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あひるのガアガアちゃん

2007-09-02 13:41:09 | Weblog
孫達が帰ってしまって元の静かさに戻った我が家で、ふと小さな孫達の痕跡を見つけました.白いアヒルのぬいぐるみがおかしな所で逆立ちをしているかと思えば、ミュージックデッキの上でカルガモの雛のぬいぐるみがこれまたひっくり返っていました.

母さん(?)アヒルは何番目の子だったか忘れてしまいましたが、出産祝いにいただいたもの、カモとカルガモの雛はこれまたどの子かがおもちゃ屋さんで見つけて動かなくなってそれぞれ連れて帰ってきたものです.それ以来二十数年、我が家の一員の座を占めています.子供達が“ガアガアちゃん”と呼んで慣れ親しんできた友達です.

それが今度は孫達の心をつかみます.愛くるしい雛鳥たちも、カモの親になったアヒルの母さんも命があるような目つきと姿をしています.それが二十数年の存在感でしょうか.孫達が触って抱きしめて頬ずりをして語り合ったものは何でしょうか.それがババタンの心を動かして止みません.かわいいアヒルたちを元の場所に戻しながら、一緒に子育てをしてきた時間をしのびます.

アヒルたちを見ながら思います.あの時一緒に騒々しく暮らした毎日を今度は娘が生きている.主役は移ったなぁと思います.自分のこどもたちとの来し方を思います.人生って何でしょうか.皆さんはどう思われますか.マクロビオティックの第一の目標は何でしょうか?

人生は食べることが目的ではありませんよね.でも食べることには目的があります.多くの生物にとって、食は生命そのものの行為です.つまり生きるためです.生きるために人間も食べなければなりません.そして食べた結果が自分達の健康状態となります.多くの動物たちの食は本能の行為です.何を食べるかなどと悩むことはありません.それで本来の姿が守られるわけです.人間は何を食べるか選択の範囲が広くなっているので悩みます.というより自分の健康に何をどれだけ食べればいいのかわかりません.

精進料理というのがありますよね.あれは現存する食様式の中で相当珍しいと私は思います.殺生をしない目的で作られたのではありません.精進料理の目的は宇宙の真理を知ることです.精進頭にしか宇宙の真理は分からないということを誰かが悟ったのです.桜沢先生はふざけて(?)牛の頭とおっしゃっていましたよね.人間の頭には食べたものによって、色々あるのです.食の戒律は色々ありますが、精進料理は目的を確信した人のものです.

人生の目的は何でしょうか?私は敢えて言うなら「正しく死ぬことだ」と思います.胎児が正しく生まれてこなければいけないように、私達は正しく死ななければなりません.舅姑、実の父母と4人の両親を送って思います.私は死について大切な人と十分に語ることが出来ませんでした.この世の老齢者の医療が混乱しているのは、死ぬことを直視しないからだと思います.直視しようとしまいと必ず死ぬのに、死を避けてどうするのでしょうか.多くの場合不十分な死に方しか出来ないような気がします.もう少し正しく死のうという積極的な意欲を持って人生を送りたいと思います.マクロビオティックを正しく死ぬための手段とした時、精進料理に非常に近くなるような気がします.つまり「正しく」という意味が宇宙の真理だからです.「どうあるべき」というのが「正しく」の内容です.それが宇宙の秩序です.どうですか、マクロビオティックになって来たでしょう.そしてそれを皆でと広げたのがマクロビオティック活動であり、久司先生のいわれる「愛」です.

現実社会の主役が子供に移ったということは、これから別の精進が出来るということです.来年は還暦の同窓会があります.別の人生を生きたいと思います.私の教室の生徒さんは、「楽しく死ななければならない」という私の主張を笑いながら聞いて下さいます.これからの私の人生は楽しく死ぬためのものです.久司先生が言われるように「愛」の心をもって進みながら、いつ死ぬかを悟れるように精進したいと思います.
コメント (6)
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