地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

クリスマス in ルワンダ

2005年12月23日 | rwanda
大半がキリスト教徒の国だというのに
クリスマスという気配がない

お休みは25日、26日(ボクシングデー)、1月1日のみ
しかも25日と1日は日曜日

街を見ると 
クリスマスというのは経済に比例するのだと確信
年に一度だけの飾りを買うほど
どこの店も余裕がない
携帯電話会社や銀行など多少儲かっている会社だけが
ツリーを飾っている

写真はルワンダの伝統工芸のバスケットを
クリスマスツリーの飾りにしたものだけど
こんなのを買うのは外国人くらいだ
(私も何となくルワンダっぽいので買ってしまった)

でもふと気がつくと
ちゃんとイエス・キリストや聖母マリアやローマ法皇の写真が
レジの隅っこに貼ってあったりするのだ

慎ましく キリストの生誕日を祝う ルワンダ人たち

こっちの方がよっぽど健全だ


クリスマスに何をするの?
とルワンダ人に聞いてみた

「食って飲んで踊る」
「とにかく飲む。ビール、ウイスキー、ウォッカ、ジン・・・」


・・・。
        (あんま 慎ましくなかったかな 前言撤回)


世界各地のクリスマスを一通り体験したあと
日本のクリスマスは物凄く滑稽に映る
「いや~ん 今年も一人身なんて!」
などという発言は言語道断

今頃 表参道は幾千もの光に包まれて
シャンシャン言っているんだろう

「恋人たちのメリー・クリスマス」とか言ったり。


・・・あほか。

とはいうものの
人それぞれのバリューは尊重すべきだ
私がとやかくいう話ではない
使いたいお金は使えばいい
それだけ日本の経済に貢献しているのだ!


なぜか自分がひねくれているような気分になってしまったから
これ以上いうのはやめよーっと

かく言う私も
他人のお祭りに便乗して

しっかりお休みを頂きます


同胞

2005年12月23日 | rwanda
さて ルワンダには邦人が何人いるでしょうか?


ここのところ 急激に増えている 邦人人口

去年はたった2人とかだったらしいのですが
今年に入り JICA事務所ができたこともあり
いつの間にか 一人 また一人

昨日 NGOの方のご家族が到着し 一気に4人増

    現在   17人

JICAが6名(うち青年海外協力隊2名) 
国連3名 あとはNGOの方とか ご家族とか
みんな援助関係者です

しかし 圧倒的に女性が多いのです
17人中 男性は 5名
そして私に言わせれば
女性がみんな小さいのです
私より20センチくらい小さい人が何人もいるのです


かなり 謎 ルワンダ


何かの縁で
ランドロック(内陸)の 
魚といえばティラピアしかない
1週間あればすべてのレストランに行き尽くすような
誰に言っても「どこ?それ」というような
こんな国に流れ着いた17人は
すこぶる仲良し

海外にいるとき
日本人だけとのお付き合いは好きではないけど
いざというとき頼りになるのは
やっぱり同胞です


こんな国に来るくらいだから
みんな変わり者に違いないが
周りがみんな変わっているから 自分の変わり具合がよくわかりません

しかし「変わっている」という形容詞は
日本では良くない意味が含まれるけど
私はとても良いことだと思ふ


ひとつ言えるのは
みんなマイペースで そして逞しいのです

名前のお話 其の二

2005年12月19日 | rwanda
ルワンダ人の苗字はクソ長い(失礼)のですが
下の名前はこれまた面白い

すっごく前のことになるけど
ガーナの名前について このブログに書いたことがありました
生まれた曜日によって名前が決まるから
男女ともにほぼ7通りしかない

ルワンダは違う
いっぱいあって それもヨーロッパの名前が多い
元ベルギー領だから フランス語っぽい
一番多いのは エマニュエル と ビンセント
ジョン=ピエールとか ドミニクとかもある

ありきたりな 聖書からの引用 ジョセフ ピーターなども多い


あとよくいるのが Innocent (イノサン)
ご存知のとおり 「罪のない、純真な」という意味だ

歴代のローマ教皇の名前でもあるらしい
(インノケンティウスと発音)
だからやっぱりキリスト教からきている

しかし Innocent のくせに
嘘をついて人を騙したりする 
名前が台無しだ


かわいいのは
Desiré (デシレ=情熱)
Aimable (アイマブル=愛すべき)

しかし相変わらず 情熱などかけらも感じられず
ダラダラ応対したり
憎むべき に改名しなさい と言いたくなるAimableもいる
名付け親はさぞがっかりしていることだろう


余談ですが 私の名前は「素直に歩む子」と書きます

「真っ直ぐ」ではなく 「素直に」

・・・・・・。
             (コメントし辛いな・・・)

あまりにも自分に素直に歩んで
こんなところまで来てしまいましたー

だからお父さん お母さん
恨むなら我が身を!

長すぎです。

2005年12月15日 | rwanda
と思わずつぶやいてしまう
ルワンダ人の苗字

今日はたくさんのルワンダ人の名前をリストに書かなければならなかった

Rudasingwa
Nkurunziza
Baptaguhera
Biziyareniye
Hetegekimana
Ngiruwonsanga

みんなこんな名前なのです

思わず 母音、何個

と数えてしまいます

長いだけでなく
こんなに発音の難しい苗字を 
なぜ考えつけるのだろう?

最後まで言えた例がない
最初の3文字しか言えないのだ

ルダシングワ
ンクルンジザ
バプタグヘラ
ビジヤレニイェ
ヘテゲキマナ
ンギルウォンサンガ・・・

ンギルウォンサンガ?

ていうか これはどうなんだろう?


