地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

孤児院

2005年06月29日 | rwanda
ルワンダは一見 平穏に見えた

いや 平穏なのだろう
94年の悪夢を二度と繰り返すことのないように
皆が部族を超えて共存している

でも 立ち寄った孤児院には
11年経っても
消し去ることのできない傷跡が
痛々しく残っていた

普段は200人ほどの子どもがいるという
大きな敷地だったが
その日は「世界チルドレン・デー」で
皆イベントへ行ってがらんとしていた

食堂には
テーブルが3つほどしかなかった
床に座って食事するのだという

寝室の窓は壊れていて
蚊帳も 毛布もなく
剥き出しになったマットレスはぺちゃんこで
ボロボロに破けていた
すぐマラリアにかかるだろう

残された子どもたちはその部屋で
ひっそりと座っていた

写真の手前の子は盲目で
頭をなでようとしたら
びくんとして
ものすごく怖がった

その子を周りのおねえちゃんたちが
代わりばんこに抱いてあげた
彼女たちしか信用できないかのように

ニコっとも笑ってくれなかった
あの子たちの表情が目に焼きついている

両親が虐殺で死んだり
何人かは
赤ん坊のときに
孤児院の門に捨てられ
ここに集まっている

何人かの子どもは
私の姿を見て近寄ってきた
笑顔を振りまいている
やっとホッとした気持ちになったのに
私の心はまた砕かれた

「外国人が来ると
養子にとってくれるんじゃないかと思って
愛想を振りまくの」

帰ろうとしたら
10歳の女の子が向こうから歩いてきて
案内してくれた女性が
エイズ感染者なのだと教えてくれた
10歳で レイプ被害者なのだ
父親は虐殺に係わり
今 刑務所にいる
母親は亡くなったのだそうだ
理由は聞かなかった

笑顔だけじゃなくて
目に輝きがなかった

何の罪もないのに
同じ子どもなのに

これからもルワンダに行ったら
あの孤児院に行こう

彼女たちの目に
いつか輝きが戻りますように

コーヒー

2005年06月23日 | africa
寝不足がたたり
大事な会議中に うとうと・・・

偉い人もいたのに・・・ 
なんという度胸でしょう
さすが 私 
自分で自分を尊敬します

しかも今日は議事録係
ていうか 今日「も」!
ペーペーだからさっ

終わってみてノートを見ると・・・

あら まぁ 見事に

ミミズさん いっぱい Σ( ̄ロ ̄lll) ガチョーン

                 ド、ドウスルベ・・・

・・・議事録忘れたフリしてみよか
案外誰も気づかないかも!
ムリです・・・


今夜もこれから分厚い資料を読み込まなければいけない

というわけで
夜のお供を紹介します(写真)

こちらにきて嬉しかったことは
コーヒーが美味しいこと!
私はカフェイン中毒
でもこれ全部今晩中に飲むわけないけどねっ

一番右はルワンダ産 仕事中も飲んでいる

その隣もルワンダで
Widow(未亡人)の団体が作ってるの
だから余計に買ってあげたくなる
パッケージがかわいいっしょ
そしたら今日誰かが
「あれはオンナの絵が怖くて買う気がしない」と言っていた
なんでーーー かわいーじゃん!

その隣はケニアの有名な「NAIROBI JAVA HOUSE」
アメリカ人オーナーで
ケニアのコーヒーショップ第一号店を作ったの

アフリカ人はコーヒー全部輸出しちゃって
ぜんぜん自分たちでは飲まないの
高いし 好きじゃないみたい
こんな美味しいコーヒーつくってるのに
もったいないわねぇ

一番左はブルンジ(ルワンダのお隣の国ね)のです
今ブルンジでは選挙やってるけど
暴動で死者が出ている・・・
でもコーヒーは美味しいの

コーヒーは
これらのアフリカの国々が豊かになるための
最終兵器とも言えるかも知れない

まぁそんな簡単じゃないけど
私一人でもどんどん飲んで
貧困削減にも貢献するわよ!

ちなみに
いつもこんな気持ちでコーヒー飲んでるわけではないよ

さー 仕事しよ

世界難民の日

2005年06月21日 | africa
でしたね 今日20日は

難民は日本人には月ほどとおーーーーい存在
私もつい最近まで全然ピンと来なかった

でも アフリカにいると
ちょー身近っす

貴方も あら そちらの方も
ってなもんじゃ
私のフランス語のカテキョーもコンゴからの難民だもん

世界には1700万人ほどもの難民がいる

でも 自分に置き換えてみる
日本から追い出される
身の危険を感じ
韓国とか中国とかへ逃げなくてはいけないなんて

・・・。

イヤダ・・・。


  納豆と寿司のない生活なんて・・・!!!(T_T)         

                         ・・・チガウダロ


しかし ルワンダに行って驚きました
何%くらい、難民経験者だ???

