地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

民軍連携いと易し

2011年04月25日 | haïti

お昼はオフィスのカフェテリアでノルウェー人同僚のお別れランチ

ここのカフェテリアは国連のオフィス全部が使用するから

地震以来大盛況で

一部を改造して増築した

何よりもメニューの豊富さとボリュームが売りで

味も悪くない

初めて頼んでみた Southwest サンドウィッチ(アメリカの南西部のでちょっとスパイシー)を頬張っていたところ携帯電話が鳴る

さすが・・・

15分前とは・・・

ダッシュでオフィスに帰ると

自衛隊の方々がかんかん照りの中 分厚い長袖の迷彩服で立っていた

冷房の効いた待合室の中で待ってて下されば良いのに!(汗)

 

ハイチに来てからよく自衛隊の方々とお仕事させていただいているけれど

かなり「四角い」まさに自衛隊っぽい(失礼!)感じの人と

いろんな意味でそうは見えない

のペアで現れる

私は前者も嫌いではない

 

四角くても丸くても

素晴らしいのは

誰もがひとつもエラそうなところはなく 真摯な態度をお持ちであること

仕事は速いし

礼儀正しいし

腰が低い

これは東北のときも感じたことだ

彼らの仕事っぷりは本当に感動的だったのだ

 

こちらの隊も

実は治安維持とか瓦礫除去とかだけではなくて

文化交流のために

近所の学校に太鼓叩きに行ったり折り紙教えたりしているらしい

こんなこと 日本のPKOくらいしかやっていないのではないか

お煎餅とかちょっとしたお土産なんかももってきてくださるし

自衛隊=迷彩服=ちょっと近寄り難いイメージは

ここハイチにきてから完全に払拭された

緊急支援・平和維持での民軍連携がうまくいかないという議論は

いろいろと面倒臭いんだけれど

お互いが信用できる日本人同士だったらあんまり問題はない

先方にとっても

フランス語しか解せない人や

できてもものすごいアクセントの強い聞き取りにくい英語を話す人を相手にするよりは

私の方が話しやすいと思う ←当たり前

 

それで自衛隊さまとハイチで何をやっているかというと

いつもは学校の瓦礫除去案件で大変お世話になっており

今度壊れた学校を改築してくれるかもしれないので

その打ち合わせをやっていました

ありがたや~ ありがたや~

わが機関も200校くらい改築しているけれど

それでも全然足りていないのです

 

だけど実際 隊の中はどんな風なのかはミステリーである

この会議中にもちょっとした情報を調べようとして誰かに電話して

「あ~ もしもし 隊長だけど

って言ってたし・・・

 

今度「民間人」の私たちは自衛隊の駐屯地に交流会でお呼ばれされているから

もっと実態がわかるかも

 


出張明け。

2011年04月18日 | haïti

ハイチに戻ってから

それはそれはまあたっぷりと寝ています

あっという間に時差ボケも疲労も取れた感じ

 

日本人の

あの被災地の人たちの

あの市町村役場の人たちの不屈の頑張りを見て

日本人たるモノを散々見せつけられたので

帰ってきたその日から仕事する気でいた私

空港からそのまま出社した私に周囲が

「あれ 今日着いたのに出社したの」「もう帰るでしょ」と言われて

そういうものだったかと気がついた

それからも

今まで穴を開けてしまった分取り戻そうと必死で仕事しているのだけれど

来週やって来る休暇も取らないでおこうかと思っているところ

「とりなさい!自分では気づいていなくても必要なんだから!」と同僚に怒られている

日本人の基準からするとこのぐらいぶっ続けで働くことくらい何でもない

そんなに柔じゃありません

必要だったら自分で気づくって

といいたいのだけれど

敵も相当頑固なのである

 

私は我慢強く、真面目で、自分よりも周りのために働く日本人を見てきて

自分のルーツを見て

それを忠実に守りたい

今はやる気満々なのである

 

もっと日本で働きたかったとは正直思う

私のモチベーションも今までのどの国を支援してきたよりも百倍くらい高いのは言うまでもない

でも

幸運にも最初の1ヶ月に必要な立ち上げの部分に携わり

あとはおまかせして

私は自分の元の任務に戻らないといけない、というのも納得がいく

何より 日本は私がいなくても何てことはない

自分と被害の両方を過小評価しているのではなく

日本では素晴らしい高水準の復興がものすごいスピードで展開されていて

それを国民全体で支えているという事実

比べてこちらは

大地震後15ヶ月経ってもさほど変化も見られないし

まだ瓦礫の山は全然片付かないし

テント生活を送る人々はまだ50万人以上いるし

多くの子どもたちは学校に行っていないのだ

日本に帰りたくてしょうがない

自分にやれることもあるだろう

でもここハイチでがんばることもまた私の任務

素晴らしい日本の力を見てきた今だからこその

ひらめきもある

 

