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天照大神は織姫様!!!???

2016-07-02 10:10:46 | 日本語・古事記・歴史・日本人

もうすぐ七夕まつり・・・・・私が日本の古代に入り込む直接のきっかけが母方の伯父から教わった七夕飾りの吹き流しに書く言葉・・・・・(何度か書きましたが、)・・・・・七夕紙を切って人形や天の川、輪つなぎや一番上につける吹き流しを長く貼り付けて・・・・・そこに伯父が来て言いました。

          豊 宮 日 七 夕 織 姫 大 明 神

         (とよみやひたなばたおりひめだいみょうじん

 

それを聞いたときは、??????・・・・・・??????、というのが正直なところで『え!!!』って思ったばかりで、何に疑問を感じたのかも明確でなく、ただ古事記に関する疑問の始まりで『もやもや』世界に本格的に足を踏み入れたというのが正直なところです。これは40年以上も後になって川崎真治先生のご本によって』なる文字の意味を知るまで解決しませんでした。

 

 

 

高天原の機屋(はたや)・・・・・これは天照大神(アマテラスオオミカミ)が主宰なさる作業場です。天照大神は機織りを仕事になさっておられる・・・・・このことをよくよく考えてみると、七夕の織姫様ということになります。そして七夕の織姫様こそが東洋に君臨する天帝の娘で、後に侵入してくる各民族の統治の正統性の象徴です。(これについては、ブログ内の≪随想古事記≫を読んでいただけると嬉しく思います。)

天帝一族・・・・・つまり、人類発祥のアフリカを出て海沿いにインドを経てインドシナをめぐり北上、大体三万年前ごろ極東地域へ辿り着き最初に内陸に植民した現生人類一族です。この海沿いの一族はずっと蛇をトーテムとしていましたが、内陸に入って鳥をトーテムとする一族に、いわば、分家しました。そしてこの鳥族に初めて王権(統治力)が誕生したのです。海はあまりにも流動性が高く応用力がありすぎたので、蛇族には国家の誕生が遅れたのではないかと思います。鳥族の王権の象徴は『鳳凰』で、本家蛇族の王者『竜』を併用したのも、蛇を天空に飛ばしたのでは?????と思います。

この子孫国家が殷だと川崎先生はおっしゃっていますが、そのずっと前にアフリカを出たときに分かれた牛族が内陸伝いに中国大陸へとたどり着きました。その名残が女媧伏羲(じょかふっぎ)です。女媧が天帝の娘で織姫様、伏羲が牛族の王で牛飼い・・・・・恒例の融和政策・結婚によって乗っ取りが行われます。つまりこのとき『男系』による世代交代が取り決められるのだと思います。名前は織姫様の国ですが、王権は彦星が持っている・・・・・『殷』の前は『夏』だといわれています。どういう風な形で存在したのか、交代したのか、はっきりとはわかりません。その前に三皇五帝・・・・・三皇が天帝を引き継ぐ女媧・伏羲と神農、三皇を引き継ぐ五代の帝王に黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・嚳(こく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)がおり(これについては各論あり)、その次の禹が夏の始祖です。次に夏を討って湯が殷を建てます。

 

こういう伝説は作り話だとされてきましたが、近年になってあったかもしれないと言われるようになっています。≪随想古事記≫では川崎先生の説に従って三皇五帝のご紹介をしましたが、中国大陸では天帝を引き継ぐ女媧までは鳥族王権(2万年くらい続いたはずです)、伏羲とその子神農から夏までは鳥族王権の仮面(鳳凰と竜)を被った牛族王権、殷が取り戻して鳥族王権になった・・・・・?????(のではと、最近思っています。)でもまた牛族の周に討たれて・・・・・以後中国大陸は牛族・犬族・馬族の王権が交替することになります。周王朝が中国大陸の憧れとなり、周礼が規範となり、孔子様も周の王道政治を説かれ・・・・・身近くわが母校猶興館もその校是に『文王(周の王様です)無しといえども猶興る』・・・・・それでも王権のシンボル鳳凰と竜は引き継がれました。

では殷はどうなったのか・・・・・落人となって・・・・・大陸ではチュルク系になり、朝鮮半島に至らんとする地方で後に扶余・高句麗となった古代朝鮮と、朝鮮半島を経て極東の果て高千穂に天下りした後に言う邪馬台国・・・・・・になったと思います。その証拠は『女神』です。西王母と天帝の娘と天照大神・・・・・・王は牛だったり犬だったりしても鳥族の王の母が最高位にいて鳥族の王統・由緒正しい天帝の王統であることの証だと思います。

 

織姫様の天照大神と牛族の彦星スサノオとの誓約(うけい)で生まれたご長男オシホミミノミコト、そのお后様のお名前はタクハタチチヒメといいます。思いがけず一宮にいるとき親しくお目にかかりました・・・・・と言いたいところですが、本当のところは織物の町一宮のいたるところで織物の神様としてお祭りしてありました。尾張一宮の真清田神社にもご祭神ホアカリノミコトの母君として境内にある服部(はとり・はっとり・・・・・はたおり)神社にお祭りしてあります。ここにも織姫様がいました。タクハタチチヒメの別名はヨロズハタトヨアキツヒメ・・・・・『タク』はこうぞのことですが、『トヨ』との関連を思いながら、織姫様にふさわしいお名前の『歴史は繰り返す物語』をかみしめています。その王子(つまり天照大神の孫)ニニギノミコトの王統が今日の日本に続いています。私達のアイデンティティは少なくとも世界最古の一つです。天を仰いで織姫様をしのびながら、七夕の夜をお過ごしください。今日はこれまで・・・・・いつか続きを書きたいと思います。興味がおありの方はご意見をください。


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