地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

むんむん熱帯夜

2009年02月27日 | sri lanka
2日前に朝3時までサッカー観ちゃって
まったく疲れがとれません。
まったく、最近リカバリに時間を要するわ。

それにコロンボ、最近すっごく暑い。
夜でも30度越えてる。
うちはエアコンつけてくれる約束で家賃も決めたのに
契約書にも入っているのに
大家さんは懐が厳しいらしく
なかなかつけてくれない。
気が弱い私は(←え)
厳しいの知ってるから
全然言えない。
あぢーーー
4月に向けてどんどん暑くなります。

最近仕事も生活もだらだらしてて、、、
なんかとてもリズムが悪いのに止められないよー!


コロンボ空爆

2009年02月24日 | sri lanka

LTTE コロンボ空爆

その夜 同僚宅の屋上でパーティをしていた私たちは

国代表への携帯へのメッセージで

すぐに停電が「防空処置」だと知ったのだけれど

本当に 遠くの低い夜空に 

見境なしにピュンピュン飛んでいる対空射撃を見たときは

BBCか何かでイラク戦争でも見ているか

ガンダムでも見ている気分になった(古。)

対空射撃がしばらく続いたあと

遠くの空が一瞬 丸く光って

「何かが爆発した」と紛争地経験豊富な国代表が言った

 

私はまだ何が起こっているのか全然把握できなくて

非現実的すぎて

遠くだったし 沢山の人と一緒に居たし めちゃ落ち着いていた(もちろん口は閉じていなかったけど)

 

10分経ったか 20分経ったかよく覚えていないけれど

結構長かったんだと思う

結局 それはLTTEの戦闘機2基で

2基とも射撃されて墜落して

近くに居た人たちが14人亡くなって 負傷者は50名くらい

飛行機が墜落したのは 私もよく行くホテルの隣だったから(ネイルしに行くところ)

 

めっちゃ怖いっす 

 

 

そのあと即座にみんなご飯食べ始めて(ミサイルの間も食べていた人いたけれど)

踊り始めて

スリランカ人は特にへっちゃらって感じで

私たちも SF映画観終わった後みたいに すぐに平静に戻っていて

何かすっごく変な感じ

「自分には絶対に影響ない」とタカをくくっている自分と

「そのときはそのときだ」と肝が据わっている自分を

つくづくたくましいと感じます

 

 

でも我に返ったらやっぱりちょっと怖くなった

人生最大の戦争体験の夜でした


逃げてきた人たち②

2009年02月19日 | sri lanka
昨日のBBCのトップニュースはスリランカ内戦と日本の経済相の辞任だった
外から見ていると 母国はほんとうに変わった国だこと

そんなことよりスリランカ
まったくもって緊急事態である

タミル人の国内避難民たちがあんまり口を割らないから
同じ国にいるのにものすごい情報が入ってくるわけではないスリランカ紛争事情だけど
みんなやっぱり命からがら 「セーフゾーン」に逃げてきているみたい

irin news
(英語だけど web翻訳とかで

逃げてきても 今度は収容所みたいなキャンプに入れられてる

その中でも早く学校再開できるように
必死こいて机とか椅子とか仮設教室とか文房具とか
オーダーしています。。。

私も現場行きたいよーん

アンジェリーナ・ジョリーの泊まった部屋

2009年02月16日 | sri lanka
これです これ

3-4年前に来たとき
まさにこの部屋に泊まったというのは
ジャフナでは超有名な話
一泊2500円(エアコン・朝食つき)

その部屋に私が・・・!ああ!

ゲストハウスの管理人への私の質問

「アンジェリーナも水シャワー使ったの?」

イエース

ぬぉぉ やるやんけ

じゃあ私も我慢するよ(>_<)

私の友達のコメント

「その部屋からブラッドに電話したかもね!」

そう この蚊帳の中から
レースのネグリジェに身を包んで、、、
やばい!妄想が!笑 


フィールドではごくごく普通のゲストハウス
停電しまくっても
水シャワーでも
なぜか快適でした

マイノリティーとアイデンティティ

2009年02月16日 | sri lanka
今回もフィールドではずっとサリーを着ていた私
リアクションとして何度か言われた言葉に
違和感を憶えた

「タミル・レディみたい!」

コロンボにいたら サリーを着ていても「シンハラ人みたい」とは言われない
絶対「これでお前もスリランカ人だね」といわれる

独立のために戦ってきたLTTEだけじゃなくて
普通の若いタミルの人たちの口から
自然にもれた言葉
タミル人のアイデンティティの方が
スリランカ人としてのそれよりも
先にあるのかもと思うのは杞憂かな

