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地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

虐殺記念日

2006年04月12日 | rwanda
4月7日は12回目のルワンダ・ジェノサイド(虐殺)記念日

12年経った今でも
ルワンダにおいて ジェノサイドの記憶は今も色濃く残っていて
あの出来事を ルワンダ人は簡単に忘れることなんてできない
むしろ 忘れてはいけないという
4月7日はルワンダ人にとって 
1年で一番重要な日かも知れない

その日は チャンググというコンゴとブルンジに隣接する地方で
記念式典が行われた
なぜチャンググだったかというと
毎年持ち回りで各県で行われているらしく 
今年はチャンググだった
チャンググには大統領はじめ 国の要人が集まり
各国大使や開発ドナー関係者も集まったらしい
(私たちはナイロビ出張のために行けませんでした)

その前でカガメ大統領は またまた辛辣なスピーチをしたらしい
「94年のあの時 国際社会は何もしてくれなかった」
「そんな奴等に何もいう権利はない」

詳しくそう言い放ったかは定かではない
(私にその話をした人の誇張が入ったかどうかもわかんない)
でもこのアフリカの小国から 凄い権力を発揮しているカガメ大統領は
(私は独裁以外の何でもないと思っている)
94年に起こった出来事を
公然と国際社会のせいにして憚らない

ルワンダは被害者だ、と

こういうことで 国家統一を図っているように見える

ジェノサイドの原因にしてもそう
「ルワンダは昔 フツ族もツチ族も隔てなく暮らしていた
植民地支配になって 作為的に部族の境界、優劣関係が作られた
=悪いのは旧宗主国と94年に助けてくれなかった国際社会」
これが大半のルワンダ人が信じている考え

私には最初ちょっと違和感があった
人のせいばかりにして
ちょっとあんたたちズルくない?


だけどこれは戦略
A級戦犯はちゃんとタンザニア・アルーシャの国際法廷で裁く
「あの日に誰があーした こーした」という細かいことも
未だにコミュニティ主体の「ガチャチャ法廷」で裁く

正義は正義

だけどその人たちばかりを責めてもいられない
悪かったのは他人ってことにして
仲良くやっていこうじゃないの
ってなもんじゃ

これがルワンダ流「和解」

細かいところはちゃんと直面しながら
でも大義では かなり政策めいている
この背後には 沢山隠された問題もあるけど
長くなるから それはまた別の話


さてジェノサイド記念日

キガリ市内にあるジェノサイド記念館や国立スタジアムでは
週末に毎日イベントが行われた
何をしていたかというと
みんなで残虐な話の証言を聞いたりして
蝋燭を点して歩いたり 歌ったりしたらしい

ラジオもずっとそんな歌ばっかだった
「イブ~カ~」(キニヤルワンダ語でrememberという意味)
ルワンダっぽい キックのないつまらない音律

テレビでは虐殺の映像が流れまくりらしい
殺害の現場や 死体の山の隣を難民がぞろぞろ歩く場面など
かなりグロテスク 生々しいらしい
うちにはルワンダの番組は入らないから見てない
怖いしさー

国全体が喪に服しているみたいで
元気ないのは気のせいだけじゃないだろう
この時期に自殺する人も多いらしい

ルワンダの4月は悲しい月
日本では桜が散り始める頃
地球の裏側ではこんな出来事が行われているのです

その後のお話・・・

2006年03月27日 | rwanda
あの出産事件以来
夜に家に帰るのが怖くなってしまったイモトです
ベッドに入っても
また門番が起こしにくるんじゃないかとか
ちょっとしたトラウマ


周りの人の反応はいろいろ

ムズング(外国人)は
「ひえー 記事書けるよ ソレ!」
「乗せてなくてよかったよ。絶対変な責任ふっかけられるんだから」

ルワンダ人はびっくりする人もいるけど
「田舎じゃよくあることだ」

そりゃそうだ 農村では病院なんてそんなにないし
助産婦なしで産む人も多いだろう

・・・でもさぁ 
ウチの前っすよ!
芝生の上っすよ!
あり得ないよ!


そしてその奥さんに関しては
「後妻だよ きっと」
「腹ませちゃったんだよ、きっと」
「それで困らせてやろうってあんなとこに来たのよ!」

「いや 病院代がなかったから
もともとムズングのあなたをタカリに来て
産まれちゃったんでしょ」

ええええ
そんなんだとしたら
車も出して 産休も上げて 病院代まで出してあげちゃってる私って
そうとうお人好しじゃんっ


明日 産休明けのそいつが帰ってくる

なんか 気持ち悪うぅ!

