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地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

逃げてきた人たち

2009年02月16日 | sri lanka
つい1ヶ月ほど前にLTTEが完全に追放されたというジャフナは
建物の銃弾の傷跡が生々しい
おおお 何か懐かしい
こういうのを見るのはシエラレオネ以来だ

ジャフナまでの空の道のりも実際飛行時間は1時間弱なんだけれど
到着するまでにかかった時間 正味7時間
これもアフリカに戻ったみたいだ

ジャフナ市内は 軍隊とチェックポイントの数は思ったよりも随分少なかったけれど
政府に強制されて掲げる家やお店の玄関のスリランカ国旗が
占領下の植民地みたい
強制ってどれだけ効くもんなんだろう?
でもここの人たちは もう慣れてしまったのかもね

国内避難民キャンプの人たちは疲れと不安が顔にくっきりと残っていて
きっと見た目よりもみんな若いんだと思う
何ヶ月もの間 何度も戦火を逃れて移動して
ようやくLTTEから逃れて
海や川を渡って辿り着いたら
運命共同体の他の360世帯の家族と一緒に
小さなスペースに閉じ込められている
いつになったら帰れるのかとか 先のことは誰もわからない

身一つで逃げてきた人たちには
仕事もないし
家もないし
お金もないし
着る服もほどんどないし
きっとシャンプーもヘアドライヤーもないし
コンピューターも携帯電話も冷蔵庫もないし
何と言っても
外に出られない
私だったら2日ともたない
おまけに親類の消息もわからない
本もないし
納豆もカフェもワインも
iPodもWiiもない
まあ私も上記のいくつかはなしで暮らしているけれど(納豆とWiiだけ。Wiiはしたことないけれど)
要はほとんど何もなくって
どうしたって手に入らない
生理用ナプキンはあるのだろうか

大きい方のキャンプでは
広場に一台置いてあるテレビの前に 
大人から子どもまでラジオ体操の子どもみたいにきちんと整列して座って
インドのテレビドラマに釘付けになっていた
他の人たちは 配給のビスケットを手に入れるために並んでいた

小さい方のキャンプは何にもなくって
みんな日陰の地べたに座ってぼぉっとしてた
1日中座って 何を考えるんだろう
並んで座っていた20歳前後のおさげの女の子たちに
毎日何してるの?と聞いたら
案の定「ずっと座っているだけ」とのこと
「図書室とコンピューターが欲しい」と言った
普通だったら大学で楽しく勉強したり
アルバイトしたり 雑誌に夢中になったり 
買い物したり
男の子の噂話をしている筈なのにね

お母さんたちは 子どもが病気でも病院に行けないとか
子どもを学校に行かせてほしいとか
ご飯を子どもが受け付けないとか
そんなことを皆小声で訴えていた

あちこちにLTTEか政府のスパイが忍び込んでいるというから
あまり大っぴらに何も言えないらしい
誰も信じられないらしい
どういう風に生き延びてきたのかとか
占領地の中の様子はどうなっているのかとか
つっこんだ話はできないけれど
胸まで川の水に浸かって
家族で 子どもを抱えて逃げてきたと教えてくれたおばあちゃんがいた

写真を撮りたくて撮りたくてむずむずしたけれど
言語道断です
取り上げられはしなかったけれど
一枚でもシャッター切ろうものなら・・・

いろんな真実が隠されている
誰も何も言えない
言ったらいつ新聞記者たちみたいに
永遠に口を閉ざされるかわからないから

皆 息を潜めて生きている
今までもずっとそうだし 
これからもそう
ただタミル人として生まれてきただけなのに

そして私は どんなに心が痛んでも
飛行機に乗ってコロンボに帰れるし
イタリアンレストランでワイン飲みまくったり
その気になればフォアグラ食べたり
スパで全身マッサージ受けたり
その気になれば日本にも帰れるし
その気になれば世界一周だってできる
こんなに苦しんできた 苦しんでいる人たちを目の前にして
颯爽とランドクルーザーに乗り込んで
エアコンの効いた車から手を振って去っていくんだ

出てきた!