ジェノサイド(大虐殺)こそ94年ですが
ツチ族への弾圧は1960年代から始まりましたから
ルワンダで育っていないツチ族系ルワンダ人は多い
周辺国のウガンダ、ケニア、タンザニア、ブルンジなど
各国へ散らばり

94年のあとは形勢逆転し
今度はツチ族がフツ族を追い出した
今でもフツ族系ルワンダ難民は?何万人だっけ?
調べるのめんどくさい・・・ ごめんちゃい

厄介なのは
しゃべる言語が バラッバラ

もともとベルギーの植民地だから
フランス語だろっ
と思うと そうは問屋が卸さない

現地語のキニアルワンダ語はみんなしゃべりますが
その他は
フランス語 英語 スワヒリ語(東アフリカ広域で話されている言語)

94年の虐殺以降
政権をとっているフツ族系は
難民としてウガンダ等で暮らした人が政府関係者に多い
フランスに反発し
公用語に英語も加えた

数人で打ち合わせすると
英語 フランス語 キニヤルワンダ語 スワヒリ語 日本語が飛び交う

めんどくさっ

おまけに私のフランス語ぜんっぜん通じてないし

なんでやねん

千の丘

2005年06月19日 | rwanda
Le pays des milles collines 
              -千の丘の国

ルワンダは思いがけなく美しい国だった

平らな土地が1m四方もないほど
上がったり 
   下がったり 
くね  くね
  くね  くね

首都キガリでさえも丘である
その斜面には
家々が所狭しと建つ
この国がアフリカ一の人口密度を抱えることを
明瞭に物語る

首都を少し離れると
その斜面は綺麗に耕された畑となる
バナナ、メイズ、キャッサバ、ソルガム・・・
牛遣いの少年はその横で寝そべっている

ルワンダは「アフリカのスイス」とも言われるそうだ
ではスイスは「アフリカのルワンダ」かというと
それは違うらしい・・・

その牧歌的な風景から想像するのは難しい
もちろん94年の大虐殺だ
隣人や親類が武器をとり
3ヶ月で殺された人の数は推定80万人

・・・短期間

ふと広島・長崎を思う
14万人、7万人の命は一瞬のうちに吹っ飛んだ

この国ではその何倍もの人々が
その命を奪われたのだ
他の人間の手によって

あれから11年
ルワンダは「和解」の成功例と言われる
しかし
あのことを忘れることなどできないと
この国の人々は言う

人々は何を思うのだろう

そして11年前
遥か遠くのこの地の出来事に
平和構築を志した私は
この国に何ができるだのだろう

デンジャラス・ツアー

2005年06月11日 | kenya
「デンジャラス・ツアー」なるものに参加した

事務所のセキュリティ・アドバイザーが
着任ホヤホヤの職員を連れて行ってくれるものだが
なぜ「デンジャラス(危険)」かというと
市内のデンジャラスな場所を見にいって
「ここは危険だから近寄らないようにしましょう」というもの

ナイロビは真っ二つに分かれる

着任してから今まで
いわゆるハイ・ソサイエティというか
外国人などの裕福な人々がいる場所でしか生活していない
そこには先進国と同じくらいの値段の住宅が沢山あって
水も電気もちゃんと来るし
何でも揃うスーパーもあるし
映画館もあるし
超ヨーロピアンなショッピング・モールもある

でも私は淋しかった
アフリカにいる気がしない
現地食を食べたことさえない
本当のケニア人に全然触れていない
私は現地の人と戯れるのがとても好きなのだ

デンジャラス・ツアーでようやく見ることができた
もう一つのナイロビは
今までシエラレオネなどで馴染みのある
懐かしい、ホントの途上国の光景だった

心の中はしっくり来るのだけど
残念ながらそこには近寄れない

すんごく治安が悪いのだ
外国人の私が外を歩いたら
間違いなく持ち物はアクセサリーも含め
すべて持ってかれるらしい
カージャックだって頻発しているのだ
こわいよぉーーー

ソマリアからの難民が多い地区にも行った
不法入国者も多い
紛争から逃げてきた人が沢山銃を持ち込んでいて
簡単に手に入るらしい
おーコワ
なぜか道でハンガーを売っている人が多かったけど・・・