私は平然と
「おかえり」「赤ちゃんも奥さんも大丈夫?」と言うのだろうか

それとも やめさせるべきか?
そして彼は生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて
路頭に迷うのか?

どうする?!続きは次回!

・・・じゃなくて誰か一緒に考えて~

まじで~~~?!門前出産!

2006年03月19日 | rwanda
昨晩 とんでもない事件がありました

アフリカに来てもう2年になりますが
こんなにすごい出来事ははじめて

いや 今まで生きてきた中でも
こんなことはなかったかも。。。


夜中3時
ドアをバンバン叩く音がして目が覚めた
びっくりして起きていくと
うちの門番でした

フランス語で慌てて何を言っているのかわからなかったけど
「女の人がそこで寝ている」
そしてジェスチャーでお腹おっきいことを示して
「下からジャー」という仕草

「妊婦?破水?!どこで?」

慌てて門の外へ出てみると
女の人がうずくまって う~ん う~んと唸っている

「お前の車で病院へ連れて行こう」

私はよくわけがわからず
とりあえず家に戻って着替えて車の鍵を持ってまた飛び出した

そこで理性が・・・

ちょっと待て。

ほんとに私が運転するの???

車の中で出産したり
お母さんか赤ちゃんのどっちかが死んじゃったらどうするの
ムズング(外国人)だからまた変な責任を押し付けられる
でもこのまま放って置けないし
こんなことで自分にかかる責任なんて考えていいのか?ナオコ
そんな人間でいいのか
でもさぁー
やっぱりあとで色んな問題が出てくるのよ、ムズングだからって
救急車の番号もわからないし
あああ パニック


どうしていいかわからなくなって
同僚に電話した

同僚もパニック
でも 「ちょっと考えてすぐ電話するから!」

その間に私と門番は言い争い

「運転なんてできない!」
「何を言ってるんだ!どうなってもいいのか!」
「できないって!怖いもの!」
「神様のためにやろう!」
「私、そんなに信仰深くないのよ!」

すると・・・

おぎゃー


暗くてよく見えなかったけど
女性は下半身裸だし
どうやら産まれたらしい。

           ぎゃーーーーーー
           どうするべーーーーーー

そこで同僚から電話
「救急車の番号わからないけど、今から警備会社の車がすぐそっち行くから待ってて」

その間 門番はどこかへ走って行き
私は出産中だかなんだかよくわからない女性と二人きり

        げーーーーー 怖いーーーーー

赤ちゃんの鳴き声が止むたびに
死んじゃうんじゃないかってすごく怖かった
アフリカでは死産なんてすっごく多いし

しかしホントに車出してたら
私の車の中で出産してたよ。。。

周りの家の門番が二人でてきて
女性に話しかけたり
毛布持ってきたりしていた

そして15分くらいして
警備会社の車到着 
よかったぁぁぁ

一人の人がその女性を立ち上がらせたら
ヘソの緒はつながっていなかった

なんで???

いつの間に切ったの?

でもとにかく女性はちゃんと立ってたし
赤ちゃんも泣いてた

よ、よかったぁぁぁ・・・


あー 怖かった
しかしなんてこったい?
なんでウチの前を通っているの?
この近くは高級住宅街で
そういう人、つまり貧しい人はいない
周りの門番が ウチの門番の奥さんだって言ってた

マジで?

産まれそうになったけど車代も病院代もないから旦那のとこに来て
そこで産まれちゃったの?
でも門番は「知らない人」って言ってたし
女性もそんなことはいってなかった
嘘つくはずないよな?

ていうか 赤ちゃんって
そういう風にして一人でポンと産めるの???

あー もうわけわかんない

とにかく一件落着ぅ~


しかし 私の判断は果たして正しかったのでしょうか?
これで赤ちゃんか妊婦かどっちか亡くなってたら
一生後悔していたかもしれない

とっさに自分を守ってしまった

日本人だったら 車を出していただろう
私はぜんぜんこの国を信用していないということか


あなたならどうしますか?




