地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

ルワンダ・ゴリラ

2006年04月30日 | rwanda
日本ではあんまり知られていないけど
ルワンダと言えば マウンテン・ゴリラ

どおぉぉぉしても見たかったわけではないけど
しかもめっちゃ見学・案内料高いし(ルワンダ在住外国人200ドル、旅行者375ドル
ルワンダにいる限りやっぱ見とかなあかんやろ
っちゅーことで行ってきましたぁー


ゴリラはキガリから2時間ほどの
ルヘンゲリというルワンダの西の方の山脈にいます
山に辿り着くまでの道がすごいのなんのって
岩でゴツゴツしてるし
雨季で道はぐちゃぐちゃだし
「そこまでして見たくないねんけど
と思うこと1時間半

近くまでいってあとは徒歩
私たちと一緒にいた南ア人カップルは
いかにも「登山慣れしてます」という感じで
登山ブーツに スティックに 軍手に

それに比べて私たちは
「ジーンズ汚れたら嫌やし」とジャージにスニーカー

あんた、どう見ても 近所のおっさんやんか!
という出で立ち

雨でぐちゃぐちゃの泥んこ道
竹やぶジャングルの中を黙々と歩きました


途中に「ゴリラのごはん」(ゴリラは草食動物なのね)だという
めっちゃとげとげの葉っぱが手に触れて
めっちゃ痛い。
っていうか痺れてるし!!!

っていうか ここまでしてゴリラ見たくないねんけど!

まだかいなー はよ出てこいやー
とブツブツ言いながら40分
この40分というのはなかなかラッキーらしい
3時間歩いた人もいるらしい
(5分で遭遇できた人もいる)

い、いたーーーーー



私たちが見たグループは
シルバーバックという背中が銀色のオスゴリラ(写真)率いる14匹のグループで
それはそれは むっちゃようけ葉っぱ食うてました
そんなに食べたらさぞ便通はいいだろうっていうくらい食べていました
(そういえば道端で見たウンチは抹茶ようかんのような緑色だった)

人間に慣れているらしく
5mくらいの至近距離で
ちょっと興奮して写真をとっている私たちに見つめられながらも
むしゃむしゃ葉っぱを食べることを止めませんでした

シルバーバックはあんまり大きくはなかったけど
でも200kgはあるらしい

ていうか 手がでかい!


そのうちすごく晴れてきて
他のゴリラが7匹くらい出てきて
子ゴリラとたわむれたり
寝転んだり
ノミとりしたり
足の裏かいたり
本当に気持ちよさそうにひなたぼっこしていました




私たちがじーっと見てても
「何がそんな珍しいねん」という風で
ほんとに無防備に仰向けに寝そべっていました


ちょっとくつろぎすぎとちゃいますか

そんな彼らを見て 
「やっぱり進化論は本当だ 私たちは大昔はマウンテン・ゴリラだったのだ」と思わざるを得ませんでした
だってこういう人間 いくらでもいるよ

そして本当に 彼らの気持ちがわかるようなな気がしたのです
心がどこかでつながっている気がしたのです


そして本当に幸せそうな彼らを見ていると
人生で本当に必要なのは家族だ

という哲学的な気持ちになったり

仕事なんてどうだっていい

彼らの仲間になりたい

などとも思ってしまいました


そしてもう帰ろうか と思ったそのとき
ある1匹のオスとメスの間で
ガイドさんも「めずらしい」というmaking loveが始まってしまったのです

まじで!
公衆の面前で!

っていうか めっちゃ腰動いてるですんけど!

い いけない
ついお下品に・・・

そして私たちの目線を釘付けにして
それはほんの30秒くらいで終わりました
っていうか 早いんちゃうん アイツ!

そしてそのあと メスの方が「めっちゃ痛い」と言っていたかどうかは定かではないのだけど
とにかくあそこをずっと見てまして
となりでオスがしゅーんとなってて
「っていうかごめんやし」と思っているのか
「ごめん・・・ちょっと早かった・・・」と思ってるのか
とにかく明らかに反省している様子


