週末、勉強会への参加が続いています。先週、先々週は「そもそもがわかる自治体の財政」(初村尤而著)をテキストに、財政について学ぶ連続講座(主催:高槻市財政を分析する市民の会)に参加。今週は、西武高槻店の多目的ホールで開催された「たかつき交通まちづくりシンポジウム ~より良いまちなかのための二つの提案~」(主催:たかつき交通まちづくり研究会・後援:高槻市)に参加しました。
クルマに極端に依存しないで暮らせるまちを実現するという観点から、自転車通行帯や高槻市営バスの路線について具体的な提案がされました。質疑応答の際には、かねてより課題としていた自転車の交通事故と損害保険について尋ねました。自転車は、道路交通法上は車の一種、危険運転に対しては厳しい罰則があります。車と歩行者の間に位置付け、あるべき姿である車道を走るようにいわれて久しいですが、現状の道路事情はそれとは程遠いものです。
しかし、一旦歩道で歩行者にぶつかれば加害者、多大な損害賠償を支払うことになります。車と違って免許がなく、切符を切るということがありません。よって、道路交通法違反として「前科一犯」になるというのです。これはかなり厳しい現実です。また、被害者となった場合も、万一、無灯走行、傘を差し走行、二人乗りなど、ルール違反をしていた場合、明らかに落ち度があったとみなされ、被害にみあった補償を受けることが困難になります。
損害保険会社の方からの情報で、自転車が加害者になるケース、多額の損害賠償の支払いを求められるケースが激増していると知って以来、注目してきました。町議になって思うことは、通学途中、自転車による交通事故で中学生が加害者になる可能性が否定できないということです。「ルールを守ろう」という啓発だけではなく、もっと現実的に、自転車をめぐる社会的背景を教育しておかなければならない、と考えています。
それにはまず、わたし自身が学んでおく必要があり、今日、その糸口が多少なりともつかめました。「おおさか自転車マップづくりの会」「NPO自転車活用推進研究会」「自転車文化タウンづくりの会」など、市民活動にかかわっておられる主催者、参加者の方からお話をきくことができたからです。1970年代、交通事故の増加が社会問題化した時代、「自転車を歩道にあげる」ことで応急処置的な対策をとったある自治体の事例が定着し、日本人の常識となっているのだそうです。1960年代生まれのわたしは、まさに自転車に乗れるようになった時期に「歩道走行」がはじまっていました。いまさら車道を走れといわれても・・・
一方で、車目線の道路施策が延々と行われ、結果、このようないびつな現状を生んでしまった。自動車のように、あるいは自転車の防犯登録のように、購入時に損害保険への加入を義務付けることで、多額の賠償にも対応できるよう、一種のセーフティネットのような仕組みができないものか。すべての自転車に保険がついていることが結果として大事に乗る習慣につながるのではないか、など、日々、奇抜な案を思い描いたりしていますが、これは町政に望むべきことではありません。そして、それがいかに困難か、その理由も今日理解できました。損保会社にとっては多大な手間暇がかかるにも関わらず利益につながりにくい、すべての自転車事故に警察が対応することは実質不可能に近いなどが背景にあるようです。
さて「自転車は歩道を走る」といっても、前後に子どもを乗せた自転車に歩道を走ってくださいというには、相当の覚悟と勇気がいります。現状の道路形態では、中学生に車道走行を勧めることもためらってしまう。町内においては、整備されたばかりの楠公道路に自転車通行帯がないことが気になります。公共交通を学べば学ぶほど、自動車重視の道路交通政策、自民党政権時代の大型道路重視の政策、自動車産業とともにあった高度成長期時代の公共工事に憤りを感じます。
気づくのが遅すぎた。だからといって、これ以上放置できない「自転車問題」は、これからの重点課題と再認識できました。「たかつき交通まちづくり研究会」通称「たかつき・こまち」。もし「しまもと交通うまちづくり市民会議」が発足すれば、「しまもと・こまち」を名乗ってもよいとお許しいただきました(宇部市の「宇部こまち」の代表も参加されていた)協力を惜しまない、広域的な連携も可能と、有難いお言葉を代表よりいただきました。「核」となって活動できる方があれば、すぐにでも「まちづくり市民会議」が発足できると思います。我こそはと思われる方、ぜひともご一考ください!