↑出産現場 うちのゲートの外

ジェノサイドの跡

2006年03月13日 | rwanda
ニャマタの礼拝堂に行った

映画ホテル・ルワンダどころではない

ナマの現場


本当は怖くて仕方なかったけど
平和構築の専門としてこの国にいて 
それを見ないであとで後悔するのも嫌なので
来訪してたワセダの学生さんたちが行くというので便乗した

普段は霊とかまったく鈍感で何にも感じないのだけど
入り口の前で足が動かなかった





おびただしい数の骨の山、山、山

この場所で殺された数は1万人

銃で、なたで、

子どもは壁に叩きつけられて死んだ


本当は 皆 この隣にある地下室に逃げ込んで
すべては起こった

でも骨を保存するには適さないということで
本堂に移動されていた

骨だけが山積みになっていて
頭蓋骨は隣に並べられ
服もそれだけ集められていた



現実味はない
臭いもしない
現実を思い浮かべようとしても頭が拒む

でも教会全体が異様な恐怖感に包まれて 
息ができなくなりそうだった



想像の域をはるかに超えている

その様子を 感情を 言語化することもできない


これだけの数を数時間で皆殺しにした

同じ人間が

同じ国民が

隣人だけじゃない

家族や兄弟をも

すべてこの地で
たった12年前に起こったのだ


ルワンダ競泳のために。

2006年02月25日 | rwanda
買ってしまいました ペースクロック!

ルワンダ競泳ナショナルチームコーチとして
かわいい選手たちのために
税込4万7千円の自腹を切りましたぁ
(でもコレ コネで仕入れ値

かーわーいーーーー くない?マジで。

TSUKASAさんのモノです
こんなかわいいペースクロックだったら
練習も楽しいよねっ
ちなみに電力不足が危ういので 乾電池式
(乾電池代が恒久的にかかるのは気になるが。ルワンダ水泳連盟もお金ないので)

しかし問題が。。。

カタログを見て購入したとき
思わずデザインの可愛さだけに気を取られてしまい
ちゃんとサイズをチェックしてなかったので
そんなに大きなモノとは知らずオーダーしてしまいました

届いてみたら・・・ で、でかっ。Σ( ̄ロ ̄lll)


これはどうやって飛行機で運ぼう???
機内持ち込みは無理
まずどうやって関西空港まで運ぶ?

ちゃんとサイズをチェックすればよかった。。。

何やかんやとゴタゴタしています
ルワンダまで飛行機乗り継いで運ぶの大変そう。。。

でも!
私の愛がいっぱい詰まったペースクロックは
まだインターバル練習をしたことがないルワンダン・スイマーたちにきっと喜んでもらえる

これで短水路世界選手権もバッチリね

超過料金でもがんばって運ぶぞぉ

盲目の除隊兵士

2006年02月06日 | rwanda
今日は全国一斉地方選挙です

町会議員を選ぶ日

道に誰も人がいなくて
車も全然走っていなくて
集会所のどばーーーっと人が集まっている

日本のケタタマシイ選挙とはエライ違いで
何のサインもなく
厳かに行われている

投票率は凄いと思う
だーれも外にいないもん

本当にこの国 皆で何かやろうとするときは すごい結束力だ
「結束」といっても 喜び勇んでやるのではなくて
義務だからやってるような
半ば強制ともいえるような そんな感じで 
あまり感情の起伏なしに 淡々と不特定多数を担っている

空いている店はただのひとつもなくて
経済活動が完全にストップしていることなど
気にかける人は誰もいないのだろうか


そんな今日 運の悪いことに
盲目の除隊兵士の研修の集合日と重なってしまった
誰も来ないかもなぁと思って集合場所に行ったら
5人ばかり来た


普通 除隊兵士で障害を持つ人は 引っ込み思案だったり
やたらと要求したり
何かトラウマでも抱えているような人が多い

盲目だと尚更で
一人では何もできないのが当たり前


でも今日会った5人の中に
とんでもないスーパーおじさんがいた

集合場所に来ないで
バイクタクシーで勝手に現れるし
普通なら誰かに同伴してもらうけど
杖もないのに一人で行動してるし
やたら良く喋るし
「ワイフと子どもにしばらくお別れしなくちゃいけないから今日は帰る。明日来る」という始末・・・