そしてメスは「もう嫌やわ」とどこかへスタスタ行ってしまいました

としか思えない光景でした


いやー さすがゴリラ 他人事 いやゴリラ事?とは思えない

そんなに見たいわけじゃなかったけど
まあ ええもん見させてもらいました
っちゅー感じでした
え 最後のじゃないよ

ちなみに私のカメラはあまりに興奮しすぎて
例の場面のときに壊れました
私のカメラは私に似て純情すぎて
ついていけなかったみたい

Japan is fragile, Australia is for real

2006年04月16日 | rwanda
今日のルワンダの新聞 NEW TIMES(約50円 隔日発売)のスポーツ面の表紙

そう 我らの中田くんです

WORLD CUP PREVIEWだそうです


この記事によると

JAPAN IS FRAGILE …BUT CAN DAZZLE IN ANY GIVEN MATCH


まあ脆いけど やるときゃやるよ みたいな
・・・よくわかりません

でも記事の内容は 中田、中村、そして大黒の3人を紹介

この記者、ちょっと渋いっす


そしてワールドカップのスタメン予想まで
ルワンダの新聞に ある意味心を躍らされました

それによると。。。
GK 川口
DF 中澤、宮本、加地、アレックス
MF 中田、中村、小笠原、小野
FW 高原、大黒

ですってよ!!!

ほんまかいな!

どこから手に入れた情報か知りませんが
きっと日本の誰かに聞いたのでしょう・・・

久保が入ってないな・・・


そして 日本をなんとなーく褒めといて

その裏面には 
Australia is for real  ・・・

(オーストラリアは本物だ)

何ですか、ソレは!!!

もう買いませんっ っと言いたいところですが
これが唯一の英語の新聞なのでそういうわけにいきません


ところでワールドカップのチケットの入手法を知っている人は教えて下さい
私ではなくて 知り合いが行きたがっているので

ジェノサイド週間

2006年04月15日 | rwanda
4月7日の記念日を出張によって逃してしまったぁぁぁと思っていたら

何のことはない

1週間は「記念週間」で

ダラダラと「喪」に服していました


その間 ギソジ記念館ではほぼ毎日何らかのセレモニーが開かれていたし
テレビ、新聞はジェノサイドのことばかり

そして驚くべきことに
スポーツ禁止
ジムもプールもゴルフ場も閉鎖
ラジオはジェノサイドに関する歌以外禁止
レストランも音楽なし


ルワンダは独裁である

どうも押し付けられている気がして仕方ない

自由や個性がない感じ

日本以上に 右向け右で
自分勝手は許されないの


せっかくなので友人に連れられ
ギソジ記念館の式典に参列してみました

誰でもウェルカムなので
政府要人から孤児から未亡人も沢山来ていました

何人かが「94年のあの日にこーなってこーなって生き延びた」
みたいな話をしていた
と思う

実際 キニヤルワンダ語で何を言っているかさっぱりわからず
2列目に座らされたにも関わらず
得意の居眠りをしてしまいました

でもルワンダ人も結構寝ていました


でも居眠りしていても
現実は辛い日々なのよね

孤児8人兄弟で 両親が殺され
一番上の18歳の子が 下の7人の面倒を見なくてはいけない子の話が新聞に載っていました
当然学校もあきらめ
仕事もバナナ売り 大した収入のわけがない
その下の兄弟たちは 物乞いをしたり

それでも物乞いには私はお金をあげない
たった20円もあげない
だってその子達がずっとそこにいてもいいと認めてしまうことになるもの

でもそこに立たなければ
他に食べていく術はないのよね

結局 何もしてあげられていないのかと思う毎日
もう8ヶ月が過ぎてしまいますー

さて、結果は。。。

2006年04月14日 | rwanda

上海での短水路世界選手権に出た うちの選手

エイマブル 50Free 30.77
パメラ   50Breast 44.95

なんと出場選手中 ビリッけつ でした

でも頑張った・・・

エイマブルは3秒くらい自己ベスト

パメラはよくわからない

パメラのお母さんにタイムを伝えたところ

「25m?50m?」

いやー 25mのわけないっしょ

「あら めちゃめちゃ頑張ったじゃないの!!!」


お母さん これでも水泳連盟副会長・・・


でも 二人とも勉強になったと思う
パメラの種目には世界記録保持者(エドミストン、豪)も出ていた
50mで15秒くらい違うのだけど
ちゃんとその目で泳ぎを見てくれてたらいいな


私は忙しさにかまけて
全然練習を見られてあげてなかったから反省

頑張ったけど やっぱビリは悔しい

ごめんよぉ


次に期待しよ

私ももういなくなっちゃうけどさ

虐殺記念日

2006年04月12日 | rwanda
4月7日は12回目のルワンダ・ジェノサイド(虐殺)記念日

12年経った今でも
ルワンダにおいて ジェノサイドの記憶は今も色濃く残っていて
あの出来事を ルワンダ人は簡単に忘れることなんてできない
むしろ 忘れてはいけないという
4月7日はルワンダ人にとって 
1年で一番重要な日かも知れない

