地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

選挙に行けない~

2005年08月31日 | kenya
ケニアからも今回の選挙で投票することができる
「在外選挙」

日本を出るときに
住民票をケニアに切り替えてきたし
ルワンダなど大使館のない国では不可能だけど
ケニアではできるっ
と張り切っていたけど・・・

まだ来て3ヶ月だから
在外選挙人名簿登録が間に合わなかったらしい
よって
         投票権ナシ

今日 事務所の日本人はそそくさとツアーを組んで
日本大使館へ行った

      ・・・置いてかれた 

小泉総理が こんな私のために
解散をもう少し遅くしてくれてたなら。。。
と思うと悔やまれる
特に今回のような大事な選挙に・・・

私は日本にいるときは選挙を逃したことはなかった
投票日が出張と重なったときだって
不在者投票もしてきた


選挙には人一倍関心がある
その昔 参議院議員秘書をしていましたから

当時の参議院選挙を思い出す

議員は比例代表だったから
全国を回った

なぜか うぐいす譲もやりました

ちょっと向いていると思ったりした

そして ここだけの話
うぐいす譲のくせに 箱乗りしてしまいました 
             コラー


そんな私の赤裸々な過去はどうでもいいのだが
とにかく 1票は大事だ

みなさん 投票に行きましょう

要請主義

2005年08月26日 | rwanda
JICAの事業は「要請主義」というやり方で行われます

と、とつぜん、なんだよ。。。と思われた方はごめんなさい
でもね どういう風に日本の援助が行われるのかも 
ちょっと知って頂きたい気分のときもあるのです

「要請主義」とは?
 
こちらから「あんたの国 これできてないから これやりなさい」と押し付けるのではなく
相手国政府の意向を聞き
彼らのやりたいことを要請してもらうってこと

それに従って日本側(外務省とJICA)で
プロジェクトの内容を決めます

途上国にとっては こんなに寛大なやり方ないと思うのに

書類がなかなか出てこない。。。

はやく出せーーーーー

と突っついても出てこない
聞くと
8月はバケーションシーズンだから
政府関係者はほとんどお休み

        ・・・ ワシハ ドナイシタラ エエネン...


休暇中の大蔵省担当者をやっとのことでつかまえた

「あんなー これ出されへんかったら来年援助なくなんねんでぇ?!」

とは言いませんが

「あのー もう相当時間的にヤバイんですけど、、、」と聞くと・・・ 

「ナ、ナオコ 見捨てないでくれ 
僕は一生懸命やってるんだよぉ
僕も休暇だけど こうして必死にやってるよぉ
でも次官がサインしてくれないんだよぉ
そしてサインしないまま
大臣のところに持っていってしまったんだよぉ
大臣はまだ昨日赴任したばかりだから
そこまで回ってないんだよぉ
僕も今日も3回も大臣の部屋の前まで言ったんだけど
なかなかサインがもらえないんだよぉ」

・・・・・・。

     たわけっ


私は理解に苦しむ

重要な事態なんだから
秘書を説得するなり
上司を説得するなり
何とかしてサインのひとつやふたつ取れよーと言いたい

でもダメみたいなのだ
ルワンダは 相当タテ社会のようだ

日本もそうかもしれないけど
この怖いもの知らずのじゃじゃ馬は
あまり気にしてこなかったホホホ

だって 誰がどれだけ偉かろうが
大事なものは大事だもの

でもやっぱ 省庁のヒラ職員が大臣に会うには
敷居は相当高いようだ

そりゃそうか

でもぐずぐずされても仕方ない
きっぱり ばっさり 冷たく切る私オホホホ

「出てこなかったらそれまでです
来年の援助がなくなっても
私の知ったこっちゃぁありませぬ」

脅し?が効いたのか
担当者はとうとう大蔵大臣のサインをもらい
外務省のはんこももらい
私の出発寸前に
息を切らしてホテルまで来てくれた

でも何か変・・・
本来なら 要請「される」はずなのに
こちらが「要請しろーーー」と突っついている

これでいいのか?