もうとっくにエンパワメントされちゃっているの このおじさん
名前をオーガスティンといいます

帰りの車の中で話していて さらに驚きました

オ「実は今日の選挙で16人中1番に当選しちゃってよー」

        ・・・。

オ「でも断ったよ。この研修があるから」

私「失礼ですが、盲目なのに、何でそんなにリスペクトされてるんですか?」
オ「ワシ、ガチャチャ法廷(94年のジェノサイド加担者を裁くコミュニティ裁判)でも副議長やから」
私「えー すごい。今、仕事とか持ってるんですか?」
オ「前、小学校を作った」

       ど、どうやって・・・

オ「コミュニティの若いモンに作らせた」
私「何か他にあなたができることは?」
オ「農業と・・・ 椅子も作れるけど」

椅子・・・

あまりに驚いたので、そのサングラスの下で 本当は見えているんじゃないかと疑ってみました。

こんな人 私たちのプロジェクトでやる盲目者のための自立促進研修なんていらないんじゃないか
もう立派に自立しているもの!

私「わかった。おじさん。他の参加者たちを助けてね」

オ「ナキバゾ!(キニヤルワンダ語でノー・プロブレム)」


まさにスーパーおじさん
こんな除隊兵士もいるのか

頼りにしてるよ オーガスティン

世界短水路選手権 代表選考会

2006年02月05日 | rwanda
がありました
もちろん ここルワンダでの、です

ルワンダ一大きな25mプール(私たちが使っているプール)に
ペットボトルをくぐらせたコースロープを張って
4つのチームから4名ずつ16名が
2枚の香港行き切符をかけて泳ぎました

ブタレ県の選手が到着するまで待っていたから
3時間半遅れて試合が始まった
あまりの緊張感のなさ
日本の代表選考会とのギャップを思い、苦笑・・・


ようやくレースが始まった
スタートのピストルは 笛
5mフラッグも 5mラインもない
種目は自由形と平泳ぎしかなかった
(背泳ぎとバタフライはみんな泳げないから)

自分の選手がルワンダで一番強いのかと思っていたら 違った

男子50m自由形で勝ったのは
ギセニ県出身 キブ湖で練習しているAimable
タイムは 33秒

女の子は私が(3回だけ)教えているパメラが勝った
50m平泳ぎ 49秒2
(ターンのとき 片手だったのは見過ごしておいた)


実は1ヵ月後にももう一回 選考会があるらしい
そのときまでに私の秘蔵っ子・ピトゥを鍛え上げて
Aimableを負かさせたいけど・・・



キガリ以外の選手はどんなレベルかな?と思っていたけど
小学校の記録会のようなレベルだった

クロールで顔を前に上げる子が多かった

クイックターンをする選手は一人もいなかった
(Aimableでさえも)

終わってからみんなに
平泳ぎの『ひと掻きひと蹴り』の正しいやり方を教えた


今度 学校が休みのときに
キガリにみんな集めて強化合宿をしたいな


その夜 青年スポーツ省の次官に会って
「水泳連盟に入ってくれ」と言われてしまった


OOOOOOPS!

なんちゃって水泳協力隊員 誕生!

2006年01月30日 | rwanda
とうとうデビューしてしまいました
コーチング・ボランティア


ずっと どこかにスイマーいるのかな?と思っていたら
知り合いがルワンダ水泳連盟副会長を紹介してくれ
即効「コーチお願いします」という話になり
ルワンダで唯一の25mプールを訪れた

ちびっ子で大賑わいのリゾートプール
プールサイドで結婚式のレセプションをやっている

選手はどこだ?

いた 隅っこに2人

ルワンダ共和国 男子自由形 チャンピオン パシフィック
女子平泳ぎ チャンピオン パメラ

とっても線の細ーい二人は兄妹
前述の水泳連盟副会長は彼らの母親だった


今までまともに水泳を習ったことがない彼らの泳ぎは
コーチのしがいがある

ストレッチをやらせようにも
ちゃんと座れない
あぐらなんてもってのほか!

