地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

52 resons why you shouldn't data an aid worker

2012年04月26日 | development

おもろーい このリスト

 

On Motherhood and Sanity

 

Aid worker(日本語では開発援助で働く人)は変わった人が多い

大体、資本主義の世の中に揉まれて、または避けて、社会から逸脱している私たち

お洒落な生活や美味しいものなどの世俗的な快感は、好きだけれどあまり執着せず

ものすごーくマニアックな感覚を共感しては楽しむ集団

銃声や戦争体験を自慢したり

どんな僻地に住んでいたかを自慢し合ったり

誰かの部屋にものすごく辺鄙な街の物産が置いてあったら

「あ、これ、どこどこのでしょ」と指摘したりして

持ち物は最小限で

重たいものを所有しない

They are always suspicious of how real or committed other aid workers are

そうそう、同業の他の誰かはあんまり評価しないのね 自己満足の人ばかり

ちなみにこれはたまに、組織同士の小競り合いでもある

我が組織も自分たちは一番効果的な援助をやっていると胸を張りながら、同業者の間では実は評判が悪かったりもするけれど

じゃあどこの機関がよくやっているかというと

誰も「あそこはいい」とは言わなくて、悪口を言い合っている

Will randomly  thank you in Kiswahili or khmer, and then attempt to apologize, in Khmer or Kiswahili

そうそう、ぽろっと出てきちゃったりするんですよ

「ありがとう」、とか、「すみません」とかが、油断すると、ランダムな言語で

They listen to music you have never heard of

確かに。アフリカやラテンアメリカの音楽がやたら多い私たちのiPod

They can’t give birth to more than one child in the same continent

そうそう、子どもたちはみんな「この子はコーカサスで生まれて、こっちの子はマラウイ」とか

They think 5 years is a long term commitment

これが大いに問題のある現実!

1、2年の契約なら「いいかなー」

3年以上くらいになると「長っ」となってしまって

常にエキサイティングな生活を求めていて

ひとつのところにとどまっていられない人たち

これが男女関係でも同じ感覚だったりするから問題ですわ!

 

こんなランダムな友達や

大気汚染と貧困と悪い治安の中の生活にすっかり居着いてしまい

大都会の何の不自由もない発展した生活は落ち着かない

そんな厄介な私たちは

仕事も私生活もこの先みんな大変です(笑)


迫真の演技

2012年04月26日 | haïti

先日、とある学校で政府主導の避難訓練があり

私はオブザーバーに指名された

日本人だから避難訓練得意だもーんと

何気なく言ってみましたが

これがすごいの何の

 

 

逃げ足速い

サイレンの途端にだーっと生徒たちが走る

「あのー、サイレンが鳴ったらまずは机の下に隠れて待機して、合図で指示された避難経路に移るのでは?」と聞いたが

「耐震構造ピカイチの日本とは違う」

「でも火事の場合は・・・」

 

そんな中、ある教室は・・・

 

 

が、がーーーん

あー びっくりしたー

 

 崩された机の下から悲鳴を上げる生徒たち

警察、救急車、消防士、赤十字レスキュー隊員、ボランティア、迎えに来て泣き叫ぶ母親役、1000人くらい総動員しての訓練

やりすぎじゃー

 

そんな中、子どもたちは・・・

 

 避難訓練中に鼻くそをほじくってはいけません

 

がんばりすぎて現実味のない避難訓練でした


生き甲斐とは。

2012年04月22日 | japan

日本に帰った際、中学校に授業に行った。

あきる野市西中学校との出会いは、1年半ほど前に、新聞に載っていた私の記事を授業で取り扱い、生徒さんひとりひとりがお手紙をくれてから。

そのお手紙の内容は、「どうして水泳から国連職員に転身したのですか?」「コレラは怖くないのですか?」などの私への素朴な疑問だったり、ハイチの復興をどうしたらよいか、という突っ込んだ考えが、ダイヤモンドの原石のようにちりばめられていて、それはそれは感動したのだ。

