董や美術品を紹介していましたが、
そのお店を始めたのが、正子さんが今の私と同じ年のことでした。
そして、夫である次郎氏とのパートナーシップも憧れの一つ。
次郎氏は、吉田首相の側近としてGHQと折衝したことでも知られています。
当時の日本において、彼ほど海外に対して交渉力のある人はまずいなかったと思われます。
次郎氏は、イギリスのカントリージェントルマンな暮らしを実践。
信条は「プリンシパル」。
日本語でいうと、「筋の通った」ことになるようで、
曖昧を好む風潮にいつも喝をいれていたとか。
家族に宛てた、手書きの遺書がありました。
「葬式無用 戒名不要」
とだけありました。
潔いその言葉。どこまでもかっこよすぎます。