その日は チャンググというコンゴとブルンジに隣接する地方で
記念式典が行われた
なぜチャンググだったかというと
毎年持ち回りで各県で行われているらしく 
今年はチャンググだった
チャンググには大統領はじめ 国の要人が集まり
各国大使や開発ドナー関係者も集まったらしい
(私たちはナイロビ出張のために行けませんでした)

その前でカガメ大統領は またまた辛辣なスピーチをしたらしい
「94年のあの時 国際社会は何もしてくれなかった」
「そんな奴等に何もいう権利はない」

詳しくそう言い放ったかは定かではない
(私にその話をした人の誇張が入ったかどうかもわかんない)
でもこのアフリカの小国から 凄い権力を発揮しているカガメ大統領は
(私は独裁以外の何でもないと思っている)
94年に起こった出来事を
公然と国際社会のせいにして憚らない

ルワンダは被害者だ、と

こういうことで 国家統一を図っているように見える

ジェノサイドの原因にしてもそう
「ルワンダは昔 フツ族もツチ族も隔てなく暮らしていた
植民地支配になって 作為的に部族の境界、優劣関係が作られた
=悪いのは旧宗主国と94年に助けてくれなかった国際社会」
これが大半のルワンダ人が信じている考え

私には最初ちょっと違和感があった
人のせいばかりにして
ちょっとあんたたちズルくない?


だけどこれは戦略
A級戦犯はちゃんとタンザニア・アルーシャの国際法廷で裁く
「あの日に誰があーした こーした」という細かいことも
未だにコミュニティ主体の「ガチャチャ法廷」で裁く

正義は正義

だけどその人たちばかりを責めてもいられない
悪かったのは他人ってことにして
仲良くやっていこうじゃないの
ってなもんじゃ

これがルワンダ流「和解」

細かいところはちゃんと直面しながら
でも大義では かなり政策めいている
この背後には 沢山隠された問題もあるけど
長くなるから それはまた別の話


さてジェノサイド記念日

キガリ市内にあるジェノサイド記念館や国立スタジアムでは
週末に毎日イベントが行われた
何をしていたかというと
みんなで残虐な話の証言を聞いたりして
蝋燭を点して歩いたり 歌ったりしたらしい

ラジオもずっとそんな歌ばっかだった
「イブ~カ~」(キニヤルワンダ語でrememberという意味)
ルワンダっぽい キックのないつまらない音律

テレビでは虐殺の映像が流れまくりらしい
殺害の現場や 死体の山の隣を難民がぞろぞろ歩く場面など
かなりグロテスク 生々しいらしい
うちにはルワンダの番組は入らないから見てない
怖いしさー

国全体が喪に服しているみたいで
元気ないのは気のせいだけじゃないだろう
この時期に自殺する人も多いらしい

ルワンダの4月は悲しい月
日本では桜が散り始める頃
地球の裏側ではこんな出来事が行われているのです

世界短水路

2006年04月08日 | kenya
ケニアに出張中

日本の対ルワンダ援助について 
ルワンダ現地ODAタスクフォースで議論しました
ルワンダには大使館はなくてケニアが兼轄なので
ODAタスクフォースもケニアで開催されます

私にとっては 最後のODAタスクフォース出席


しかし やっぱいいな ナイロビは

車は多くて 運転は荒くて 危険だけど
ゴミゴミしながら やっぱすっごい発展してる
ルワンダと比べるとね

貧富の差は目立つけど
今は疲れているので「貧」はちょっと忘れて
「富」しか見ないの

日本人がいっぱい
みんな温かい
癒される。。。

出張中は余計な仕事は忘れられるし
JAVA CAFEもあるし

何より ネットが早いし


話変わるけど
今 上海で行われている世界短水路選手権に
ルワンダ代表で
パメラとエイマブルが行ってます

自己ベスト出しますように!(←正式なタイムなんて計ったことないけど)

日本代表チームで派遣されてるお友達が
お願いしておいた要らない水着を彼らにプレゼントしてくれた
ちゃんとレースも見てくれた

じーーーーん。。。


ありがと。

選手にとっては かけがえのないプレゼントになると思う


この間日本に帰ったときも 木原光知子さんが
スクールにある型の古い水着とゴーグルとキャップをたーくさん寄付して下さって
それを水泳連盟に贈与した

本当に本当に ありがとうございました


ナイロビに来たら 何かセンチメンタルになってしまいました

あと1ヶ月の任期

残りのルワンダの生活を大切にしていきたいです