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父恋うる女(娘)

2009-02-08 13:17:34 | 父の懐
今しがたいたちが庭を横切りました.小さい細長い茶色の肢体が可愛らしさをアピールして消えていきました.今日は暖かい、水温む風温む?というのにぴったりの気持ちの良い早春の一日になりました.梅は満開、その下には黄水仙も咲いています.木々の枝には新芽が萌え出そうとふくらんでいます.自然の愛情に満ち溢れた世界が広がっています.

そして父親っ子の娘は思うのです.『お父さん・・・・・・』・・・・・歴史書の中では『女』という字は娘の事なんだとか.高杉晋作は西行法師にちなんで自分を『東行』と号したんだとか.特攻隊の生き残りの父は、『天皇陛下万歳~!』という最期の叫びは『お母さ~ん』という意味なんだとか.幼い妹を膝に抱いて、父の大好きな『十五夜お月さん』の歌や日本海海戦の『橘中佐の歌』を歌って、歌は情緒で歌うものなんだとか、いつも子供達に語っていた父.

そんな大好きで大好きな父は、戦後も戦時中と同じ「天皇陛下の陸軍は!ってこうやるんだ」と私たちに勤勉実直誠心誠意、軍人勅諭を生き続けました.戦後は精神世界もUターンしてしまいましたから、本当に生き難かったと思います.でも私の目に映る父は清廉潔白、この世で最も偉い人でした.その父にも自衛官を退官する日が近づいて来ました.自衛官は50代前半で退官するのです.父は「これから予備役になるんだ」と言っていましたが、その時に父が発した言葉が印象に残っています.「退官が近づくと皆就職活動に一生懸命になってしまう.自分は退官したあとに職を探そうと思う.」

それが今も世間を賑わしているんだなと思います.『天下り!』でも天下ることは必要です.50代前半で退官したら就職しなければ暮らしていけませんから.公務員から世間の仕事につくことが天下りだったはずですが、いつのまにかそれはお金まみれになってしまったんですね.お父さんの頃もそうだったんですね.どんなにか苦虫をかむような思いだったでしょうね.お察し申し上げます.そんな父を見過ごせなかった父の友人の口利きで、父は本州製紙の富士寮の舎監になりました.司令官まで勤めた父ですが、私にこれでよい、ありがたいと言いました.

母も戦後の苦労は随分としてきましたが、寮母さんの暮らしは心中葛藤がかなりあったと思います.そればかりが理由ではないと思いますが、晩年はかなりの心身症になりました.でも父を敬愛すればこそ通り抜けました.そんな母が聞かせてくれた言葉があります.それは「お父さんはね本州製紙の方々にとても大事にして頂いて、工場で何か催し事があると工場長さんのお隣に席を作っていただくのよ.そして昔から言われていたことをもじって、『駿河には過ぎたるものが三つあり、富士の高嶺と白隠禅師、本州製紙の寮の舎監』って!」母のうれしそうな顔が目に浮かびます.

今世の中は利得でまみれています.一体何なのでしょうか、お父さん.でも聖徳太子の昔にも朝廷の役人は役得を漁っていたらしいですもんね.あんなに立派な17条の憲法をお作りになり、人間のあるべき姿を説いてくださったのにもかかわらずですものね.人間は自律以外に道はないんですよね.人間が作った法律も運用する人次第なんですよね.人間が堕落するにしたがって、法律も事細かになっていくんですよね.親が子供に示すものは人の道しかないんですよね.そしてそれが世間というものを作るんですよね.

お父さんが大好きだったお母さんの家庭の味、その味覚を受け継いで私は味覚と嗅覚には自信があります!お父さんの孫娘もそう言っています!「お母さんは和服を着ていなさい」と言って母が和服で暮らすことを望んだ父.母の形見の和服は父の形見でもあります.私の嫁入りに父が見立ててくれたぼかしの羽織は典子の娘の七五三の着物になりました.お父さん、私はお父さんの思い出を重ねて子供達に伝えていきたいと思います.そして便利なことにブログという勝手に書き付ける場所を見つけました.今子供達にいえなくても、いつか見ることもあるでしょう.それに見ず知らずの方も読んだり見たりしてくださるのですよ!
コメント (3)
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