2009年02月09日 | sri lanka
やっと国内避難民(IDP)たちが、LTTEの占領地域から逃れて、ワウニヤにぞろぞろと出てきたみたいです。

こんな感じ

時事通信

この3日間で1万人だとか、1万2千人だとか5千だとか、もっと少ないだとか、情報源によって違うみたいだけれど、とにかく、

やっと来てくれました。
長かったね。待ち続けて。
思わずワウニヤの同僚に言いました。

「早くIDPたちに会って、『よく出てきたね。待ってたんだよ。もう安心していいからね』って一人一人ぎゅぅーって抱きしめてあげてね」


といいつつ・・・ 問題は山積みである。

次々と出てくるIDPたちは、とりあえず問題アリアリな政府管轄の’村 village’ というところに追いやられているようだし、そこもそのうち簡単にキャパを超えるし、何と言っても学校がトランジション・センターとして寝泊りに使われてしまっている。

学校は宿泊施設ではない。

というのが私たち教育関係者の言い分。
だって子どもたちが勉強するところがなくなっちゃう。

さてどうする。。。

と、こんな緊急事態に、私は別の場所に明日から出張。
ずっと待ち焦がれていたジャフナ行き。
こちらもIDPがいっぱい辿り着いている、タミル人地域だけど政府支配の、北の最先端の半島。
飛行機で行きます。

初めてだし、最近怒涛の仕事っぷりだったので、何が何だかもうよくわからなくなっているけれど、明朝6時出発です。


飛行機の手荷物にはぜったいに危ないと思うものは持ってはならないらしい。携帯も取り上げられちゃうらしい。
iPodなんてもっての他かな。
私にしてはめずらしく、手荷物はごくごく手軽で行くことにした。いつもなんでも持っていたい私だけど、取り上げられたらたまらないし。

バッグに何個か忍ばせているピアスも移したし、
なぜかいつも携帯していたマイ鍼も取り出したし、
カメラもコンピューターもお土産の酒も預けるキャリーケースに。

飛行機に乗って国内避難民に会いに行く。
新しい地に足を踏み入れるのは、いつも胸が躍るけれど、それが日本人が一人しかいない地域だと倍増。
(常駐の彼女は今は休暇だから私だけだ!)
思えば、人生で初めて難民キャンプを見たのも、スリランカだった。あのときは何でもめずらしくて、きっと私の目は少女漫画のようにキラキラ輝いていたと思う。

その輝きを失わないように。
ちょっくら行ってきます!

Naoko x

p.s. テンプレートとブログのテーマがまったく噛み合いませんがこういう気分なのでご勘弁を。。。

All you need is

2009年02月07日 | sri lanka
困ったときに頼れる同僚は正直言ってあまりいないのが現実なのだが
あえて思い浮かぶ3人ほども
一人は出張で
二人は海外に行ってしまっている

でも幸運なことに私には 
いつもどんなときでも最適なアドバイスや的を得た言葉をかけてくれる親友がいる
「さっきアイツにこんなこと言われたー」とか
「さっき巨大ヤモリ見たんだけど」
みたいにどんなにアホなことでも話せるし
いつも最適な言葉で励まして、時には叱咤してくれて、いつも笑わせてくれる

泣きそうな私に
彼女の今日の一言

「どんなに頑張ってもできなかったとしても All you can do is 'best'

この一言でどんなに心が軽くなったか・・・(>_<)



それでまたやる気になってがんばってたら
エラー見つけて

1400万が140万になった

あとちょっとだ

コンピューター迷宮入り

2009年02月07日 | sri lanka

今日も昨日も一昨日ももうずっとコンピューター会計システムの中に”潜り込んで”出てこられないでいる

額が合わないの

もう何回も1コ1コ確かめているのに

 

1400万円くらい合わないの。。。

 

ありえへん。。。

 

時間だけが過ぎていくし。。。

夜中に目が覚めて このこと考えて寝られなくなっちゃうし。。。

まあ昨夜疲れすぎて12時間寝ましたが。。。

 

本当に泣きたいー

 

どないしよ

 

 

 

とりあえず飲んどこかな (← えー)


祝賀ムードとセキュリティ

2009年02月04日 | sri lanka
今日は一応61回目の独立記念日だけれど
タミル人たちにとっては 独立とは逆の意味で
シンハラ占領の始まりの日という解釈がある
だから去年も自爆テロがあちこちであったのだけれど 
LTTEはもう切羽詰って
この日に最後の最後の捨て身のコロンボ空爆を仕掛けてくる策略があるらしいとかの噂が
まことしとやかに流れている中
軍事力を誇示して
30年の戦争に高らかに「勝利宣言」したい大統領は
たくさん兵士をスリランカ中から集めて記念式典をやったらしい
つくづく この国 リハーサルというものにかける力がすごいと思う
北朝鮮かミャンマー軍事政権かと勘違いしそうになる
何日も前から道路があちこち封鎖されてたし
セキュリティは超タイトだし もう大迷惑
戦争中の国にいるという実感が増すのである


