地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

ゼロ着地

2006年03月30日 | development
「年度末」につき

死んでいます・・・

このハリケーン・カトリーナのような慌しさのさなか 
調査団等ビジターの応酬。。。

いや、ウェルカムっす!

担当Nさん 来て下さってありがとうございました
SD Mさん 飯島でお願いしまぁす


「年度末」でいつも疑問なのは
継続案件でも 何でお金を「使い切らなきゃいけない」の?
繰り越せばいいじゃんか!
だから不要なコンピューターとか年度末に買っちゃうんじゃないの?
ウチは買ってませんけど・・・

ここが変だよ ODA!

誰か知ってる人 教えてください


っていうかさ 「ゼロ」にするって無理じゃない?

どうやったらきっちり1ルワンダフランまで使い切れるように
物品の購入などできるのか?


でもちゃんとどうにかしてゼロ着地しましたけど!
ぱちぱちぱち


今週を乗り切ったら
桜の夢でも見ながら寝よう

明日は新隊員が来ます
6名来るので 日本人人口がどっと増えます

その後のお話・・・

2006年03月27日 | rwanda
あの出産事件以来
夜に家に帰るのが怖くなってしまったイモトです
ベッドに入っても
また門番が起こしにくるんじゃないかとか
ちょっとしたトラウマ


周りの人の反応はいろいろ

ムズング(外国人)は
「ひえー 記事書けるよ ソレ!」
「乗せてなくてよかったよ。絶対変な責任ふっかけられるんだから」

ルワンダ人はびっくりする人もいるけど
「田舎じゃよくあることだ」

そりゃそうだ 農村では病院なんてそんなにないし
助産婦なしで産む人も多いだろう

・・・でもさぁ 
ウチの前っすよ!
芝生の上っすよ!
あり得ないよ!


そしてその奥さんに関しては
「後妻だよ きっと」
「腹ませちゃったんだよ、きっと」
「それで困らせてやろうってあんなとこに来たのよ!」

「いや 病院代がなかったから
もともとムズングのあなたをタカリに来て
産まれちゃったんでしょ」

ええええ
そんなんだとしたら
車も出して 産休も上げて 病院代まで出してあげちゃってる私って
そうとうお人好しじゃんっ


明日 産休明けのそいつが帰ってくる

なんか 気持ち悪うぅ!

私は平然と
「おかえり」「赤ちゃんも奥さんも大丈夫?」と言うのだろうか

それとも やめさせるべきか?
そして彼は生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて
路頭に迷うのか?

どうする?!続きは次回!

・・・じゃなくて誰か一緒に考えて~

まじで~~~?!門前出産!

2006年03月19日 | rwanda
昨晩 とんでもない事件がありました

アフリカに来てもう2年になりますが
こんなにすごい出来事ははじめて

いや 今まで生きてきた中でも
こんなことはなかったかも。。。


夜中3時
ドアをバンバン叩く音がして目が覚めた
びっくりして起きていくと
うちの門番でした

フランス語で慌てて何を言っているのかわからなかったけど
「女の人がそこで寝ている」
そしてジェスチャーでお腹おっきいことを示して
「下からジャー」という仕草

「妊婦?破水?!どこで?」

慌てて門の外へ出てみると
女の人がうずくまって う~ん う~んと唸っている

「お前の車で病院へ連れて行こう」

私はよくわけがわからず
とりあえず家に戻って着替えて車の鍵を持ってまた飛び出した

そこで理性が・・・

ちょっと待て。

ほんとに私が運転するの???

車の中で出産したり
お母さんか赤ちゃんのどっちかが死んじゃったらどうするの
ムズング(外国人)だからまた変な責任を押し付けられる
でもこのまま放って置けないし
こんなことで自分にかかる責任なんて考えていいのか?ナオコ
そんな人間でいいのか
でもさぁー
やっぱりあとで色んな問題が出てくるのよ、ムズングだからって
救急車の番号もわからないし
あああ パニック


どうしていいかわからなくなって
同僚に電話した

同僚もパニック
でも 「ちょっと考えてすぐ電話するから!」

その間に私と門番は言い争い

「運転なんてできない!」
「何を言ってるんだ!どうなってもいいのか!」
「できないって!怖いもの!」
「神様のためにやろう!」
「私、そんなに信仰深くないのよ!」

すると・・・

おぎゃー


暗くてよく見えなかったけど
女性は下半身裸だし
どうやら産まれたらしい。

           ぎゃーーーーーー
           どうするべーーーーーー

そこで同僚から電話
「救急車の番号わからないけど、今から警備会社の車がすぐそっち行くから待ってて」

その間 門番はどこかへ走って行き
私は出産中だかなんだかよくわからない女性と二人きり

        げーーーーー 怖いーーーーー

赤ちゃんの鳴き声が止むたびに
死んじゃうんじゃないかってすごく怖かった
アフリカでは死産なんてすっごく多いし

しかしホントに車出してたら
私の車の中で出産してたよ。。。

周りの家の門番が二人でてきて
女性に話しかけたり
毛布持ってきたりしていた

そして15分くらいして
警備会社の車到着 
よかったぁぁぁ

一人の人がその女性を立ち上がらせたら
ヘソの緒はつながっていなかった

なんで???