その周辺にある産婦人科病院では以前
出産後 母親には「死産だった」と告げて
本当は赤ちゃんをヨーロッパに売る事件が頻発した、と
セキュリティ・アドバイザーは教えてくれた
赤ちゃんは一人80万円くらいで売れるそうだ

これが本当のアフリカなのだ

セキュリティという壁に守られながら 阻まれて
本当のアフリカに触れられないのは
大きなジレンマであります

さて 来週はとうとうルワンダ初出張!!!
どきどきワクワクですわ

NHK

2005年06月10日 | africa
サッカー やりましたね

しかしもちろん

見れなかった・・・

日本中が沸いているのだろうけど
なんか 蚊帳の外
えーーーーん

しかし うちではNHK衛星は見れるのですよ
だからニュース映像は見ました

このNHK衛星は大部分つまんないけど(笑)
ニュースは助かる
プロ野球の結果も全部流すし
愛・地球博のパビリオンのことなんて異常に知ってます 私

NHKはアパート全体で入っていて
あとはケニアローカルのチャンネルと BBCと CNNと 映画のチャンネル

大好きな南アのスポーツチャンネルDsTVがないのは非常に問題ですが
(管理人に抗議中 早く入れろー)
ニュース好きな私はまぁ我慢できます

ていうか贅沢か

エピソード3

2005年06月07日 | africa
スターウォーズ 観てきた

いや~・・・。

多くは語りません

何がびっくりしたかって
アネキンが○×したことよりも
映画館が日本と同じくらい綺麗なことよりも
映画が始まる前に
いきなり観客全員がすっくと立って
何が始まるのかと思えば

国歌を歌い始めた・・・

ケ、ケニア・・・。 Σ( ̄ロ ̄lll)

これは、新しい!!!!

せっかくスターウォーズ上映に備えてイメージトレーニングをしていたのに
意表をつかれてしもたわ・・・


ともあれ
めちゃ良かったです
やはり期待を裏切らないですねー
しかしこれでスターウォーズが完結してしまったのは何とも淋しい気持ち
胸の中にぽっかり空虚感

ちなみに
「メッチャ悔しい」の田島ヤッチャンは
イアン・マクレガーの大ファンです
年季入ってます

ヤッチャンへ
私はオービーワンよりアネキンの方が好きです

ずっとパドメになりたかった
なおこでした

スターウォーズ

2005年06月03日 | Weblog
日本人より先に

スターウォーズ エピソード3

観てくるのだ!!!今週末!!

わはははは!!!!

ざまぁみろ!!!!!


・・・と、誰に対して勝ち誇っているのでしょうか
このじゃじゃ馬

しかしケニアに素晴らしい映画館があり
しかも日本より先に
大好きな『スターウォーズ』の最新作が入っていることに
優越感を感じずにいられない私です

では週明けに先にストーリーを公開してあ・げ・る

なんてウソですよ

ああ 楽しきかな わが人生

復興支援

2005年06月01日 | development
私の専門である『戦後復興支援』というのは
非常にやっかいな分野である

ケースによって全然違うのだが
どんなケースであれ
戦争後の国を立て直すことは容易ではない

兵士に武器を捨てさせる
新しい政府を作る
警察を育てる
道路、学校、保健施設を建て直す
難民を戻す

・・・とてもとてもここに書き切れることではない

その前に国全体が
スーパー貧困ですからね

そんな中 
元兵士、障害者、孤児、レイプ被害者、母子家庭
自信と希望を失ったいろんなカテゴリーの人たちに
援助を行き届かせなくてはいかない

いつも思うのは
お先真っ暗。

どないすんねん。

おまけに厄介なのは
政府はじめ
住民も
「早く何とかしてくださーい」
と実に他力本願なことだ 

緊急な場合はある程度仕方ない
でも
いつまでも援助が続くわけではない
自分たちで何とかしなければいけないのに
注文ばっか

先週の「復興支援ワークショップ」でも
これから発足する南スーダン政府の関係者が
「日本は何をしてくれるんだ」
「世界銀行は何をしてくれるんだ」

ていうか
まずはお前が何するか言えよっ!
と怒鳴りたくなります

そんなとき
ルワンダの元女性省大臣ファトゥマさんが言った

「今のルワンダがあるのは
94年の大虐殺のあと
みながボランティア精神で助け合って生きてきたからです
先生も医者も
皆 給料が払われなくても
一生懸命奉仕してきたのです」

会場がし~んとなって
皆 ファトゥマさんのお話を聞いていた

私は感動したけど
本当にそんなことがあるの
少し半信半疑にもなった
それほどめずらしいことだから

ファトゥマさん ありがとう
世の中のみんながそういう気持ちになれば
貧困はなくなるのにね