地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

あいたたたたた

2006年08月30日 | ethiopia
ワーキッテからさらに150km南西に下り
ジンマという町に来ました
つまりアディスから300km

JICAの森林管理プロジェクトの評価のためです
(インディペンデント、第三者からの評価)

朝早くからランドクルーザーを走らせること約1時間半
森のど真ん中にやってくると
私たちを待っていたのは 馬!!
道が雨でぐちゃぐちゃで通れないので
ここからプロジェクトサイトまではこれに乗っていく

あ~ エチオピアの森のど真ん中で馬に乗っているなんて
まったくわが人生というものは突拍子のないものであることよ

20分ほどの鼻歌まじりのナイス・ライドの後
遠くの方でプロジェクトの裨益者たちの人だかりが問い面の丘を登っていくのが見える
「病人が出て これから診療所につれていかなきゃならないので調査は今できない」

あららら・・・
また私たちは今来た道を引き返すことに

その途中の出来事・・・

道路に木が倒れて
馬が通れない箇所があったのです
来るときは馬から下りて
馬は迂回路を駆け上がって道に戻ってきたのですが
帰りは馬がどんどん行って
私を乗せたまま迂回路を駆け上がったの
そしたら案の定バランスを崩して

落馬

私はすぐ起き上がり 打ち身もなく大丈夫なはずだったのですが

あれ?あれれれれ?

この肩甲骨の痛みは 忘れもしない あのキガリのプールでの痛み
またやってしまった・・・

かろうじてまた馬に乗ってもと来た道を戻ったものの
私の頭の中にあったのは
「ああ~ 早くホリックの指圧に行きたい!!!」


メイン・ロードに戻ると 先ほどの病人とそのコミュニティの人たちが私たちを待ち受けていて
プロジェクトの車で診療所まで運んでくれというのだ

それでプロジェクトカーは急遽救急車と化し
なぜか知らないけど病人以外にも10人くらいの人を乗せて走っていった

残されたもう30人くらいが心配そうに見守る
ただの野次馬もきっといるはずに違いないけど
でも村で病人が出たらそれはそれは一大事のようだ
だからといってみんなで見守らなくてもいいのではないかと思うのだけど
これが仕来りのようだ

しばらくして車は戻ってきた
「診療所には電気がないから看れない ジンマまで行かなければならない」

負傷している私も一緒に乗って帰ることにした


笑えるつづきはまた・・・

Back in the field

2006年08月29日 | ethiopia
アディスアベバから南西に154kmの町 “ワーキッテ”
「半分」という意味だそう
ここからさらに150kmのところにあるジンマにいた王様がその昔
アディスまでの道のりの半分の場所だからそう名づけた

エチオピアの道路は酷いけど
ワーキッテまでの道路はヨーロッパ連合が整えたため
ランドクルーザー3時間の道のりは
家畜の横断を待つとき以外はスムーズでした

エチオピアは本当に家畜が多い

あのぉ~ すみません 通らせてもらいたいんですが・・・

「半分」の町は小さくて
町で一番のホテルは 一泊600円
トイレが流れない
トイレットペーパーは置いてない
あとでメイドさんが 50cmくらい千切ったトイレットペーパーと石鹸を持って来てくれた
もちろん「お湯は出ますか?」という質問は飲み込んだ
この寒い中 水シャワーか・・・

早めの夕食を終えて 蚊帳の中のベッドに入る

トイレが流れないからまた便秘になりそうだ
シャワーも冷たいから浴びたくないし
歯を磨くのも水道水はなんとなく汚そうだから
わざわざペットボトルの水で洗ったりしているうちに
何だか早く日本に帰りたくなってしまって
いつのまにか なんて私はspoilされてしまったのだろうと自己嫌悪感にも陥る
2年前くらいまでは ガーナの奥地でこういうところに泊まっても何の不満もなかったのに・・・
あの頃は経験に飢えていたし そういう生活を楽しんでいた