苗字の悪口を言ってはいけない。。。

みんな 好んでその苗字を持っているわけではないのだ
私だって「鈴木」とか「佐藤」とか もっとありきたりな名前に憧れたこともある
何で私は「いも」がつくのか
小学校の頃 「イモキントリオ」と言われたり
給食の時間 さつまいもやじゃがいもを食べると 「あー!共食いだー」
とからかわれたりして
自分の苗字を恨んだこともある。。。


でもルワンダ人は自分の苗字が好きなのだろうか

ンギルウォンサンガ氏は
自分の苗字を愛しているだろうか

小さいときから ちゃんと間違わずに書けただろうか

姉歯建築士?

2005年12月11日 | Weblog
日本のニュースにまったくついていっていない

そりゃそーだ

今までインターネットもままならない日々だったのだから

CNN、BBCなどは
テレビやラジオでちゃんとチェックしています

でも日本のニュースに関しては
なぜかルワンダの国営放送で流れた
紀宮さまのご成婚以外
あまり知らない
そして電撃結婚などのニュースをちらりと耳に挟んでも

誰だかよくわかりません。


芸能ニュースはどうでもいいとして
根っからジャーナリスト魂の宿る
このじゃじゃ馬にとっては
情報にアクセスできないことは
この上ない苦痛。。。


でも最近、とうとう事務所にワイヤレスLAN接続!!

    はーやーいーーーーーーーーーーーーーーー

その日はメール第1号を
嬉し涙を流しながら出した

というのは冗談ですが

これからはもうちょっと
ネットニュースを眺める余裕が出てきそう。。。 ウレシイヨオー


アフリカにネットなんてそんなに普及してるのぉ

とコバカにしたそこのアナタ


てやんでい!(←どこの言葉?)

今やアフリカでも
インターネットと携帯は常識です
少なくとも首都ではね
ちゃんと 速いです
でもね 1社独占状態だからべらぼうに高い
ひと月1万円くらいします
でも必要だから。。。 悔しいけど。。。



さてさて 世の中の流れからまったく遮断されていたある日

「姉歯建築士の記事を書きたいから
お父さんにインタビューさせてくれ!」

知り合いの新聞記者からだった


あねは?あねし?
        ハテ。。。

よくわかりませんけど
父に転送したら

新聞記事の一面に父の名前が載ったらしい


どうやら日本はアネハでもちきりらしい
そんなことないのでしょうか
今でも中身がよくわかっていない

よくわかんないけど

おとーさん でかした!

10000m、完泳しましたー

2005年12月07日 | swimming
つ、辛かった・・・


12月3日
朝9時から一人で泳ぎ始めた
ナイロビのYaYaセンターの水はすんごく冷たくて
きっと23度くらい
飛び込んだ瞬間に ぎゃーーーーーーーー

寒さで体中に電気が走ったみたいに痺れて

こ、こんな寒さの中で あと9950mも泳ぐのか?!
一気に弱気になった


いくら泳いでも身体はどんどん冷えていく一方で
何回もトイレに行って
そのたびにもう一度プールに飛び込むのにエライ勇気がいりました

ビート板もプルブイもパドルもなくて
素手素足

                 飽きた。。。


3000m過ぎたあたりから 心配していたとおり
肩凝りの場所がカチンコチンになって
自分の身体じゃないみたいだった

だんだんクロールで肩が上がらなくなってきて
一瞬「完泳できないかも」という思いが頭をよぎって
「あ!こんなことは考えちゃ絶対ダメ!!」と自分で掻き消す行為は
現役時代に戻ったみたいでした


10000m泳ぐと決めたときからこの3ヶ月くらいずっと
それがどのくらい辛いのか 五里霧中で
だけどこの寒さと 肩凝りさえなければ
もっともっとラクだったに違いない


昔はこんな風に
毎日毎日 プールを往復してたんだなーと
とても懐かしくなった

そしてまた こんなイベントのために昔みたいに泳ぐなんて
何だか 現実じゃなくて夢みたいな感覚もちょっとあって
ちょっと私はクレイジーかも と思ったけど
日本でもたくさんの人ががんばって泳いでくれていたし
たくさんのオーガナイザーがみんなすごく苦労して下さっていたと思うし
私に募金してくれた人のことを想った

私への募金は5万円以上になって
85個も蚊帳が買える
85人は安心して蚊帳の中で寝られるのだ

そして日本でWSMイベントを開催してくれている友人たちや
日本の福岡で 20000m泳いでいるだろう加藤先輩のことを想いました


7500mまで泳いだところで一旦上がって
JICAケニア事務所や ケニアの日本人がたくさん集まって
WSMイベントが始まりました

ちびっ子も大人も 同僚も奥さんたちも
みんなで一斉に泳いだ
素人さんたちばっかだけど
「絶対に1kmは泳ぐ」なんていってる人もいて
みんな何だかすごい執念だった
すっごく痩せてて
「この人にこの冷たさは耐えられないだろう」と思った人も
ガシガシ泳いでた

おかげであとの2500mは 肩は痛かったけど
けっこう簡単に乗り切れました

最後の100mは 一番嬉しい100mでした


その夜は
すごく懐かしい 後背筋の疲れにどっぷり漬かり
ぷはーっと一杯飲もうと思ったけど
疲れすぎてて飲めませんでした
でも5年半ぶりに
1万m泳げた安堵感が心地よかった


本当に本当に たくさんの方々が うんと苦労して 
全国各地 世界各地で
イベントを開いてくださいました

心から心から お礼申し上げます


一番大変だったのは 私にこの大仕事を押し付けられた
熱海恵理ちゃん

慣れないことばかりで 私もなかなか協力できず
協力者も少なくて
いろいろ辛いことがあったでしょう
私は反省しています
でもあっちゃんのお陰で
ここまで大きなイベントになりました

本当にありがとう