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随想古事記Ⅲ・大和の心4

2012-11-02 10:14:15 | 父の背負子1(随想古事記)
日本人が守って来たもの(2-1)

オリンピックの開会式の入場行進が好きになりました。楽しそうなその顔に輝く真剣で誇らしげな目が好きです。あんなにたくさんの国があるのかとも思います。それぞれの国は現代を同じように生きているけれども、歴史をアイデンティティとして、国の性質、つまり国柄というものを持って実際は別々に生きていることを強く感じます。

今私達が普通に『国』と言っているものは、植物に例えるなら、木の幹や葉の顕微鏡サンプルの『切片』のようなものです。そのサンプルの中には昨日芽吹いたような国もあるし、根を張って長い年月を過ごした国もあります。それで本当の国というものは、誕生からの歴史の全てだと思います。私達一人一人自分と思っているものが瞬間の私ではなく、何十年かの寿命を持っている私であるのと同じです。また親が子を育んできたように時代時代の人が布を織りなして図柄を決めてきた国柄が歴史です。私達は国の一部で、歴史の一部です。今在ることがいつか過去に在ったことになります。祖先と自分は一体で、どちらかが欠けることはあり得ません。自分を憎むことも歴史を憎むことも出来ません。国を憎むことは自分を憎むことと同じです。私達はそこに生えた草なので、その根元の土を憎むことは生きることを否定することです。私達は自分を愛するように国を愛するしかないのです。それが自然の掟で、そこに生えること以外に選択肢はありません。

現代人は文明社会に住んでいるので、既成観念で自分を呪縛していることもあります。そんな呪縛から解放されないとなかなか方向を見つけられません。そんな時は、ともかく両親を懐かしく思いだす気持と同じ気持ちで自分と自分の国を思うことです。それが出発点です。たとえ両親がその時代の思考の基準から、或いは美や価値の基準から離れていても、そんな事はどうでもよいことです。自分の大切な両親であることに違いはありません。両親が間違ったことをしたとしても、それがどんな状況下で起こったことかを、愛情を持って検証するのです。必ず同感するものがある筈です。あるいはまた濡れ衣かもしれません。あるいはもっと極悪非道で、到底許容できないかもしれません。でも私達はその続きを生きなければなりません。それが自分を愛し、両親を愛し、国を愛するということです。そして忘れてはならない事は、どの国も他国を責められないということです。そしてまたどの国からも責められてはならないということです。それが本当の強さだと思いますし、それが『切片』としての心構えであり義務だと思います。国は謝ることは出来ないのです。その覚悟が国を愛する心です。そして他国に謝罪を求めてもいけません。もともとそんなことは不可能な事で、謝罪という行為は個人レベルの了見による自己欺瞞に過ぎません。他国に謝罪したり謝罪を求めたりすることは、本当は正直の仮面をかぶった偽善なのです。よく考えればそれが不可能な事だと分かる筈です。


国のアイデンティティが歴史だと言いました。私達の日本が国としてとして二千年近い歴史を持っていることは誰も否定しないだろうと思います。明治の元勲達は二千六百年だと言いました。ローマ人達はローマを紀元前七百六十年頃建国したと言っていました。帝政と共和制を繰り返しましたがローマ人の性質、つまり国柄が受け継がれたのは西ローマ帝国の滅亡までだと思います。その間約千二百年ローマは続きました。現在はありません。今はイタリア半島にイタリアはありますが、ローマとは違いますし国語も違います。

近くの中国大陸では、現在確認されている最初の王朝が殷王朝です。紀元前千五百年ごろ興り、約五百年続きました。その次に起こった国が周で、およそ紀元前十世紀から三百年間君臨し、春秋戦国時代を含めると紀元前三世紀までの七百年間王室としての権威が一応存続します。その次が秦王朝です。秦は知らなくても、始皇帝と万里の長城は有名です。春秋時代に建国されはしましたが、中国大陸の統一王朝としては始皇帝の紀元前二百年頃から僅か二十年です。それから漢の時代が前漢建国から西暦紀元をはさんで後漢滅亡までとして、四百五十年です。それから日本人になじみの深い『曹操・劉備・孫権』の三国時代が五十年、晋が国を興しますが群雄割拠は続いて、南北朝の時代になり、六世紀後期に隋が統一するまで中原に確立した統一王朝はありません。その隋も三十年ほどで唐に滅ばされ、唐の時代が三百年ほど続きます。その後また分裂時代を経て宋が起こり、北宋が二百年、南宋が百五十年、元の世界帝国に変わります。大繁栄を謳歌した元も約百年、明が起こって三百年、北狄女真族の清が起こって三百年、十九世紀末から二十世紀、清はヨーロッパの侵攻にさらされます。私達日本の江戸時代末期から明治時代に当たります。現代の中華人民共和国は1949年の建国で国令六十三歳です。