よくわからないけど
メルシー エマニュエル

あなたの苦労と頑張りが実るように
一つでも要請案件が採択されるように
私 がんばるね

歩くことが冒険

2005年08月21日 | kenya
今日は一気に気温が上がった
コートを脱いで いきなり半袖に

久々のエクササイズ・サタデー

ナイロビは物騒なので 普段は車移動だけ
道を歩くことがない
あまりの運動不足に 発狂しそうになるので ムズムズ
週末 日中だけは外を走る


外を歩く時の掟 (勝手に作った)

1.ぜったいにバッグを持たない
クレジットカードと少々のお金をポケットに突っ込んでいく
帰りに買い物しなくちゃいけないから。。。

2.走る
こわいから
いつも走る格好をして外に出る

それだけではない
走りながら

たまにボクシングの練習をするフリをする。

(↑私なりの威嚇)
           

ストレートだけではなく フックも入れてみたり。

これだけやれば 誰も襲わないだろう。


ふぅ 二の腕が揺れるわ・・・(-_-;)


すぐ疲れて 歩き出すと
冒険がはじまる

普段歩かないから
いつもは気づかない発見が面白い

今日のナンパは やはり物乞いだ

「Madame, J'ai tres faim」

おっと フランス語だよ。。。

物乞い相手に 習い立てのフランス語を試してやろうという
ちゃっかり者の私

「どこから来たの」
「コンゴだよ」
「難民なのね」
「そう お腹空いて倒れそうなんだ そこの売店に一緒に行こう」
「でもお金持ってないの」(カードはあるけどさっ
「じゃあ明日くれ」
「明日はルワンダに行くのよ ばいばいっ」

次はメイズ(とうもろこし)売り
ケニアには 焼きとうもろこしを道端で売っているのをよく目にする
1個20円くらい
ちなみにガーナには焼きプランテーン(食用バナナ)がよくあって
あれはおいしかったな
メイズはイマイチ

買ってよ シスター と言われるが
ここはシカト


また少し歩くと
人が倒れていた 
それも5人も

いえいえ 倒れているのではなく

寝ているのです

温かくなって気持ちいいから
日陰で爆睡しているのです
でもちょっと怖いよ・・・

ショッピングセンターに着く
買い物をして 帰りはタクシーに乗る
ひったくりが怖いから

ウォーキングはアドベンチャーだ
これからも もっともっと外を歩こうっと

出張だー

2005年08月20日 | kenya
今日は朝からばたばたばた

急にルワンダ出張が決まったのだ

出発は・・・ 
      ふ、二日後  

しかも今日は金曜日  ひえ~~

まず飛行機だ
いつもは秘書のDちゃんに頼む

振り返ると あれ Dちゃんがいない
自分で旅行会社に電話する
「いつもすみませーん 急で~」

そしてホテルの予約
いつも秘書のMちゃんに頼むけど
Mちゃんはちょっと仕事が遅いのだ
今日は自分でやろう。。。

次は安全確認のため東京の本部にファックス
ルワンダは平和だけど 
出張の際はいちいち安全協議をしてもらわないといけないのだ
「出張安全確認は早めにお願いします」というファックスの回答と
担当者のしぶ~い顔が目に浮かぶ
そういいながら 上司4名のサインをもらわなければならない

事務所内を 走る私

あとなんだっけ
そうだ お金だ
これまた直前につき 
会計担当の苦笑いが目に浮かぶ
お願いだから今日中に下さーい

JICAはお国の機関ですから
出張旅費も公金(=皆さまの血税)
上司の決裁をいくつも頂かなければならない

事務所内をしゃかしゃか 駆け回る私

ふう お金下ろせたわ

そうだ 出張中のアポをとらなければ

ルワンダに電話する
電話する
電話する

・・・・・・

    ハイ、通じません

どうせいつものことさ 


そうだった だからわざわざ行くのだった 

ケニアのごはん

2005年08月18日 | kenya
いつも「アフリカで何食べてるの?」と聞かれるので

ケニアの一般的な料理を紹介

しかしこれは
私が「いつも食べない料理」である

『ウガリ』といいます
とうもろこしをすったものでできている
手のひらにとり 片手で握るようにこねて
スープにつけて食べる

・・・無味。

スープだってとびきりおいしいわけではない


隣に添えてあるのは緑のは 『スクマ』

・・・青汁の味。

           


これで1ドルくらい

どちらも代表的なケニアの食べ物ですが

ぜんっぜん おいしくない

ケニアの人はなんでこんなものが好きなのか?

みんないつもウガリを食べて育ってきたから
それが好きなのは理解できるけど
私は 絶対にウガリを好きにはならないと断言できる

ところで 日本を離れてからいつも
そしてアフリカに来てからますます思うのは
料理の数が少ない 
そして皿の数が少ない
ワンディッシュ料理が多い

日本人は一回のごはんで
マメにたくさんの品数を作りますよねー
おかげでバランスがとれて
健康的な身体が作れる
アフリカ人はウガリとスクマだけだから
栄養が偏っていると断言できる
それしかオプションがないんだけど・・・


・・・ではイモトは普段何を食べているのか?

