予てより入院していた友人がまた一段と厳しい状態になった。
脳を患うと、“飲み物か空気かを判断して開閉する弁”の働きに異常を来たし、飲み物が呼吸器の方へ入ってしまうことがある。これを防ぐには水をそのまま飲まず、“粘度”をもたせて葛湯のような状態にして飲めばいいのだそうだ。
だが彼は、先日私が行った時にも看護婦の勧める飲み物を嫌がり、「普通の水を飲みたい」と駄々をこねていた。そうしたことも一因なのかも知れない。遂に飲み物が呼吸器へ入ってしまったらしい。
医者の話によれば、衰弱も激しく危険な状態にあるそうだ。奥さんは医者から「生命維持装置」を取り付けるかどうかの決断を迫られたようだが、彼の子供たちの意見は「散々頑張ったんだ。これ以上はもう・・・」であり、奥さんは戸惑っているようだ。
もし私自身の立場なら付けてもらいたくない。回復する見込みもないのに、女房にこれ以上の負担を掛けたくない。この点に関しては他の友人とも意見が一致した。
脳を患うと、“飲み物か空気かを判断して開閉する弁”の働きに異常を来たし、飲み物が呼吸器の方へ入ってしまうことがある。これを防ぐには水をそのまま飲まず、“粘度”をもたせて葛湯のような状態にして飲めばいいのだそうだ。
だが彼は、先日私が行った時にも看護婦の勧める飲み物を嫌がり、「普通の水を飲みたい」と駄々をこねていた。そうしたことも一因なのかも知れない。遂に飲み物が呼吸器へ入ってしまったらしい。
医者の話によれば、衰弱も激しく危険な状態にあるそうだ。奥さんは医者から「生命維持装置」を取り付けるかどうかの決断を迫られたようだが、彼の子供たちの意見は「散々頑張ったんだ。これ以上はもう・・・」であり、奥さんは戸惑っているようだ。
もし私自身の立場なら付けてもらいたくない。回復する見込みもないのに、女房にこれ以上の負担を掛けたくない。この点に関しては他の友人とも意見が一致した。
そうですね。でも、そうした気持ちで取り付けた装置は途中で取り外すことは叶わぬようで、長期に亘り、家族に大きな負担をもたらす場合もあるようですね
生命維持装置による延命治療
考えものですね。
でも愛する人にとっては一分一秒でも
頑張って欲しいというのも理解できます。
自分にとっては維持装置は付けて欲しくないですが。
命、考えさせられます。
だから“ポックリ寺”へ行く人も多いのでしょう。
でも、 いざお参りに行くと自分のことは止め、相手のことを拝む人もいるとか。
二人で話し合って
治療はしても延命処置は望まない~
(回復の見込みがあれば別ですが~)