13−14歳でここまで考えられるのか!と舌を巻いたし、

「ハイチは悪政だからだめなのですね。そうしたら、日本も近い将来そうなるかもしれませんね」などという辛辣なコメントもあり、私はゲラゲラ大笑いして一枚一枚のお手紙を読んだ。

私がお返事しなくちゃと思ってぐずぐずしている隙に、お節介ものの母親が勝手に学校の先生に連絡し、そこから先生とのやりとりが続き、生徒さんたちも継続的にハイチを追ってくださった。

という経緯があり、ユニセフ募金もしてくださっている寄付者の生徒さんたちに、ハイチの現場の経験を生でお話ししようと、今回の出前授業に至ったのであります。

普段から、日本の子どもたちや寄付者の方々に、「募金してください」だけじゃなくて、お金がどう使われているか、ちゃんとお仕事の内容を知っていただくことは、寄付を頂いているものの義務だと思っているので、こういう機会があってよかった。

 

その様子は日本ユニセフ協会のゆかちゃんたちがびしっとまとめてくださったのでこちらをどうぞ↓

日本ユニセフ協会

 

以前、母校大学で話をしてもなーんか反応イマイチだったこともあるし、

中学生って、どのくらいちゃんと聞いてくれるのかな?とちょっと不安もあったけれど、

子どもたちのほとんどが最初から最後までちゃんと聞いてくれました。

「シエラレオネってどこにあるか知っている人」の質問に、

「ガーナの近く」と答えた子もいたり、

「ではスリランカはどこにあるか知っている人」の質問に、

「ライオンのマークの国旗」と驚く回答をした子どもも居て、盛り上がりました。

私のくだらないジョークに、ニヤッとしていた子どもが沢山いて、現代っこっぽかった。

 

そして質問コーナー。

質問が鋭い。

「ハイチ政府はどんな感じなんですか」とか

「これからの目標は」とか

日常の難問だけでなく、ついには、

「井本さんにとって生き甲斐とは」。

そんな、オトナの永遠の課題を、直球勝負で来られても。

どきっとするやんか。

子どもは怖いなー。

将来を担う夢多き生徒さんたちの手前、中途半端に答えられませんし。

回答を用意していなかったので、数秒考えましたが、何とかかっこいいことを言ってしまった。

嘘はついていないけれど。

今後実行できなかったらどうしよー。

 

同じような疑問を投げられたのが、滞在の最終日に突然降って沸いた某女性誌のインタビュー。

前夜、飲みながら、

私「明日、「いい女」特集の取材だって。あれ、違ったっけ」

知人「さっき「女の生き方」特集だって言ってましたよね」

実際は、「女の仕事」だったらしい。

最初のん、全然違う。

 

翌日、案の定目の下のクマがどっかり。

修正しておいてくださいね、と何度も念を押しときました。

このインタビューでも、仕事のモチベーションについて聞かれ、何だかもそもそと答えましたが、

かっこいいことを言いながら、

もうすぐ契約終了につき、

人生について考えるキャンペーンを行っている最中の私は、

中学生と女性誌インタビューをきっかけに大いに考えさせられたのでした。

さてどうしよかな。

 


Crazy about the Olympics

2012年04月20日 | japan

ハイチに戻って、あっという間に1週間。

時差ぼけ解消のために早く寝て沢山寝ているけど、帰ってきて以来頭痛が引かない。

何でだろー。

 