けのびの姿勢
お尻が出ている・・・ 
アフリカ人だから仕方ない

手の指は広げない・・・
キックは足の甲で・・・

フランス語辞書を片手に
手取り足取り教えた

ちゃんと練習をやる前に
基本テクニックをマスターするのに何ヶ月かかるだろう

でも 基本第一!
その昔 名匠マーク・シュバートが言っていた
(ふと 思い出した)


4月の短水路世界選手権に出場するのだと言う

ベストタイムを聞くと ずっこけた(←死語)

今 パメラ 100m平泳ぎ 1分40秒
パシフィック 50m自由形 34秒

遅いとは思ったけど
予想を遥かに上回るレベルにびっくらこいた(←死語2)

いやー 楽しみね


ビート板も プルブイも ペースクロックも ストップウォッチもない
おまけにパシフィックはゴーグルがない

今度日本に帰ったら買ってきてあげよう


週末だけちょこっとの気持ちが
毎日ってせがまれて
じゃあ 週2回くらいは来れるよう努力するわ
と答えてしまった

     ・・・・。 
     無理でしょう そんなに仕事早く終わらないし・・・ フランス語のレッスンもあるし・・・ ジムにも行きたいし・・・

でも彼らが真剣みたいだから
生まれて初めて教わることの喜びをひしひしと感じるから
私もせめてルワンダを離れるまで
「そこそこ」真剣にやるべきだ
無責任はイヤだもの


しかし 日焼けはもっとイヤだ

どうしよう・・・

インフラ問題

2006年01月28日 | rwanda
今日中に出したいファックスが成功せず 
家に帰れない

がんばれーーー ファックスぅぅぅ


キガリのインフラ問題は深刻だ

我が家の周りは水問題が深刻で
いつも水やさんを呼んで
巨大タンクに入れてもらう
その値段は破格

でもそれは許す。買えばいいから。


ところが 最近電気がなかった

キガリの家は大抵キャッシュパワーと呼ばれるプリペイド式になっていて
電気屋さんのキヨスクにお金を払って番号を登録する
プリペイド式携帯みたいなもんだ
同じく 電気代は高い

でもそれも許す。ちょっとめんどくさいけど、一気に買えばいいから。


日本人が聞いたら驚くかも知れないけど
キガリは高い
何でも高い
どのアフリカの国よりも高いかもしれない

しかしカネさえあれば キガリは快適に過ごせるのだ


それが突然 私のキャッシュパワー番号が受け付けられなくなり
私も忙しくて解決のための時間を割けず
もう3日も電気がなかった
夜は遅く帰って疲れて寝るだけだから
お気に入りのキャンドルを灯せばいいけど
問題は 冷蔵庫

    ・・・臭くて開けたくない

やっと今日 時間をかけて解決した
何でもキヨスクが手違いで番号入力ミスをしていたとのこと

・・・。

   (怒りで声が出ない)


あああ 奥さんが欲しい。


ファックスがいったみたいだから帰ろっと


今ドキの流行り

2006年01月21日 | rwanda
びっくりしました。

よくわかんないけど
「あいのり」でマサイ・マーケットの紹介があったらしく
私の過去のマサイ・マーケットの記事
アクセスが1万6000件以上あった
いつもランキングとか無縁の当ブログですが
その日のランキングで
なんと435,936ブログ中  2位

(その後急滑降でまた以前の静寂に落ち着いてきましたが)

もちろん ルワンダというおそらく知らない人も沢山いるようなアフリカの地にいる私には
まったく意味不明な出来事で
おまけに意味不明な書き込みもある

当の私は 
遥か遠い母国の現状を突きつけられ
感情を表現することさえままならず
ただ「ふーん。。。」と傍観するしかないのである


話は変わるけど
先日 日本にお正月帰省していたお友達が帰ってきて
買ってきてくれたお餅でお雑煮を作ってみんなで囲んだ

「日本の正月は寒かったよー 雪が降りすぎて死亡者まで出て」
「ひえー 信じられないね」
「すごくお笑いが流行ってて。お正月番組はお笑いと格闘技ばっかだったよ」
「ほぇー」
「しかし日本の女性はみんなつま先から頭のてっぺんまで完璧ね」
「疲れちゃうねー ルワンダで良かったね」
「ちょっとあたしたち終わってる。と感じるときもないことはないけどね」
「まあね」

「ねえねえ、ルワンダでは何か変わったことなかったの?」

「。。。」
「えーと。。。」

(考え込む私たち)

「そうだ。コレラが流行っている。」
「そう。12人死者が出た」

       


テレビ番組に夢中になる日本人の若者
爪一本一本 髪の毛一本一本まで完璧に手入れする日本の女性たち
同じ年頃なのに
コレラの流行る国であくせく働く私

どちらも何とも滑稽だ

自分は一体何をしているのか?
と自問自答したくなるときも たまにあるのさ