今夜はお気に入りのイタリアンに行きました

いつもはほとんど自炊
何でも作りますよー
お昼はお弁当
面倒くさいときは
オフィスの下のカフェでサラダを食べたり

こらー
おもろないやないかー

世界陸上3 -ユニフォーム泥棒-

2005年08月17日 | kenya
ヘルシンキは見るからに寒そうだった
選手たちは雨の中 震えていた
レース直前まで温かいジャンパーを羽織っていたのを見た視聴者も多いだろう

ケニアの選手たちは不満を漏らしていた
この寒さの中 ユニフォームの支給が一着ずつしかない、と

そんな中 ショッキングなニュースが

『ケニア陸上代表チームのユニフォームが
ナイロビ市内の店で売られてた

フェーク商品か?との噂が出たため
ケニアオリンピック委員会の役員は
わざわざヘルシンキへそれを持ち寄り
ナイキの職員が それはホンモノだと確認したから
さあ 大変

近く取り調べが行われる
疑われているのは役員

この記事にはさすがに私もちょっと笑ってしまいましたが

やっぱり    がくぅー  です

隙さえあらば
何でもお金に換えるのだ

貧しいからといって
モラルもクソもないのです
この国の人たち

警察でさえ 
シートベルトや飲酒運転のチェックを路上でするのは
賄賂を稼ぐため

いつまでたっても慣れない この現実

がんばろう・・・

世界陸上2 -新聞報道-

2005年08月15日 | kenya
昨日のケニアの新聞"Nation"にはこんな記事が

「男子マラソン大失敗 残る望みはンデレバだけ」

きっつぅ~。。。

尾方選手が銅メダルを獲った男子マラソンで
期待されたケニア勢の最高順位が7位に終わったのに対してのこと

これだけではない

「They were no better than pedestrians」
(歩行者とさして変わらない)

        ひ、ひどすぎる。。。


普通の歩行者は42.195km走れねーよ・・・(-_-;)
(ケニア人だったらみんな走れるのかも?)
これじゃ 日本の新聞なんてかわいいものだ

こんなバッシング受けるのだから
ものすごいプレッシャーを背負って戦うのだろう

なんでそこまで言われなくちゃいけないの
って感じですけど
ケニアの選手は「お国のために」と思って
プレイしているのか?

何だか・・・ アトランタ五輪を思い出すわ・・・


昨日の女子マラソンで2位に入ったンデレバはすごい
こんなプレッシャーを背負っても
コンスタントにメダルを獲る
昨日のレースでは途中で足がつってしまったそうだ
33歳 執念の人だ
ケニアでも "Catherine the Great"と称えられている

昨日のケニア勢は
男子5000メートルでようやく金メダルをとり
これでメダルテーブルは金1 銀2 銅4

今まで気にとめていなかったけど
中長距離レースに ケニア勢はゴロゴロ出てきた

トレーニング場所や
栄養、科学トレーニング、ユニフォームなど
環境が整っていない中で
どんなトレーニングを積んでいるのだろう
標高が高いから中長距離ランナーには好環境とはいえ
国からのサポートはあまりないらしい

ここには逸材が星の数ほどいるのだろう

日本の大学駅伝にも
沢山のケニア人を送り込んでいる
(日本人のリクルーターがケニアにいるの)

これでアメリカみたいに
トレーニング環境とサポート体制がばっちり整っていたら
世界陸上やオリンピックのメダルなんて
総ナメしてしまうんだろうね

あっぱれ ケニア

世界陸上

2005年08月12日 | sports
為末選手の銅メダル獲得 素晴らしいですねーーー

私は2002年、彼がエドモントン世界陸上で銅メダルを獲った後に彼を取材している
それからプロになり
アテネ五輪や他の大会の彼を見てたけど
あまりパッとせず
かなりフラストレーションが溜まってるんだろうなぁと思ってた
いつかやってやる!と必ず思ってたはず

メダルというのは不思議なもので
一時的かもしれないけど
それだけでテレビに出られたり
メダルを獲ったから「恩返し」とまで言えちゃったりする
メダルを獲ることは確かに素晴らしいけど
その露骨な評価の明暗には疑問を感じることはある。。。

