inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

古希同窓会 in 平戸

2017-11-26 21:11:49 | 平戸

猶興館高校を卒業して52年・・・・・半世紀を過ごして、集まった同窓生は100名余。大々的な同窓会は、これが最後になるかもしれない・・・・・との思いを秘めて、平戸に戻った私も世話人に名を連ねました。物故者が44名。個人情報に厳しい現代社会は、一方で住所が分からなくなった同窓生を探すのにも厳しい・・・・・大変です。同じ苗字の電話番号にかけまくれば、なにがしかの繋がりのある人に行き会うかもしれない・・・・・?????と思って挑戦してみたり。その友人のお父さんの会社の人事課に電話してみたり。まあ、この徒労も思い出の中に納まりました。

大盛会でした。恩師の先生方も参加してくださいました。受付では恩師やら同窓生やら・・・・・年が近くなって(?)間違ったり!!!!!平戸は何しろ西の涯なので、1泊同窓会にしてゆっくり楽しく過ごしました。翌日は希望者だけによる『ジャパネットたかた』見学会。創業者の高田明氏は同窓生です。高田さんはユニークなトーク販売の先駆者で有名ですが、私を含めて多くの同窓生が知らない卒業後の高田さんが磨いてきた人生の一部を見せてもらいました。放送の現場も見せてもらって、大変勉強になりました。宣伝するつもりはないのですが、高田さんの誠実さが会社の色になっていると思いました。(どうぞ安心してお求めください。)

 

同窓会の記事を書こうと思いながら、『青虫』に心を惹かれて観察しているうちに、延び延びにしていました。そしたら今日、確か駅伝があるはず・・・・・とテレビの番組表を見ていたところ、そこに見つけたのが、『最後の同窓会』・・・・・題名に惹かれて見てしまいました。なかなか面白い映画でしたよ。私たちより若い定年位の年代設定でしたが、互いに出会って訳もなく笑いあったり、変わらないと言いあったり・・・・・。妙に共感のある番組でした。また『死』という解決のつきにくい問題を引きずっている年代の映画でもありましたが、『死』を思考の外に追いやり否定的なとらえ方しか出来ない・・・・・難しいことなのでしょうが、人間の生涯に必ずある『死』というものを、もっと違った捉え方で描いた映画があっても良いのではないかとも思いました。

 

そして一つ私の中ではっきりしたこと・・・・・『歳をとる』ということと『年をとる』ということの違い・・・・・『歳』と『年』は違うということ。『歳』は人の時間(生命)の問題で、『年』は地球の公転の回数。公転の回数に関しては、同年生はみな同じ・・・・・動植物についても同じです。しかし人間や動物の健康状態、植物の育ち方にはかなりの個別差があります。これは大雑把に言えば、環境条件の差によるものです。その差のことを『歳』ということに気が付きました。これも『カタカムナ』による理解ですが、『トシ』とは『トキのシ』で、『トキ』とは『生命力の新生』で『シ』は『それが見えている』こと・・・・・つまり『量』があるから見えている私たちの『生命力』です。今回の結論は、『歳』は個々人が持っている生命力の量に関係しており、『年』は地球の公転回数だということです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする