イリスの色いろのお話

イリスのエレガンス★コミュニケーション blog
色彩・着物・ファッション・アート

「着付けのおばちゃん」と呼ばれたくない、呼ばせない!

2012-04-21 21:30:59 | ファッション
「着付けのおばちゃん」と呼ばれたくない、呼ばせない!


このたび、プロ着付けレッスン講師をすることになり、打ち合わせへ。

アントワープブライダル

社長も着付師の会社です。

「●○着付け学院で講師をしていました」
という人でも、
技術チェックをパスしてすぐ現場に出せる人は少ないのが現実。

ここはプロの着付師を育てる場として特化していますので、
誰でも入学させるわけではありません。

着付師は、お客様の特別な日、晴れの装いのお手伝いをする一員。
ヘアメイクさんと共に美を創造する意識と、
サービス業としての接客マナー、
第一にプロとしての印象が大事だと話が盛り上がりました。


「着付けのおばちゃん」
と呼ばれたくない、呼ばせない!
で、ヒートアップした会談となりました。


写真はサロンにいた社長の愛犬・ヒメコとキスケ。
カワイイでしょ♡手触り抜群の毛並みです!

遊んでほしそうだったけど、ごめんね~。また今度ね!

いまどきの女子。クラスもいろいろ。

2012-04-18 21:06:13 | ファッション
カラーコーディネートを教えている短大の駐車場は、
桜の花びらが散って、うっすらピンクの絨毯になっています。

ここ、高崎は、なんだかのんびりとした空気が流れています。
山が見えて、畑も点在する中に校舎はあります。
毎週、小旅行気分です。

先週のオリエンテーションから、今日は第2回目の授業。

専攻ごとに、クラスの雰囲気が全く異なるのがおもしろい。

「ホテル・観光」コースは、
フレンドリーで反応が早く、双方向の授業が成り立りますが、

「医療事務」コースは、
大人しくて表現も控えめなので、
最初は、「つまらないのかな・・・」と焦りました。

でも、勉強する姿勢はもっともあり、
とてもシャイなタイプの子が多いことがわかってからは、
こちらもそれに合った対応に変えました。

「ファッション・ビューティ」コースは、波があり、
ちょっと興味なくすともう、
寝ちゃう子とか、内職する子がでてきます。

今日も携帯を預からせてもらいましたが、
こちらが「ちゃんと見てるよ~。やるのよ!」
とあきらめずにサインを送り続けると、
段々とこちらに向いてくれます。

なんだかんだいって、皆、それぞれかわいいです。
多様な学生にもまれることで、私も成長できますもの。

さて、学校側は、なるべく多くの学生達に色彩検定受験を勧めていまして、
私の授業内容もそれに見合ったものになります。

私としては、
「楽しく学んで、ついでに受けたら合格しました!」
というのが理想です、、、。

なので、試験には出ないけど、
ちょっとおもしろいかな、と思う色の話も織り交ぜつつ、
大学からのミッションも果たしましょう、
という感じです。

平和讃歌と歌姫・新南田ゆりさん

2012-04-09 19:48:59 | ファッション
4月8日、お釈迦様の誕生日。
王子のさくらホールにて行われた【オーケストラで歌う 二つの平和讃歌】に、

中学の同級生・新南田(旧姓・笠原)ゆりさんが、
ソリストとして出演されました。

第1部のカンタータ「この灯を永遠に」は、作曲家・安藤由布樹先生によるもの。

故・山本達雄さんが、広島から星野村に原爆の火を持ち帰り、
原爆で亡くなられた多くの人々の供養と恨みの火として、
密かに灯し続けられていた物語。

昭和43年からは星野村役場が永遠の平和への道標として守る事になり、
その火は全国各地に分火されています。

おじいちゃん(山本達雄)が、
孫に原爆のむごさを語る形式で物語は進行します。
話を聴いて、「アメリカをやっつけよう!」
と泣きじゃくる孫達に、
「恨んじゃいけない。その報いはまた、子どもや孫が受けることになる」

主人公・達雄の祖母役が、同級生のゆりさん。
重いテーマですが、
彼女が歌うとぱっと和み、優しい空気に変わります。

役どころから、着物で舞台に立つ事になり、
彼女はご自分のお母様の着物で登場しました。

その着物は、やはり同級生の営む呉服屋・「つむぎや」さんで求めたものでした。
「つむぎや」さんの先代の女将さんは、すでにお亡くなりになっていますが、
ご自分のコーディネートした着物がオペラの衣装になるとは、
思いもよらなかったでしょう。

ゆりさんからご招待を受けた、
現社長の同級生N君は、この日のために羽織を新調。

「着物を来てオペラに行こう」と、N君に誘われた私も、
「つむぎや」さんで求めた有職文様の訪問着、最も好きな一枚です。

ゆりさんと私は、中学一年の時同じクラス、仲良しグループの一員でした。
私の彼女の印象は、「利発で、ぴかぴか☆」な感じ。
他のお友達にはない魅力をもっていました。

ゆりさんが、お姫様のようなドレス姿で、
芸大のオーケストラをバックにピアノを弾いたのを、
上野の文化会館へ聴きに行ったことを、今でも鮮明に覚えています。

ですから、音楽で身を立てられたことには何の不思議もありません。

でも、HPで彼女のプロフィールを読み、びっくりしました。
ご家庭の事情で、ご本人は音大の進学は考えていなかったけれど、
周りのススメで受験を決め、独学で桐朋音大へ入学、とありました。

ゆりさんのご自宅にも遊びに行き、上品で優しいお母様に接し、
「ああ、ゆりちゃんて、なんて愛されているんだろう」
と、私は子どもながらに感じたものです。

その後、お父様がお倒れになり、
彼女が家事全般を引き受けながら高校生活を送っていたなどとは、
思いもよりませんでした。

そうはいっても、やはり本当に才能ある人を、
周りはほっとくわけないですね。
いつも誰かの後押しや応援があり、
ご本人も、ひた向きに努力してこられたのですね。


時を経て、歌姫として舞台に立つゆりさんは、
あいも変わらずきらきらと輝いていました。


このオーケストラのコンサートマスターのヴァイオリンは、
かの陸前高田の流木から創られたものだそう。
順次、被災者支援のために演奏される、第一番目でもありました。

いろんな意味で、意義深いプログラムを聴きにこられたのも、
着物がとりもつご縁でした。感謝。