ちょっと前の五輪選考会の雑感。

久しぶりに観た水泳は、眩しかった。

もうかれこれ4年、ちゃんと水泳を観ていなかったかも。

あんな大きな四角いプールを見るのも久しぶりってなくらいですし(笑)。

五輪選考会は、みんなの感情が凝縮し過ぎて、スリリング過ぎて、あのド緊張のぎりぎりの戦いを、自分も昔はやっていたかと思うと、すごいなーと思ってしまった。

昔と違って、今の方が五輪に行くのは難しいと思う。

あの舞台で、自分に打ち勝った、本当に心の強い人が切符を手にする。

みんな、実力はものすごくあるのに、あのプレッシャーに勝てるのは、一握り。

その中で、平泳ぎ100でも200でもちょっとの差で3位になってしまった、イトマンの後輩、川辺芙美子ちゃんのレースは本当に素晴らしかった。

最後の最後まであきらめず、勇気あるレースだった。

観ているこちらが号泣してしまった。

私と同じで涙腺が緩い岩崎恭子氏も泣いてた(笑)。

200平の表彰式のプレゼンターで、戻ってきたらめちゃ泣いてた(笑)。

本当に五輪に行きたくて続けてきて、本当に本当に悔しいだろうけれど、あのレースができたことは、きっと人生の財産になると思う。

死ぬまで胸を張れると思う。

スイマー芙美子ちゃんを心から尊敬しました。

 

北島康介選手は、もう偉人で、コメントができない。

もう4年くらい話をしていないので、どういう人生、トレーニングを行ってきたかわからないけれど、

今までとは違った新しいチャレンジを乗り越えてきて、内容の濃い4年間だったことは間違いない。

それは泳ぎが語っていた。

以前とはすっかり変わった泳ぎを観たとき、目が釘付けになった。

以前も美しかったけれど、今の完成形のようなフォーム。

それも、何だかもっといけそうな。

フォームは確実に進化しているのだけれど、五輪でこそ出てくる「キレ」があの人にはあるから。

一番大きな舞台で真価を発揮する人だから。

4年前、引退を考えていた彼だけれど、この4年、新しい環境でチャレンジしてきたことは、すでに平泳ぎ史上初の2大会連続2冠を達成していた彼を、さらに偉大な人にした。

今まで日本のどんな選手でも、日本国内でずっとトップにいるのもせいぜい長くて10年。

それでも世界では届いていないか、届いても1-2年。

シドニー五輪の4位から数えて、12年間世界のトップにいるって、尋常じゃないわ。

これからの準備期間と、本番の彼も本当に楽しみだけれど、残念ながらそれを追える立場にいない。

とりあえず、テレビで五輪放映が観れる環境を整えたい(笑)。

 

五輪期間中は沢山の懐かしい人に会えたり、第1回オリンピアン同窓会があったりして、大いに楽しんだ。

 

'56ヘルシンキ五輪から '08北京五輪までの五輪代表勢揃い

昔憧れていたスイマーの方々とお話しできて感激!

 

 バルセロナ、シドニーあたり。同じ水で育った人たち。

チーム・イトマン!厳しい環境で育てられた私たち。

 チーム平井のキラキラ女子たちと、ちょっと古株のサーティズで、鈴木先生を囲んで♪

 サーティズ、今度は王子を囲んでみた。おばさん丸出しか。中学のときから知っている彼がもう社会人ですって。きゃー。

 何十年経っても仲良し。会えてほっこり。

 

過去をちょっと思い出した1週間でした。


Lost in transition

2012年04月19日 | haïti

あっという間に帰途。

ダラスの空港へ向かう前、マルティーナと新しい街 Uptownをぶらぶら散策。

12年前はなかった、お洒落なマンション、お洒落なお店が立ち並ぶ。

こういう街に住めたらなぁなんて想像してみる。

ジョギングしたり、コーヒーを片手に、犬の散歩をしたりしてさ。

ハイチで私が払っている家賃でも借りられるというから、複雑な気持ちになる。

そりゃそうだ。ハイチの家賃だったら、東京でもニューヨークでもそこそこのところに住める。

何かがおかしいぞ。

 

もう洋服は・・・と思いながら、マルティーナが好きな Ann Taylor を一緒に覗き、ポリエステルだけれどシルクみたいな素材の白いブラウスをお買い上げ。

半額以下で25ドル!

アメリカは安いー!