明日からは、9月議会、後半の本会議に向けての準備がはじまります。
画像は、会員による発表の一部
昨年のNPO再生塾アドバンスドコースで同じチームに所属
川西市をテーマに「高齢化による団地の過疎化と公共交通」を研究した仲間が発表
クルマに極端に依存しないで暮らせるまちを実現するという観点から、自転車通行帯や高槻市営バスの路線について具体的な提案がされました。質疑応答の際には、かねてより課題としていた自転車の交通事故と損害保険について尋ねました。自転車は、道路交通法上は車の一種、危険運転に対しては厳しい罰則があります。車と歩行者の間に位置付け、あるべき姿である車道を走るようにいわれて久しいですが、現状の道路事情はそれとは程遠いものです。
しかし、一旦歩道で歩行者にぶつかれば加害者、多大な損害賠償を支払うことになります。車と違って免許がなく、切符を切るということがありません。よって、道路交通法違反として「前科一犯」になるというのです。これはかなり厳しい現実です。また、被害者となった場合も、万一、無灯走行、傘を差し走行、二人乗りなど、ルール違反をしていた場合、明らかに落ち度があったとみなされ、被害にみあった補償を受けることが困難になります。
損害保険会社の方からの情報で、自転車が加害者になるケース、多額の損害賠償の支払いを求められるケースが激増していると知って以来、注目してきました。町議になって思うことは、通学途中、自転車による交通事故で中学生が加害者になる可能性が否定できないということです。「ルールを守ろう」という啓発だけではなく、もっと現実的に、自転車をめぐる社会的背景を教育しておかなければならない、と考えています。
それにはまず、わたし自身が学んでおく必要があり、今日、その糸口が多少なりともつかめました。「おおさか自転車マップづくりの会」「NPO自転車活用推進研究会」「自転車文化タウンづくりの会」など、市民活動にかかわっておられる主催者、参加者の方からお話をきくことができたからです。1970年代、交通事故の増加が社会問題化した時代、「自転車を歩道にあげる」ことで応急処置的な対策をとったある自治体の事例が定着し、日本人の常識となっているのだそうです。1960年代生まれのわたしは、まさに自転車に乗れるようになった時期に「歩道走行」がはじまっていました。いまさら車道を走れといわれても・・・
一方で、車目線の道路施策が延々と行われ、結果、このようないびつな現状を生んでしまった。自動車のように、あるいは自転車の防犯登録のように、購入時に損害保険への加入を義務付けることで、多額の賠償にも対応できるよう、一種のセーフティネットのような仕組みができないものか。すべての自転車に保険がついていることが結果として大事に乗る習慣につながるのではないか、など、日々、奇抜な案を思い描いたりしていますが、これは町政に望むべきことではありません。そして、それがいかに困難か、その理由も今日理解できました。損保会社にとっては多大な手間暇がかかるにも関わらず利益につながりにくい、すべての自転車事故に警察が対応することは実質不可能に近いなどが背景にあるようです。
さて「自転車は歩道を走る」といっても、前後に子どもを乗せた自転車に歩道を走ってくださいというには、相当の覚悟と勇気がいります。現状の道路形態では、中学生に車道走行を勧めることもためらってしまう。町内においては、整備されたばかりの楠公道路に自転車通行帯がないことが気になります。公共交通を学べば学ぶほど、自動車重視の道路交通政策、自民党政権時代の大型道路重視の政策、自動車産業とともにあった高度成長期時代の公共工事に憤りを感じます。
気づくのが遅すぎた。だからといって、これ以上放置できない「自転車問題」は、これからの重点課題と再認識できました。「たかつき交通まちづくり研究会」通称「たかつき・こまち」。もし「しまもと交通うまちづくり市民会議」が発足すれば、「しまもと・こまち」を名乗ってもよいとお許しいただきました(宇部市の「宇部こまち」の代表も参加されていた)協力を惜しまない、広域的な連携も可能と、有難いお言葉を代表よりいただきました。「核」となって活動できる方があれば、すぐにでも「まちづくり市民会議」が発足できると思います。我こそはと思われる方、ぜひともご一考ください!
明日からは、9月議会、後半の本会議に向けての準備がはじまります。
画像は、会員による発表の一部
昨年のNPO再生塾アドバンスドコースで同じチームに所属
川西市をテーマに「高齢化による団地の過疎化と公共交通」を研究した仲間が発表