いつの間に切ったの?

でもとにかく女性はちゃんと立ってたし
赤ちゃんも泣いてた

よ、よかったぁぁぁ・・・


あー 怖かった
しかしなんてこったい?
なんでウチの前を通っているの?
この近くは高級住宅街で
そういう人、つまり貧しい人はいない
周りの門番が ウチの門番の奥さんだって言ってた

マジで?

産まれそうになったけど車代も病院代もないから旦那のとこに来て
そこで産まれちゃったの?
でも門番は「知らない人」って言ってたし
女性もそんなことはいってなかった
嘘つくはずないよな?

ていうか 赤ちゃんって
そういう風にして一人でポンと産めるの???

あー もうわけわかんない

とにかく一件落着ぅ~


しかし 私の判断は果たして正しかったのでしょうか?
これで赤ちゃんか妊婦かどっちか亡くなってたら
一生後悔していたかもしれない

とっさに自分を守ってしまった

日本人だったら 車を出していただろう
私はぜんぜんこの国を信用していないということか


あなたならどうしますか?




↑出産現場 うちのゲートの外

がんばろうっと。

2006年03月18日 | Weblog
嬉しい出来事

プロジェクトの除隊兵士たちが 
職業訓練研修で初めて作った靴を
私にプレゼントしてくれた

初めてにしてはうまくできてるでしょ



私の足には小さくて履けないんだけど
いつか「捨てちゃえーーー」って思うかもしれないけど
今はね 「ずっととっておきたい」って思う

中に変なパッチワークがあるけど
私にはフェラガモ

ありがとぉぉぉ

これからも一生懸命修行して
良い靴屋になって 
家族のために お金をいっぱい稼いでね


いつも除隊兵士は「あれがない、これがない」って
要求ばっかりで憎たらしかったけど
ホントは感謝されてたんだなーって
じーんときました


↑なぜか手までつながれている私


最近すごく辛い出来事があって
現実を受け入れられずに
闇の中を彷徨ってるみたいだった

でも残された私たちは
前を向いて生きていくしかないよね

ジェノサイドの跡

2006年03月13日 | rwanda
ニャマタの礼拝堂に行った

映画ホテル・ルワンダどころではない

ナマの現場


本当は怖くて仕方なかったけど
平和構築の専門としてこの国にいて 
それを見ないであとで後悔するのも嫌なので
来訪してたワセダの学生さんたちが行くというので便乗した

普段は霊とかまったく鈍感で何にも感じないのだけど
入り口の前で足が動かなかった





おびただしい数の骨の山、山、山

この場所で殺された数は1万人

銃で、なたで、

子どもは壁に叩きつけられて死んだ


本当は 皆 この隣にある地下室に逃げ込んで
すべては起こった

でも骨を保存するには適さないということで
本堂に移動されていた

骨だけが山積みになっていて
頭蓋骨は隣に並べられ
服もそれだけ集められていた



現実味はない
臭いもしない
現実を思い浮かべようとしても頭が拒む

でも教会全体が異様な恐怖感に包まれて 
息ができなくなりそうだった



想像の域をはるかに超えている

その様子を 感情を 言語化することもできない


これだけの数を数時間で皆殺しにした

同じ人間が

同じ国民が

隣人だけじゃない

家族や兄弟をも

すべてこの地で
たった12年前に起こったのだ


アジア大会の

2006年03月08日 | Weblog
マスコットかな?

スポンサーは電話会社か。


ずいぶん昔のことになっちゃうけど
アジア大会は強烈な思い出がある

90年の北京アジア大会は
14歳で選手団最年少だったけど
400リレーで引継ぎ違反の失格を犯し
日本の銀メダルを逃しました
14歳 ほろ苦いデビューでした

94年は広島アジア大会で
50m自由形で世界記録保持者がスタート台から落っこちて
つられてみんな出遅れて
私だけ平然とサッサカ泳いで2位だった
そしてその後 中国人たちがみんなドーピングで引っかかって
私に金メダルがめぐってきたのでした

全然嬉しくなかったけど

DOHA☆!