もう日本で定価で買うのはやめたい。

マルティーナは昔から、安い買い物が得意だ。

 

最後にスターバックスに寄って、大衆的だけれど洗練された雰囲気を満喫し、空港へ向かう。

こんな雰囲気でも満足してしまう私は安上がりか、相当疲れてる。後者は無視してカプチーノをすする。

 

フロリダ州フォートローダデールからポルトープランスまでは約1時間半で着いちゃう。

空港を出ると、すぐに寄ってくる人、人、人。

「マダム、タクシーは要りますか」

そう、この国では私はマダムに変身するんだ。

自分で運べる荷物も運んでもらって、チップを渡す。

サングラスをして、新しいブラウス、新しいショール、新しいピアス、さらさらの髪の毛が風に揺れ・・・といきたいところだけれど、外気は埃っぽくて、朝8時だというのに日光がぎらぎら照りつけ、もう汗かいてきた。

ぐあー 早く車の中に入ってエアコンに当たりたい。

そのままオフィスへ直行。

視界に、ビニールシートでできた家が密集するキャンプが入ってくる。

変わらない現実。

ダラスの高級住宅街とのギャップ。

この人たちの未来は。

道の真ん中で堂々とUターンする大きなトラック。

待っていると、車の前を、どんどん人が横切る。

頭の上に大きなボウルを載せて、小袋に入れた揚げたプランテーンを売っている人が近づいてくる。

 

時差ぼけで眠すぎて、頭がクラクラする。

何百通と溜まったメールをだらだらとチェックして、同僚と打ち合わせして、早めに帰宅。

シャワーを浴びようとするも、水が出ない。

ふてくされてさっさと7時に寝た。


フラッシュバック

2012年04月15日 | usa

成田から直行便でダラスへ。

なんかブログの調子悪い?行替えできまへん。

ダラス経由で1泊して、昔のコーチや親友に会うことにした。

2年4ヶ月ぶりのダラス。

その当時お腹の中にいた親友の娘は、今では公園をかけずりまわり、プールで5mくらい泳ぐ!

フィン付きだけど。Pretty amazing.

親友マルティーナは、アメリカの大学のチームメイトで、シドニー五輪で2つのメダルを穫った、スロバキアのスーパースター。

6回目の五輪出場をかけて今、トレーニングしている。

6回っていうのは競泳史上初らしく、アメリカの ダラ・トーレス選手も今それを賭けて泳いでいて、二人はある意味、鉄の女対決。

私も現役時代同じ種目のライバルとして一緒に泳いでいた。

彼女たちに比べたらへなちょこの私が12年前に引退して、その間何回かオリンピック出て、子ども産んでもまだトップレベルで泳げるんだから、想像を絶するほどすごいけれど、もし6回目の出場が叶ったら、ダラの方がちょっとすごいかも。

アメリカの競争は世界一熾烈だから。

マルティーナは、選考会みたいなものはなく、ある期限までに一番で泳げば良くて、今は50m自由形で25秒5で泳がなくちゃいけない。

それも私のベストタイムより速いから、「まー行ければいいけど無理かもね」なんて気軽に6回目の五輪に挑戦している彼女は、ま、別の人類みたい。

私の知っているオリンピックスポーツっていうのは、綱渡りみたいに真剣で過酷で、時に恐怖もともなう。

でもそれとはまったく違うオリンピックスポーツがそこにはあるみたい。

何をモチベーションにするんだろうか。

「6回」という「競泳史上初」、その記録に尽きるだろう。

そこには気負いはなく、挑戦しかない。

一日2000mくらいしか泳いでいないというけれど、いやー、タフ。

 