逃げてきた人たち

2009年02月16日 | sri lanka
つい1ヶ月ほど前にLTTEが完全に追放されたというジャフナは
建物の銃弾の傷跡が生々しい
おおお 何か懐かしい
こういうのを見るのはシエラレオネ以来だ

ジャフナまでの空の道のりも実際飛行時間は1時間弱なんだけれど
到着するまでにかかった時間 正味7時間
これもアフリカに戻ったみたいだ

ジャフナ市内は 軍隊とチェックポイントの数は思ったよりも随分少なかったけれど
政府に強制されて掲げる家やお店の玄関のスリランカ国旗が
占領下の植民地みたい
強制ってどれだけ効くもんなんだろう?
でもここの人たちは もう慣れてしまったのかもね

国内避難民キャンプの人たちは疲れと不安が顔にくっきりと残っていて
きっと見た目よりもみんな若いんだと思う
何ヶ月もの間 何度も戦火を逃れて移動して
ようやくLTTEから逃れて
海や川を渡って辿り着いたら
運命共同体の他の360世帯の家族と一緒に
小さなスペースに閉じ込められている
いつになったら帰れるのかとか 先のことは誰もわからない

身一つで逃げてきた人たちには
仕事もないし
家もないし
お金もないし
着る服もほどんどないし
きっとシャンプーもヘアドライヤーもないし
コンピューターも携帯電話も冷蔵庫もないし
何と言っても
外に出られない
私だったら2日ともたない
おまけに親類の消息もわからない
本もないし
納豆もカフェもワインも
iPodもWiiもない
まあ私も上記のいくつかはなしで暮らしているけれど(納豆とWiiだけ。Wiiはしたことないけれど)
要はほとんど何もなくって
どうしたって手に入らない
生理用ナプキンはあるのだろうか

大きい方のキャンプでは
広場に一台置いてあるテレビの前に 
大人から子どもまでラジオ体操の子どもみたいにきちんと整列して座って
インドのテレビドラマに釘付けになっていた
他の人たちは 配給のビスケットを手に入れるために並んでいた

小さい方のキャンプは何にもなくって
みんな日陰の地べたに座ってぼぉっとしてた
1日中座って 何を考えるんだろう
並んで座っていた20歳前後のおさげの女の子たちに
毎日何してるの?と聞いたら
案の定「ずっと座っているだけ」とのこと
「図書室とコンピューターが欲しい」と言った
普通だったら大学で楽しく勉強したり
アルバイトしたり 雑誌に夢中になったり 
買い物したり
男の子の噂話をしている筈なのにね

お母さんたちは 子どもが病気でも病院に行けないとか
子どもを学校に行かせてほしいとか
ご飯を子どもが受け付けないとか
そんなことを皆小声で訴えていた

あちこちにLTTEか政府のスパイが忍び込んでいるというから
あまり大っぴらに何も言えないらしい
誰も信じられないらしい
どういう風に生き延びてきたのかとか
占領地の中の様子はどうなっているのかとか
つっこんだ話はできないけれど
胸まで川の水に浸かって
家族で 子どもを抱えて逃げてきたと教えてくれたおばあちゃんがいた

写真を撮りたくて撮りたくてむずむずしたけれど
言語道断です
取り上げられはしなかったけれど
一枚でもシャッター切ろうものなら・・・

いろんな真実が隠されている
誰も何も言えない
言ったらいつ新聞記者たちみたいに
永遠に口を閉ざされるかわからないから

皆 息を潜めて生きている
今までもずっとそうだし 
これからもそう
ただタミル人として生まれてきただけなのに

そして私は どんなに心が痛んでも
飛行機に乗ってコロンボに帰れるし
イタリアンレストランでワイン飲みまくったり
その気になればフォアグラ食べたり
スパで全身マッサージ受けたり
その気になれば日本にも帰れるし
その気になれば世界一周だってできる
こんなに苦しんできた 苦しんでいる人たちを目の前にして
颯爽とランドクルーザーに乗り込んで
エアコンの効いた車から手を振って去っていくんだ

出てきた!

