地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

World Swim for Malaria

2005年11月28日 | swimming
ワールド・スイム・フォー・マラリアの一斉開催日12月3日(土)まで
あと一週間
になってしまいました

まだまだいろいろありますが
最大の問題は 
12月3日当日
私は1万㍍ 完泳できるのでしょうか?!


ぜーんぜん練習してないし
体重もぜんっぜん落ちないし


でも やり遂げなければ

私を応援してくれている人がいるから

蚊帳1個600円
すでに募金が3万2千円だから
私が泳ぐことによって55個も蚊帳買えるの!
55人の子どもたちが
蚊帳の中で安心して寝られるの

もし1個の蚊帳で2人が寝たとしたら
100人以上だもん
(だからって100人の命を救うっていう解釈にはならないんですが
だって蚊帳の中で寝なかったら全員死ぬわけじゃないから)


これを読んだ皆さま

ぜひ12月3日(じゃなくてもいいから)に近くのプールに行って
10mでもいいので
一人でもいいので
泳いでください
そしてウェブに登録してください


それか どうしてもイヤっ 無理っ 
っていうかアタシそこまでアッツイ人じゃないし
太って水着切れないしっ

・・・なんていう人のために
あら 何てラッキー!!!
もれなく次のオプションが!!!

このページスポンサー・ミー!からぜひ私のスイムに募金してくださいっっっ


ほんとは お願いごとは好きじゃない

ましてや人に募金を頼むなんてね

でも 今まで20年間以上自分のためにしか泳いでこなかった私が
他人のために泳いで
それで命を救えるの

もっともっと多くの蚊帳を買いたい
それを背負って
私は来週土曜日 ケニアで1万㍍完泳しまぁーす!


            だ、だいじょぶかな。。。

交通セクター会合。。。

2005年11月24日 | rwanda
勤労感謝の日だというのに
「交通」セクターの会合が一日中あった

なんと朝9時から始まって 
またまた一人一人がマイクを持ったら放さない 放さない
終わったのは19時

おおぉぉぉぉーーーーーい  
私の休日を返せーーーーー




日本は以前からルワンダへ公共バスを供与している

どんなに細い道、田舎の道でも通っている
そんなところを通るのはこのオナトラコム(公社の名前)のバスだけだから
すごく愛されているバスだ

そのバスが 日本の国旗をつけて走っているのだ
私はいつもとても誇りに思っている

日本がルワンダで援助を開始してから
ルワンダ政府が真っ先にしたリクエストは

「オナトラコムにバスを」

今度またバスを大量に供与する


私はそのバスに
HIV/AIDSに関する啓蒙のメッセージをペイントするべきだと主張している
みんな見るものね


それはさておき 交通セクター会合
年に数回しかないらしいが もちろん初出席

前の「水」分野の会合はフランス語だけで死んだ
だから今回は会合のオーガナイザーに
「ぜったいに英語の同時通訳を入れておくれー」
と頼んでおいた

今日は少しドキドキしながら行ったけど
同時通訳を雇っておいてくれていました
40人くらいの参加者のうち
同時通訳のイヤホンをつけているのは私以外にあと2人くらいだったけど。。。
同時通訳は異常に高いのだ
ごめんなさいー


ルワンダは94年の大虐殺以降、英語を公用語に加えたけど
やはり大半はフランス語が多い
ルワンダはアフリカで最初の「バイリンガル」(英語と仏語両方)の国になろうとしているのだ
バイリンガルと言っても
もちろん母国語のキニヤルワンダ語は全員が話すし
スワヒリ語を話す人も多い
だからほんとのところは「クワドロリンガル」(4ヶ国語)

政府の役人たちは 朝7時から3時まで働き
そのあと英語のレッスンをしている 立派
語学教室のために 政府からちょっとした援助も出るらしい


いつも思うけど 英語を話せる人は横柄なのだ

英語スピーカーは 英語しか話せない人が多い
当然とばかり あまり努力をしない
仏語スピーカーは英語も話せるか
一生懸命勉強している

私もその横柄なENGLISHスピーカーだ
仏語は そのうち。。。

それにしても
会合の間に私が他の文書を読んでいたり
携帯メールしてたら(仕事のね)
司会のインフラ省次官に何回か

「マダム・イモト 何かコメントは?」

と聞かれた

しかも フランス語で


私は授業中に突然先生に当てられた居眠り高校生の時みたいに

は、は、は、はいっ Σ( ̄ロ ̄lll)

とシドロモドロ

フランス語で話さなきゃいけないのか? いや それは絶対無理っ では英語で?でもさっきの話あまり聞いてなかったしーーー しかし何でこの次官は会ったことないのに私の名前を知っているのだ?! きゃああぁぁぁぁ