コーチのスティーヴとは6年ぶりくらいに会った。

相変わらずの大学のロゴ入りの赤いポロシャツとベースボールキャップは変わらないけれど、顔に皺が増えた。

それは私も一緒だけど。笑

コーチは変わらないけど、私がちょっとオトナになったみたいで、ちょっと照れくさい。

彼の家の庭のプールで子どもたちが遊ぶのを眺めながら、白ワインを片手に、二人でいろんな話をした。

今年の大学選手権で後輩たちがすごい活躍をしたこと。

テキサス・レンジャーズのダルビッシュの1戦目、2戦目のピッチングのこと。

テキサスの人たちは、彼を自分の家族に来た養子みたいに思ってる。

ハイチの仕事のこと。彼はいつもいつも応援してくれている。

私の大学時代のこと。

よく、土曜日の朝練が終わったらみんなで近くのカフェに行って朝食をとって、そのあと私は違うコーヒー飲み放題のカフェで勉強していたこと。

当時私が好きだった男の子のこと。懐かしい。

12年も経つのに、まだ数年しか経ってないような気になる。

写真はマルティーナの娘と私。

... やっぱ歳とったな。笑


心もマッサージ

2012年04月13日 | japan

あっという間に10日間が過ぎて、今、雨の成田空港。

休暇とは思えない程、いつも通り走り回った。

運転免許は、昨日いただきました。 ご心配おかけしました。ってしてませんかね。

五輪選考会があって、いろんな感情が頭の中を交錯して、胸がいっぱいになって、 大阪のおばあちゃんに会いに行ったり、 免許試験場と歯医者行って、 姪っ子たちに会って、 なんてしている間にあっという間に終わっちゃった。

最初、時差ぼけが全然抜けなくて、疲れてる、疲れてるって言われて、このままハイチに戻ったら私はどうなっちゃうんだろう?と憂鬱になったけれど、 好きな人たちに会えて、 桜見て、 最後にマッサージに駆け込んで、 今はちゃんとリセットできた気がする。

 

昨日、私が世界一信用しているマッサージ師のホリックに行ったら、

「邪気が背中に溜まってる」って言われた。

邪気=ネガティブな「気」

体が疲れて、気持ちまで下がり気味になってしまって、そこからなかなか出られなくてもがいていたみたいな感覚だったのを、 先生はちょっと触っただけですぐわかっちゃう。

私の体を知り尽くしていて、 絶妙な力加減で、一番触って欲しいところを、本当に必要な分揉んでくださって、

すっきりして、顔色さえも1時間のマッサージでずいぶん変わった。

おかげではりきってまた旅立ちます。

いってきます!


20年間で4回目の五輪へ

2012年04月05日 | japan

今日は会場へ行けないけれど、33歳の稲田法ちゃんが100背に出ます。

1992年のバルセロナ五輪に中2で出て以来、

シドニー、アテネを経て、

アメリカ留学中にまた泳ぎだした彼女。

最初はマスターズの試合に出るからちょっと泳ぎ出しただけだった。

楽しんで泳いでいるから、全然気負いがない。

昨日、準決勝自己ベストだった。

派遣標準に迫るタイムで、3位通過。

ガッツポーズ出てた。

法子とはまだちゃんと話していないけど、

いっぱい話を聞いてみたい。

録画でどきどきして観たいから、

私に結果を知らせないでね。


感動と、残酷と。

2012年04月05日 | japan

4年に一度の競泳オリンピック選考会。

久しぶりの辰巳のプールは、

みんなの、ほんとうに、ほんとうに行きたい気持ちと、緊張が詰まった、

ものすごく張り詰めた空気。

忘れていた感覚を思い出した。

プールサイド前の最前列の席から見ていると、

選手たちのどきどきが伝わってくる。

 

昨日は表彰式のプレゼンター。

全レース後のプールの端っこで、

3位以内の選手たちの隣にスーツ着て立って、

本当は晴れやかな場所のはずなのに、

実はとても酷な場所。

1,2位で代表に決まった選手たちがいる中、後ろにもう一人、一緒に居なくちゃいけない残酷。

私もひとり号泣してたことあった。

 

4年前、大学の後輩の立石諒くんは、2分10秒という五輪でも表彰台に上れそうな素晴らしいタイムで泳ぎながら、

0.1秒差で3位に敗れた。

ミックスゾーンにいた私に、「すみません」と言ってきた。

そして紆余曲折を経て掴んだ五輪代表切符に、感涙。

すばらしい。

よくがんばった。

 