長々と並べましたが、中国の歴史と言っても中国の人々は、自分と同じ民族、あるいは同じ国民の歴史と心情的に感じているかどうかは疑問です。それでことさらに自然な愛国心を利用して四千年の誇りを箍(たが)にしなければなりません。イタリア人がローマを自分たちの歴史とは思っても、イタリア人はローマ人ではありません。それと同じように中国人は周王朝人ではないのです。清王朝人だと言う人はいるかもしれません。でも中国の人達は漢民族だと称しています。漢民族の王朝は、前漢・後漢、劉備の蜀、明の三時代しかありません。

私達に地理的にもっと近い朝鮮半島は私達の日本と同じように魏以前の歴史は文書として残されていません。ですが私達に神話があるように、朝鮮半島の人々にも神話と伝説があります。先史時代は中国の殷によって終止符を打たれ、殷の周囲から波が伝わるように文字が普及しました。それで朝鮮が歴史に登場するのは朝鮮半島ではなく、朝鮮北部、つまり中国大陸の北部、北方と称される中国の王朝にとって異民族の住む地域からです。衛氏朝鮮、箕子朝鮮、漢の四郡、扶余、高句麗です。魏志に卑弥呼(邪馬台国)の記事が出る頃、南朝鮮は三韓時代(馬韓・辰韓・弁韓)です。三韓は北の高句麗と対峙します。高句麗は現代の北朝鮮から満州を含む大帝国です。三韓のひとつ辰韓に王朝を築いた新羅が、中国大陸の大帝国唐と結んで高句麗と百済を滅ぼし朝鮮半島を統一するのが紀元七世紀の末で、ほぼ現代の南北朝鮮領域です。高句麗の広大な領地は唐が制圧しようとするのですが、そこに渤海というマッカツ人の国が起こって高句麗の後裔を名乗ります。朝鮮半島では十世紀に新羅が王建の高麗に滅ぼされるまで約六百年続きます。高麗が李氏朝鮮まで約五百年、李氏朝鮮が日本に併合されるまで五百年余です。この日韓併合は日露戦争の結果です。

朝鮮国内は日露戦争前、日本と心を同じくして極東をアジア人で守るべきか、ロシアの庇護のもとに朝鮮半島を守るべきかの二派に分かれていました。朝鮮半島はその地政学上大陸の力にいつも曝されて生きてきました。当然一国独立の希望はあったのですが、漢から始まった郡制以来真の意味で独立したことはありません。王は中国皇帝に冊封され内政を干渉し続けられました。隣国を牽制するのに中国大陸の王朝を利用したことにも原因があります。高句麗でさえ漢や唐の外交的屈辱に耐えたこともあります。無理もないことで地理的条件が国の命運を左右するのです。近代を迎えた十九世紀アジアの眠れる獅子()とヨーロッパから呼ばれた清帝国の弱体化で朝鮮はロシアの手が伸びていました。日本もロシアを恐れて、朝鮮の立場を危惧しながら、ロシアと対立したのです。日本は独立国家として長い歴史を生きてきたので、ロシアに立ち向かい日清日露の両戦争が起こりました。世界中が日本の悲惨な運命を想像していたはずです。しかし歴史は時として不可能を開きます。日本はロシアに勝ったのです。乃木大将の不屈の意思と東郷元帥の勇敢な戦略が、当時の日本人の心の表明だったと思います。そしてロシアを含めた白人社会は自分達の常識に沿って、日清戦争後の朝鮮半島における日本の権益を認めました。

獅子は大きな犬を意味します。本来は大きな動物を意味したのだそうです。当時の世界は清帝国が犬族の国家だと知っていたのだと思います。

日本が負けていたら日本と朝鮮はロシアに植民地化されていたはずです。いえそれ以前にイギリスから、或いはアメリカから植民地化されていたかもしれません。これが当時のヨーロッパに率いられた世界の常識でありまぎれもない実状だったからです。ヨーロッパ人が世界を席巻している以上、その常識の中にアジアの人々も生きる以外ありませんでした。国際政治において、特にヨーロッパ以外のアジア・アフリカにおいて善悪は論外でした。日韓併合という朝鮮半島の人々にとって受け入れ難い事態は、ロシアが南下政策をとっている状況下での日本の選択でした。国民感情は別として、少なくとも日本は朝鮮を併合したのであって、征服したのではありません。白人による有色人種の支配とは違っていたと思います。その象徴が李方子(りまさこ)様であり、今も韓国の地に眠っていらっしゃいます。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


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