とにかく よかった よかった


さて今大会 私はちょっと違った世界陸上の見方をしている

ケニア勢に注目してしまいます

これまでに銀1個 銅3個
それでもケニア人たちは
「俺たちは昔はもっと強かったんだ!
今じゃエチオピアにやられっぱなしだ!」

注:エチオピアは金2 銀2 銅1
メダルテーブルもアメリカに次いで2位

3000m障害では
ケニアが銀・銅をとりました

実はこの種目の金メダリスト・サイードはカタール人なのですが
もともとケニア人

お金のために国籍を代えたと言われる

「売国者め!」

ケニア人は怒っている
彼は今でもケニアでトレーニングしたり
家族もこっちにいるのに
彼のケニア滞在を拒んだりしているのだ

でも彼は祖国と引き換えに
世界記録保持者の名声と富を手にし
それはそれでなかなか立派なストーリーではないか
と私は傍観している

いろいろあります この国のスポーツも。。。
貧しいがゆえ。。。

今後もケニア勢が続々決勝進出!
貧困に負けずがんばっているケニア人たちを
みなさんも応援してねー

虫刺され

2005年08月07日 | rwanda
バタバタして終わってしまった
2度目のルワンダ出張

寒ぅ~いナイロビを出て
キガリ(ルワンダの首都)のポカポカ陽気は心地よかった
半袖になれて 
キモチイイーーー

暖かいのはいいけど
そうなると今度困るのは

           蚊です

いま マラリア予防の活動(ワールド・スイム・フォー・マラリア)をしているから余計にか
蚊が怖い
事務局スタッフがマラリアにかかったら洒落ならん

蚊帳がついているホテルを選んだけど
蚊がぶんぶん飛んでいる

マラリア病原菌を持つ『ハマダラ蚊』かどうか
飛んでいる蚊を目で見てわかるほど
私は蚊の専門家ではない
蚊はなんでも怖い

真夜中に
ぶーんという蚊の音で目が覚めた

ぎゃー 蚊帳の中に蚊が入ってるっっ

と思って目を開けると
顔だけ蚊帳から出ていた・・・

朝起きたら おでこに3箇所刺されていた
まーこういう場合はハマダラ蚊ではないと言いますがね

大変だったのは
蚊ではなく
ふくらはぎをダニか何かに刺されていたこと

これはたまらない

いつも私だけこれに刺されるのだが
みんなダニとか蜘蛛とか
好き勝手いっているが
実際よくわからない

見る見るうちに

手のサイズくらいにまで腫れ上がるのです

手のサイズといっても
手のひらではありません

指も含めた手のサイズです

もともとふくらはぎは細くはないが
片っぽだけ
お化けふくらはぎΣ( ̄ロ ̄lll)

ぱんっぱんやないか!!
しかもすんげー熱持ってるし

久々にやられた
シエラレオネ以来だ

やはりアフリカ
虫刺されといっても
ちょっとスケールが違うでしょ

こういうことがあると ちょっと凹むわ。。。

ヌーの川渡り

2005年08月02日 | kenya
ちょっとご無沙汰してしまいましたが
引き続きマサイ・マラについて
どうしても書きたかったことがある

それはヌーのこと

ヌーとは・・・ なんだ?
ヌーはヌーだ・・・

子どもの頃から
非常に老けた顔 カワイソウニ・・・

ヌーは遊牧する
草を求めて 大群になり
タンザニアとケニアを年に2回行き来する

毎年7月末くらいがその時期で
タンザニアのセレンゲティから
ケニアのマサイ・マラまで
草の匂いを嗅ぎつけて
ゆっくりと移動する

ラッキーにも大群に遭遇し
全部のヌーが通り過ぎるのを待っていると
何日間もかかってしまうらしい・・・

マサイ・マラの中心には
蛇行するマラ川があり
そこをヌーの大群がジャブジャブと渡る光景は
テレビでもよく放映される

私たちが行った時は
川渡りにはまだ少し早くて
まだヌーたちは広大なマサイ・マラの端っこに辿り着いたばかりだった
残念

でもマラ川のこちら側、ケニア側には
ヌーがチラホラといた
聞くと
去年置いてきぼりをくらった奴らだった・・・

・・・ヌーは馬鹿だった

草をむしゃむしゃ食べているうちに
はたと気がつくと
家族も含め
みんなタンザニアに帰っていってしまった
家族も家族で
置いていったことを忘れていた

半年以上経って
やっとみんながまた川を渡って帰ってくる

そのとき私は
信じられないほどかわいい光景を見た

なんと
去年置いてきぼりをくらったヌーたちが
一列に列を作り
川岸までお向かえに来ていた

まだなのに・・・
あと1週間くらいはあるのに

一瞬 とてつもなく
ヌーが愛しく思えた が
近くで見るとやはり老けててブサイクで
おまけに頭悪いから
川を渡る時に 前を走るヌーのお尻めがけて突進し
転んで簡単にワニに食べられちゃう
仕方ないヌーさんたちでした