2006年03月06日 | Weblog
今回の帰国休暇 
格安のカタール航空(ナイロビ-関空間が846ドル!)を利用したため 
乗り継ぎはドーハでした

そう あの「ドーハの悲劇」のドーハ
初めての中東
胸が躍りました

あちこち旅慣れている私ですが 
空港について 「あれっ」と違和感
 
テレビでよく見るイスラム教徒の服装の人がいっぱい!
そりゃそーだ。。。 
全身を覆う白い・・・布?
頭には赤いチェックの布を被り
お尻まで届く黒い紐で固定させている
それが定番の服装みたいだった
赤いチェックは 一瞬ギンガムチェックかと思ったが
よく見るとみんな千鳥格子だった

女性は全身真っ黒が多かった
ちょうど今 アフガニスタンの生活について書かれている「The Bookseller of Kabul」という本を読んでいて 
イスラム文化にちょっと明るくなっている私
全身黒の“ブルカ” 特に目以外の全身を覆い隠している人は 
敬虔なイスラム教徒なんだと思う(と本から勝手に思い込んでいる)

トイレに行って その形に一瞬後ずさりした
和式に似てるけどちょっと違う・・・(写真)
備え付けのシャワーがあった

昔 誰かから 中東では紙で拭かずに水で洗うと聞いたことがある
さすがに空港にはトイレットペーパーも置いてあった
よかった~

お祈りの部屋も女性専用のがあったし
税関も女性だけのブースがあった(なぜかパーティションで仕切ってあった)

初の中東
すべてが新鮮


今年の12月にアジア大会がここドーハであるんですね
オープンしたばかりの空港のあちこちに宣伝があったからすぐわかった
まだ2月なのに張り切ってる様子で
これは元代表選手として嬉しい
街が盛り上がっているということは 
それだけ手厚く歓迎されて 施設や待遇がいいものね

ドーハの町は本当に新しくて
建設中の建物もすごく沢山あって
なんだか 12月のアジア大会を目標にして
すごい勢いで発展してるみたいだった
どこかに例えるとしたら・・・ 幕張かな

港を散歩したあと 空港とホテル近くの繁華街に繰り出してみたけど
買い物はしょーもなかった
きらびやかな女性の洋服やさんばっかり 3件に1件くらい!
黒いブルカの女性ばかりなのに 家の中とか女性だけの場所で切るのに
そんなに売れるのかな
それとも黒ブルカを着ない女性が沢山いるのか・・・(通りではそんなに見なかったけど)

他には宝石店や バッタモンの鞄や香水や洋服を売る店がすごく多かった
トランジットで同じホテルに泊まったオーストラリア人の女の子と一緒に行動してたけど
その連れが偽物のカンゴールのベレー帽を5ドルで買ったのには驚きました・・・


1泊だけだったけど カタール人にも少しだけ触れることができた
空港で優しいスタッフが私のチェックインをてきぱきと手伝ってくれた
こういうとき「女に生まれて得した」と思う

別に私に気があるのではなくって
「今度このドーハ空港に来たら
僕に日本から小さなお土産を持ってきてくれ」と言って
電話番号を渡すのである
本当に日本のお土産が欲しいらしく
カートを押してくれながら何度も念を押された

っていうか・・・ 買ってくるわけなくない?!
なんで私が見ず知らずのあなたに何か買ってくると思うわけ?!
次に来る予定もないしさぁ!!

こういうわけわからなく図々しいところはアフリカ人と似ている
アフリカ人の図々しさは容赦ないのである
ルワンダ人の仏語家庭教師に「ピアノを買ってきてくれ」と言われたときには 
それはそれはぶったまげましたから

まー新しい場所は
こういう発見がおもろいですね
25ヶ国目の国 カタール
いつかまた中東もゆっくり見てみたいなぁと思わされました

Back to Reality

2006年03月04日 | Weblog
丸2日の長旅を経て 帰ってきちゃったよ
機内からの空がちょー綺麗だったので パチリ

ルワンダは何の変わりもなく
でもその牧歌的な風景に
落ち着いてしまっている自分がいます。。。

事務所の運転手が習いたての英語で
"I was miss you?"
"No, I missed you"
"Yeah, I missed you!"
と言ってくれてすごく嬉しかった


溜まりまくったメールを処理しながら
ファックス送信が不調で
もうアホほど送りなおしている 
雨上がりの土曜日の朝

あ また停電だ


帰ってすぐに 月末だからハウスキーパー兼庭師Superiorにお給料をあげた
私だって家の掃除くらい週末に自分でできるけど
半分雇用創出のボランティアみたいな気分で雇っている
1ヶ月5万フランは90ドルくらい
1日3ドルだからどうやって生活するのか考えられないくらい安いけど
他の人たちに比べたらかなりいいお給料
外国人の家で働くものの特権である


ルワンダのお給料はみんな目を覆いたくなるほど安い
政府の役人だって ウチの使用人くらいしかもらっていない人もいるし
小学校の先生なんて 50ドルくらいしかもらえないのだ


翌日 Superiorが「1日お休みを下さい」と言ってきた

「ギゼニの実家に帰ってお金を渡してくるから」

彼はフランス語が話せるのに
他に仕事がないからハウスキーパーなんてしてる
たった90ドルから家族に渡したら
自分にはいくら残るのだろう

それでも仕事があるだけマシなのだ

1日だけお休みして帰ってきて「家族はどうだった?」と聞いたら

「母が病気だった」と言った

あまりにもありふれた話で
いちいち同情していられない


何となく 今の私にはこっちの方が現実で
母国が本当にドラえもんの国みたいに思えてきちゃう 
今日この頃です