真の開発ワーカーとして失敗だぁぁぁぁぁーーー


そんな考えをますます感じたのは
翌日フィールド調査に行ったとき

日本の草の根無償が援助した Food for Hungry International(国際飢餓対策基金)の家畜診療所プロジェクトサイトを視察した
ここに日本人の元協力隊員で獣医の野田さんという方が
プロジェクトに11年も携わったというのだ

プロジェクトは”ノダ・プロジェクト”と呼ばれ
いくつか作られた農業共同組合の一つは
ノダ農協と呼ばれる

すれ違う農民のおばちゃんたちは
私を見ると お辞儀をする
エチオピアの習慣ではない
きっとノダさんを見て 日本の習慣として覚えたに違いない
「ノダはいつ帰ってくるんだ」と何回も聞かれた

この辺りの農民の家はこんな家

土壁ではなくて 木でつくられていて
屋根は高い 家の中で食事を作るから煙が上に行くように らしい
ちょっとめずらしい

もちろんノダさんの家はこういう家ではなかったらしいが
こういう環境に11年
心底尊敬する
その努力はちゃんと形になって残されている

雨が降りすぎて通れない
何とか通ろうとしたら
この有様!


農民へのインタビューは現地語でまったくわからなかったけど
農民が鶏を抱えていたニワトリを観察していて
鶏は上まぶたではなく 
下まぶたを閉じて目をつぶるのだということを発見したことは収穫だった

インジェラづくし

2006年08月26日 | ethiopia
エチオピア料理といえば インジェラ!

これでもかというほどインジェラばかり食べています

アジスアベバのレストランは
上↑写真のような豪勢なものが食べられます
見た目も美しいし

綺麗なお姉さんが目の前で作ってくれたり


ホラ できあがり~


テフという粉からできた
酸っぱいパンケーキみたいなインジェラをちぎって
この具を巻いて食べます
具はいろいろ選べます

少し辛いものが多いのが悩み

最後には下に敷いてあるインジェラもちぎって食べていきます


これらは都会の高級レストランで
ほんとうは・・・

農村の貧しい村では こんな質素


真ん中にあるのは「バターじゃ」だとさ
あとお砂糖もまわりに 


違う農村の食堂では


ぞ、雑巾



違った・・・ 煮豆が入ってたよ~


こんな感じで朝からホテルでインジェラ食べたりしています
一日3回はきっついけど
たまに無性に食べたくなるほど病みつきになる
魅惑の料理

明日から4日間農村コミュニティですから
インジェラしか選択肢がない日々

辛い。

エチオピアは寒いんだってば。

2006年08月24日 | ethiopia
寒っ!

空港に着いて コートの襟を立てました
標高2300mのアジスアベバは雨季真っ只中
旱魃と飢餓のイメージが強いけれど
今年の雨季は エチオピア南部では洪水で死者が100人くらい出て
避難民が出ているほど 雨が降っている
旱魃かと思えば 洪水まで至る多雨
降雨量はものすごく不安定のようです

気温は13℃
避暑地というには寒すぎるけど・・・
うらやましいだろう


2300mの「高地トレーニング出張」
現役時代は 米国・アリゾナや 中国・昆明や スロバキアの山奥でも合宿していたので
もちろん密かに自信たっぷりだったのですが・・・
初日は誰よりも早く頭が痛くなって
気持ち悪くもなったので
やっぱり酸素が足りないみたい・・・


現地語「アマハラ語」で「アジス」は「美しい」
「アベバ」は「花」を意味する

美しい花はどこにも見えないけど
人口400万人の首都アジスアベバは 
ケニアのナイロビくらい大都市
だけど 独特の空気



ブラック・アフリカとアラブの融合
エチオピア正教とイスラム教の融合
あちこちに見える アマハラ語の文字
(アルファベット以外の文字のないアフリカでは独自の文字はめずらしい)
秩序のない交通
オープンカフェでマキアートを飲む人々