今日は外出は避けるように言われているけれど
屋上でLTTEの飛行機を待ってバーベキューでもしよう!と友達と盛り上がったものの
その会話は10秒で消え
結局ポットラック(一品持ち寄り)をしようということに落ち着く
これからちょっとスーパーに買出しに行こうっと
道路封鎖地獄に陥らないことを願って

それはそうと
実家から年賀状が届いた
お年玉年賀はがきの当選が発表されてからでないと送ってくれない母のお陰で
年賀状を見るのが1ヶ月遅れてしまったが
お返事できなかった方 ごめんなさい
今年もよろしくお願いします

海外生活が長いためか なかなか無礼になりがちだけれど
つくづく年賀状の文化は素敵だと思うし
自分のことを考えながら住所や一言を添えてくださったかと思うと
心がとても温かくなる

それにしても
我が家の恒例の年賀状は今年はどうなったのだろう・・・

手先美人

2009年02月04日 | sri lanka
コロンボに来てからいつもネイルは自分でしていたのだけれど
トランスアジアホテルのネイル・スパにふらっと寄ってみた
コロンボでネイルアートをしてくれるところは他に見たことがないし
している人も見たことない

サンプルが少ないから
自分で注文つけながら
なーんか 
だいじょうぶ?
って雰囲気だったのですが

上手。。。
結構かわいいやん
私のお洋服にも合うし

スタッフの子たちも 初めてみるデザインと色合いに
「かわいー!」と大騒ぎ
今度日本に帰ったら雑誌でも買ってきてあげよ
そうしたらお客さんも増えるかもしれないしね

ネイルアートを初めて見る同僚たちからは
「かわいー!それ、自分でやったの???」
「暇だね。。。」
とか言われて・・・
でも私はコロンボのファッショントレンドを引っ張っている気になっているのだ ←おい

でも・・・
写真の手がちっともかわいくないのはなんでだろう。。。

人生初2回

2009年02月02日 | sri lanka

北は依然として大変なことになっています・・・

CNN

BBC

 

20万人の命は、どうなるんだろう?

 

そんなことをまったく考えずに週末ゴルフをしていたら

 

なんと

 

人生初バーディが出た

 

そのあと 人生初パーも出た

 

(初めてのパーより先にバーディとったの

 

き、キモチいいーーーーーーーー

 

まあどちらもパー3のショートホールですがね もちろん

 

 

で、

 

 

なんでトータルスコアが120以上なんでしょうかね? 

 

(・∀・) シーン...

 


この国の未来は

2009年01月26日 | sri lanka
アルジャジーラでスリランカ北東部の戦況の映像を見た。
数百kmの場所で起こっていることが、嘘みたい。
いよいよ佳境を迎えているだけれど、挙国のために長い間血を流してきたLTTEは、20万人の市民とともに、ものすごい狭いスペースに追い込まれている。
LTTEと20万人の国内避難民は一緒の場所に居るから、この先の空爆は許されないのだ。
この先どうやってこの恐ろしい戦いが終わるのか、その結末は誰にもわからない。

国内避難民のいる地域はLTTEが支配しているから、アクセスも物資の供給も限られていて、私たちは計算機をはじいて、必要な支援をの量を数えているだけ。

少し前に、勇敢に政府を批判してきた有名な新聞記者がコロンボで暗殺された。
ジャーナリストの暗殺は多発していて、政府の仕業だと誰もが口にしている。

彼が、いつか殺されることを察して、遺言を書いていた。半分は大統領にあてた内容。(英語)

いたたまれない。
どんなに勇敢でも、口を封じられて、残されるのは家族。
そしてまた、誰もが口を閉ざす。

Sunday Leader Editorial

数日前は、元同僚が相談に来た。
契約終了で事務所を去ったのだけれど、次の仕事がなかなか見つからないという。
彼女はとても真面目で優秀だし、シンハラ語、タミル語、英語も何でもござれ。
「でも私はタミル人だから」
と彼女はさばさばと言った。
「今のこの国では、悲しいけれどこれが現状」

この国の将来を憂う、日曜日の夜。

何もできないけれど、何かできるかもしれないから、明日からまた一週間がんばろう。