2009年02月09日 | sri lanka
やっと国内避難民(IDP)たちが、LTTEの占領地域から逃れて、ワウニヤにぞろぞろと出てきたみたいです。

こんな感じ

時事通信

この3日間で1万人だとか、1万2千人だとか5千だとか、もっと少ないだとか、情報源によって違うみたいだけれど、とにかく、

やっと来てくれました。
長かったね。待ち続けて。
思わずワウニヤの同僚に言いました。

「早くIDPたちに会って、『よく出てきたね。待ってたんだよ。もう安心していいからね』って一人一人ぎゅぅーって抱きしめてあげてね」


といいつつ・・・ 問題は山積みである。

次々と出てくるIDPたちは、とりあえず問題アリアリな政府管轄の’村 village’ というところに追いやられているようだし、そこもそのうち簡単にキャパを超えるし、何と言っても学校がトランジション・センターとして寝泊りに使われてしまっている。

学校は宿泊施設ではない。

というのが私たち教育関係者の言い分。
だって子どもたちが勉強するところがなくなっちゃう。

さてどうする。。。

と、こんな緊急事態に、私は別の場所に明日から出張。
ずっと待ち焦がれていたジャフナ行き。
こちらもIDPがいっぱい辿り着いている、タミル人地域だけど政府支配の、北の最先端の半島。
飛行機で行きます。

初めてだし、最近怒涛の仕事っぷりだったので、何が何だかもうよくわからなくなっているけれど、明朝6時出発です。


飛行機の手荷物にはぜったいに危ないと思うものは持ってはならないらしい。携帯も取り上げられちゃうらしい。
iPodなんてもっての他かな。
私にしてはめずらしく、手荷物はごくごく手軽で行くことにした。いつもなんでも持っていたい私だけど、取り上げられたらたまらないし。

バッグに何個か忍ばせているピアスも移したし、
なぜかいつも携帯していたマイ鍼も取り出したし、
カメラもコンピューターもお土産の酒も預けるキャリーケースに。

飛行機に乗って国内避難民に会いに行く。
新しい地に足を踏み入れるのは、いつも胸が躍るけれど、それが日本人が一人しかいない地域だと倍増。
(常駐の彼女は今は休暇だから私だけだ!)
思えば、人生で初めて難民キャンプを見たのも、スリランカだった。あのときは何でもめずらしくて、きっと私の目は少女漫画のようにキラキラ輝いていたと思う。

その輝きを失わないように。
ちょっくら行ってきます!

Naoko x

p.s. テンプレートとブログのテーマがまったく噛み合いませんがこういう気分なのでご勘弁を。。。

All you need is

2009年02月07日 | sri lanka
困ったときに頼れる同僚は正直言ってあまりいないのが現実なのだが
あえて思い浮かぶ3人ほども
一人は出張で
二人は海外に行ってしまっている

でも幸運なことに私には 
いつもどんなときでも最適なアドバイスや的を得た言葉をかけてくれる親友がいる
「さっきアイツにこんなこと言われたー」とか
「さっき巨大ヤモリ見たんだけど」
みたいにどんなにアホなことでも話せるし
いつも最適な言葉で励まして、時には叱咤してくれて、いつも笑わせてくれる

泣きそうな私に
彼女の今日の一言

「どんなに頑張ってもできなかったとしても All you can do is 'best'

この一言でどんなに心が軽くなったか・・・(>_<)



それでまたやる気になってがんばってたら
エラー見つけて

1400万が140万になった

あとちょっとだ

コンピューター迷宮入り

2009年02月07日 | sri lanka

今日も昨日も一昨日ももうずっとコンピューター会計システムの中に”潜り込んで”出てこられないでいる

額が合わないの

もう何回も1コ1コ確かめているのに

 

1400万円くらい合わないの。。。

 

ありえへん。。。

 

時間だけが過ぎていくし。。。

夜中に目が覚めて このこと考えて寝られなくなっちゃうし。。。

まあ昨夜疲れすぎて12時間寝ましたが。。。

 

本当に泣きたいー

 

どないしよ

 

 

 

とりあえず飲んどこかな (← えー)