しかしこういうときのアピールは大事
あたふたしている場合ではない
日本の交通セクターへの貢献などさくっと話したら
興味をもたれてしまった

それもまずい
多くは確約できませんから。。。

あー どっぷり疲れた 勤労感謝の日でしたー

南スーダンからのお客様

2005年11月19日 | rwanda
南スーダンの平和和解委員会のスタッフ数名が
どやどやとルワンダにやってきた

今 アフリカでもホットなスーダン
和平協定は結ばれたものの
本当の平和にはまだ程遠い気配

そんなスーダン人たちがルワンダの経験から和解について学ぼうとやってきた

彼らと一緒にいて
これぞアフリカ人!
ルワンダ人はやっぱ大人しいなー
と改めて思わされた

とにかく陽気
車で移動していても 笑いが絶えない


今回来たメンバーたちはみんな味のある人たちだった

団長であるコマンダー(写真)は 
南スーダンでは大臣クラスにあたる人だが
そうとは思えないほど人が良くて
ものすごくフレンドリーで
だけど内心 

なんて単細胞
こんな人が一国のエリートだったら終わってる

と正直と思っていたら
最終日の夜のスピーチでキラリと光ることを言っていた
観察眼、分析も鋭くて ギャグもキレルではないか!!!

コマンダー、見くびっててごめんなさい!


もう一人 まだ20代かと思われるアコール
兵隊だったが
あまりにも口が立つので政界に入れられた

彼はきっと将来 スーダンを背負って立つ男になる

しかし彼の髪の毛は
ジャクソン・ファイブより少し短いくらい ボウボウだ

もしくは・・・ マ、マリモ?

南スーダンは復興、再建ではなく国家建設と言われるくらい発展していないと言われるが
床屋もないのか


・・・そんな彼が言っていた

「ルワンダ人は言葉を奪われている
これは虐殺の後遺症と
言論の自由を奪う現政権の影響だろう」

1週間もいなかったけど
彼にはすぐわかったのだ

髪型は変だけど 頭はキレル


彼が言うように 本当にルワンダ人は大人しい

大声で笑ったりしないし
他のアフリカ諸国みたいに
歩いていてもあまり話しかけられない

私は 虐殺の影響か もともとそういう人種なのかは分からなかった
アコールははっきりと前者だと言った



カガメ大統領の強力なリーダーシップのもと
国は和解しているように見えるが
ルワンダの人々の胸には深い深い傷が残っている

日本以上に トップダウンの国だ
反抗は許されない

みんな声を押し殺して
早くこの悪夢から解放されるまで
じっと時が過ぎるのを待っている

いつこの状態から抜けられるのだろう?


そしてスーダンは?
今回来てもらった人たちによって
明るい未来が開けるといいな

ハツカネズミ

2005年11月17日 | rwanda
私はまだ若いのだろうか

私はまだ青いのだろうか


カリカリカリカリ・・・ 


だってさあー!

おかしいじゃない!
朝7時に来るっていったのに8時半まで来ないなんて!
8時半から会議がはじまるのに
まだプログラムがプリントアウトされていないなんて!


別にね いいんですよ 私は

日本みたいに
用意ができていないからって誰かに怒られるわけじゃないしね
そもそも 私の仕事じゃないしね
第一 だーれも焦っていないんだしね

でもね 皆さんをお待たせしちゃうじゃないですか
政府のお偉いさんも来るのにさ

そういうことを何で気にしないんですか?

私だけがおかしいんですか?

なんでそんなに無責任になれるのですか???


こんなとき やっぱり私は日本人だと思う
(そうじゃないと思うことが多いが)


やっとの思いでプログラムを外で印刷して戻ってきた
遅れてても 慌てない 慌てない!
気にしなくていいらしいから
と言い聞かせ・・・

と思ったら プログラムを待っているんじゃなくて
外務大臣が来ていないから会が始められなかった
滑り込みセーフで
余裕で1時間遅刻して来た外務大臣が入ってくる前に
プログラムを配り終わった

結果オーライ。。。


・・・しかし

・・・・・
・・・・・

深呼吸・・・・。

ど、どうして

会議が1時間半も遅れているのに
その後の予定を調整しないんですかぁぁぁ?
夜中まで会議をしたいのですかぁぁぁ?

さらに
遅れていると分かっているのに
どうしてこのアフリカ人たちは

一度マイクを持つと放さないんですかああああああああ?

15秒で終わる質問の前に
なぜ5分もダラダラと前置きをするのですかぁぁぁぁ


いちいちカッカしてたらエネルギーもったいないよと言われた
そうしている気はないんだけど
アフリカン・タイムには慣れたつもりでいるんだけど

やっぱりまだ 理解ができません。


何だかアフリカにいるといつも
自分だけ
大車輪の上のハツカネズミみたい

一生懸命走っているのに
ぜんぜん進んでいない感じ


私はまだ若いのだろうか

きっと そうなのだ!
ワーイ

事務所はできたが・・・

2005年11月02日 | rwanda
信じられないことに

住所がないのです。


ストリート名がない。

郵便の配達先が書けない。

郵便が来ると、どうするかというと、電話がかかってきて、

「○○地区の、ケニア大使館の裏の、ケア・インターナショナル(NGO機関)の隣です」

と答えるのです


これはおかしいぞ!!!!!