アフリカに帰ってきたぁーーーーーって深呼吸しながら
車の排気ガスと埃っぽさに
オンボロレンタカーの窓を閉めるのでした

マキアート

2006年08月24日 | ethiopia
コーヒーの国 エチオピア

街のあちこちにカフェがあって
淹れたての『マキアート』が飲めるんです

イタリア占領時代の影響らしいけど
お洒落でしょ?
イタリア人も占領しにきて
コーヒーがいっぱい飲めて嬉しかっただろうなぁ・・・

こちらでは 普通のコーヒーは
とっても濃く淹れるのです
とっても濃いので 
カップはエスプレッソカップみたいに
小さいのが多いみたい

ヒルトン・ホテルのロビーにも
エレベーター脇に
こんなかわいいティー・スペースがあります


どこにいっても
すっごく辺鄙な田舎の食堂でも
「マキアートある?」って聞いたら
「もちろんあるよ」って
たいそう立派な機械で入れてくれるの!




あー 好きだな この国

Hi from Addis!

2006年08月23日 | ethiopia
Back in Africa...

Lots of emotions, discoveries, greetings, smiles, memories, love,

and super slow internet


And even in Africa, my heart belongs to the fantastic performances of the swimmers in Canada..


Will find the way to write in Japanese soon!


lots of love from Addis Abeba


ジャーナリズムの姿勢。

2006年08月13日 | Weblog
数年前まで スポーツライターという職業をちょっとかじっていました

まだまだ未熟だったけれど
スポーツを書くことは楽しくて
その経験を大いに楽しんだ
アフリカに行くことになって以来ご無沙汰で
すっかり書く「細胞」が錆付いてしまっているような気がする

でも何だか最近 またいつか書きたいなっていう気持ちが
沸々と沸いているのです

何故かというと
最近そういう人に何人かあったり
本もいっぱい読んでいるから

もちろん今はスポーツから遠ざかってしまっているので
アフリカとか 開発のことです
(スポーツも恋しいけど)

書かないともったいないなと思うと同時に
書けるくらいにまず自分が成長しないとと思う

私はスポーツしか書いたことがないので
まだどうやって書いていいのかわからない

いろんな書き方があると思う
何を伝えたいかが重要だし
誰が読むかによっても全然違う

スポーツとは違って
視点もさまざまだから
読みやすいけれど くだらないものになってしまったり
難しくて 敬遠されてしまうものもある

でも書き方を模索したいと思います ハイ

別にどこかに掲載されるためとか
本を出すためではないけれど
昔 Numberの編集者に言われた
「ジャーナリストって職業じゃなくて姿勢だ」って

書こうと思うときは
書くためのレンズに目と頭を変えないといけない
それってたまに少し疲れるけれど
そういう風にして
まずは 日記を書いていこうと思う

感じたことを書き留めておこうと思う

それをこのブログにもご披露するかどうかは
そのときの気分次第!

出発前日

2006年08月12日 | Weblog
例によって パッキングも直前にならないとできない私
だらだら だらだら・・・

すごく気になるのは

手荷物持ち込み禁止ってほんとうですか???

いつもごっそり手荷物を持ち込む私にとっては
それは耐え難い苦痛以外の何物でもない

特に液体NGということは
ペットボトル絶対ムリだろうし
お土産の日本酒も買えないのー?!

いつもアフリカについても 日本のお茶を飲んでいるのがなんかいいのに!

香水も買えないのかな

だとしたら先日のテロ未遂は 
ほんとーーーに大迷惑なんですけど!


気を取り直して これからお土産の買出しに行こうっと

ルワンダの元同僚たちから頼まれたのは
ホッチキスの芯とり(写真)
こんなもの今まで見たことないけど
文房具やさんにあるのだろうか・・・

アフリカにいると
かわいい文房具とか 生活用品に心をときめかされてしまうのは何故だろうか・・・

かわいいクリップとか
色のついたクリアファイルとか
領収書ブックできゃーきゃー言ってたっけ

なかなか見つからないものだし
他に楽しみがないから?笑

かなり素朴で 少し可愛そうになるかもしれませんが
いいんです。。。


あと 米とか お煎餅とか 日本食

ああ 荷物20kgじゃ収まらないよぉ

Never again?