昨晩、200m自由形、リレーで代表権は得たけれど個人での派遣標準が切れなかった上田春佳ちゃん、伊藤華英ちゃんたちも残念なんだけれど、

100m平泳ぎ、大ベストを出しながら100分の2秒で3番になっちゃった川辺芙美子ちゃん。

イトマンの後輩で、中学校の頃からすごく強くて、今年28歳。

ずっとずっとオリンピックに行きたくて、

それだけの気持ちで、

長いキャリアで一番の素晴らしい泳ぎを見せた。

正直、今の彼女が1分7秒で泳ぐとは思っていなかった。

100分の2秒差。

表彰前、彼女と目が合って、そっちに行ってぎゅっと抱きしめた。

「よく頑張ったね」

また涙が出ちゃう私。

泣きたいのは私じゃないのにね。

そうしたら、彼女に、逆に励まされてしまった。

「200がありますから」

 

古賀淳也くんには、かける言葉も見つからないから、顔も合わせられなかった。

今度会ったら言う言葉を今から探しておこう。

 


免許更新の悪夢。

2012年04月03日 | japan

今年も桜の季節に合わせて日本に帰国。

今年は遅れていて今が1分咲きというから最高のタイミング。

前回帰ってたのが11月で、なんとこの1年半のハイチ勤務中に4回目というむちゃむちゃな高頻度だ。

 

今回帰国した最大の理由は、桜でも、五輪選考会でもなく、前回逃した運転免許の失効前の更新。

という地味で事務的で色気のない理由。

失効してしまうことも考えたけれど、また一から教習所、と考えると(←通ったことはないが)、今後何があるかわからないからやっぱり持っているに越したことはないと決意。

車もないし、日本に帰ってくる予定さえないくせに。

前回更新しようとしたら、直前にパスポートを紛失し、更新期間に日本に居なかったという証明ができなくて、

わざわざ法務省の情報開示をしてもらったの。

その証明は前回の日本滞在中には送られてこなかったから、今回ようやく再帰国して手続きしに帰ってきたという訳。

 

それでさっそく免許センターに行きました。

実家から徒歩で行けるので楽ちん。

ところが・・・

情報開示証明の期間を間違ってとっていたことが判明。

つまり今持っている紙切れは無効。

「だってそんな指示を前回受けていません!」と憤る私。

このためにわざわざもう一度帰ってきた事も、震える声で刻々と説明。

 

それだけではない。

前回、わざわざ本籍地に行って、本籍記載の証明書を取りに行き、さらに区役所にてスリランカからの転入手続きをし、

住民票を発行してもらい、

パスポートなくしたので法務省に行ったのですよ。

4ヶ月後にハイチという地球の反対側の国から帰国したのですよ。

そんな説明はこの際省きましたが。

 

それなのに受付の女性は、私のこんな苦労もつゆ知らず、強気。

まったく悪びれた様子なく、私の説明もすべて無惨に却下。

仮にどう転んでも対応できなかったとしても、もうちょっと、同情の様子を見せてくれたらこちらとしても救われたわけですよ。

「いやぁ、そうですか、、、しかし大変申し訳ないのですが、」とか一言言っていただくだけで、

ちょっとでも何とかしたいという気持ちを含めていただけたら、

まだ消化の仕方も違ったのですよ。

でも「こちらとしてはまったく受け付けられません。失効されてしまいますね。そうなるともう一度教習所から」みたいに、

血も涙もない対応。

こっちは、日本での休暇中なんだから、ハイチにいる時みたいに怒りたくないんですよ。

桜に疲れた心を癒されに帰ってきたんですよ。

それをあなたって人は・・・。

ちきしょー。

悔しすぎて、大人げなく、何も言わずにその場を去りました。

 

こうなったら、何が何でも法務省を動かして帰国前に再度証明を発行してもらうしかありません。

えーーーーん。涙