・・・脱力感もあるけどね


Not yet back to school

2011年04月08日 | japan

昨日の揺れ、311を経験しなかった私には人生最大(震度6)だった

揺れた~

仙台でまだスタッフと一緒だったので落ち着いて行動できたけれど

震源はどこかすごく怖くて

浜の方だとわかって

女川にいる同僚が心配で心配で。

歩いてホテルに帰ると人がたくさん外に出ていて

でも少し落ち着いてからもう寝ようと停電の部屋に帰ろうとしたけれど

部屋が開かなくて

たぶん鍵が地震でおかしくなっちゃったみたいで

怖いし

同僚のツインの部屋で一緒に寝た

 

電気は今朝は戻っていたけれど

被災地の小学校で一番のりの筈だった

女川の小中学校の始業式は

学校の校舎の確認作業と安否確認と停電で

延期になってしまった

みんなとても楽しみにしていたので

泣いちゃった子もいたみたいで・・・

 

子どもたちは昨夜怖かっただろうに

 

平穏な日が来るのに

どれだけかかるんだろう

 


原始的携帯派宣言

2011年04月07日 | japan

被災地では私の携帯はつながりにくい。

他社のはばんばんつながるのに。

ずっと外回りだから、

道中で仕事をするのに電話、メールが使えないと不便!

さらに、よく道に迷うし、

元あった道がなくなっていたりもするので、

i Phone のGPS機能は便利なことが判明。

i Phone は3/11当日もskypeでの連絡が通りやすかったので、

それで加入者が増えているという噂だけれど、

もうラップアップで日本にまた居ませんし。。。

Twitter も 自分の情報流すよりも

欲しい人からの情報を得るのに勧められたけれど

確かにそれをやっていたら情報量がまるで違ったかもしれないけれど

au どうせつながりにくいし。。。

腰が重い私。

でも実感した。

もう今の時代、常に「247」オンラインの時代なんだと。

常に情報に触れ、常に発信する時代なんだ、と。

通話とSMSしかしない、

携帯からメールさえもできないハイチの携帯を使っている場合ではないぞ、と。

i Phone とか blackberry とか スマートフォン とか持ったら

人との会話が少なくなる

外の景色の変化に気を配る機会が減る

なんてオバン臭い。よね。

 

でも日本の i Phone はSIMカードを入れられないらしいから、

海外ではローミングしないと使えない。

外国で i Phone 買っても、日本語が使えない。

どうせ買うなら日本語でつながっていたい。

 

じゃあやっぱり原始的携帯派脱却できないではないか。

 


一本の松

2011年04月02日 | japan

町の面影を残さない

瓦礫の野原を眺めると

どこから始めていいのか

絶望感に襲われる

 

でも

でも

日本人ってすごいんだ

被災者の人たちがすごいんだ

 

市町村の職員さんたち

ずーっと走り続けている

 

ぜんぶなくなっちゃったのに

仮の役場に

廊下に机一個出して

一人で孤軍奮闘していたり

 

同僚がたくさん犠牲になったけど

プレハブのオフィスの中から

「未来をつくるのは一人一人の子どもたち!

今こそ学校、家庭、地域が一体となり

協力し合いながら

未来をつくる子どもたちをしっかりと守り

育てていきましょう!」

というお知らせを発行したり

 

この人たちのお蔭で

この町はきっと立ち直る

そう思う

 

その後押しをできる位置にいることを

心から幸せに思う

おんぶにだっこじゃなくて

被災者の人たちが

絶望の中から

明日を見つめるためのサポート

被災者の人たちが強いからできる

 

帰りの車の中で

「今日は本当に良かったね」と口々に言い合った

私たちは特に何もしていないんだけれど

いろんな方々のご支援があって

私は今日 今までの8年くらいやっているキャリアの中でも

本当に印象に残る

「何かできた」と思える日だった

前線にいられる幸せな私は

もっともっとがんばらないと

 

まだまだ道のりは長いけれど

まだ涙が止まらないけれど

一歩一歩踏み出している

 

花粉が恐ろしい程蔓延している三陸

私の涙腺が緩いのかどっちだかよくわからない