2006年08月10日 | rwanda
94年のジェノサイド(大虐殺)から12年が経ったルワンダでは
今も「和解」のための様々な取り組みが行われているのだけれど
そのひとつに「インガンドゥ」というものがある

Solidarity campと訳されるもので
高校を卒業した若者が
大学に入る前に強制的に参加させられる合宿で
イメージは徴兵制みたいなものだ
数週間のものから 数ヶ月に及ぶものもある

詳しくは知らないのだけど
そこでは「和解」とか「民族融和」とか「ナショナリズム」とか、近隣国で難民として育った帰還民には「歴史」とかを学ばせるのだと聞いていた

ところが そこで銃の使い方も教えているというのだ


何故 一般市民が銃の使い方を学ばなければいけないのか?

しかも ルワンダのような歴史上稀に見る残虐な殺戮を経験した国が?
国が支援するキャンプで?

そのことで昨夜 ルワンダ人の知り合いとちょっとした激論になった


「自己防衛」だと彼は言った

何のために?

まだセンシティヴな関係にあるお隣のコンゴ民主共和国やウガンダからの、ということなら、まだ納得がいく

でもそれなら軍が迎え撃つはず


すると友人が言った
「みんなが銃の使い方を知っていれば
94年のジェノサイドではあんなに人が死ななくて良かったかもしれないんだ」

「じゃあ あなたはまたあのような殺戮があるかも知れないと言っているのですか?」

「その可能性は否定はできないよ」

それを聞いて私は 思わず涙してしまった


可能性は否定できない
そうかもしれない
でも3ヶ月間に80万人が死んだ戦争を経験して
全国民が「Never again」と誓っているなら
銃の使い方なんて知らなくてもいいじゃないか

それは能天気な日本人的発想なのかもしれない

「君たちは多額のお金があって 米軍が守ってくれるじゃないか」

そしてアフリカでは軍を頼っていられない
90年代以降のアフリカの紛争は
一般市民が 罪のない隣人を殺しあうのだ
自分で自分の身を守らなければいけない


でもルワンダのような歴史を経験した国に限っては
銃を使い方を国の支援で教えなくても良いではないか!

という私の考え方はナイーブで理想主義で能天気らしく
アフリカ人とはメンタリティが完全に食い違っているのは明らかで
埋められない差と現実に
南ア産ワインを飲み干す夜でした

The World Traveler

2006年08月09日 | Weblog
今まで私が訪れた国の数は 28

手前味噌ですが けっこう多い方でしょ

現役スイマー時代にもだいぶ行きましたが
開発の仕事をしていれば普通だし
50以上という人もザラにいる


でも足元にも及ばない人に
この間お会いしました

その数なんと 263

思わず「ウソだぁ~」と言ってしまい
「証拠をお送りしますよ」と言ってお別れしたのですが
本当に送ってくれました

マジでした

ギネスブックみたいなのの トップでした

その経済力にも驚きますが
もっと驚いたのは 全部奥様とご一緒  

なんて素敵なご夫婦!

そしてさらにまたその経済力に驚きますよね。。。


送ってくださったリストの中には
聞いたことのない国もあって
ちゃんとした独立国じゃなくて
自治領とか
英領、仏領とかもあるので
正式には「263の国と地域」

・・・すごいことには変わりない

せめて声に出して読もうと ひとつひとつ読んでいたら
「もぉいいよ」と家族にうざがられました


ちゃんとお話を聞く時間がなかったので
今度またお会いしたら
いろいろ質問したい

「セント・ヘレナ・アセンションはどんな国でしたか?」
とは聞きませんが(どこにあるか知らないし)


・・・地球はどんな星ですか?