とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
ひとが主役のまちづくり!

大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

『島本町歴史文化基本構想』を!~文化財保護行政4~

2021年01月24日 | もっと文化を!そして歴史を!
12月の一般質問「もっと文化を!埋蔵文化財保護行政と歴史文化基本構想」(要約:文責とだ)*つづき

桜井の尾山遺跡・越谷遺跡の存在は、JR島本駅西地区のまちづくりに付加価値をもたらし、この地に水無瀬神宮があることの意味、後鳥羽上皇の時代(公家から武士の時代への転換期)に新たなスポットを当てるものです。

ベットタウンとして発展した島本町には、かつて鎌倉時代の公家社会の様子が埋もれています。承久の変の後(島本町では「乱」とは呼ばず、こう呼ぶ)、後鳥羽上皇が隠岐に配流された後(島本町では「お移りになった」と表現されることも)、水無瀬の地はどのような道をたどったのでしょうか。

こういったことを地元で研究していくことの必要性を強く感じます。そのためには、島本町の「歴史文化基本構想」が要ると考え、以下の質問を行いました。

島本町歴史文化基本構想について
問:戸田
近年、生涯学習課におかれましては精力的に文化財調査を行い、データベースの蓄積を行っておられると認識していますが、本町には、文化財保護行政を進めるための基本的な構想、マスタープランがない。必要と考えるが、いかがか。
※文化庁:歴史文化基本構想の策定技術指針公開・相談窓口を設けて推奨

答:教育こども部長
歴史文化基本構想は、各地方公共団体において文化財保護に関するマスタープランとして、文化財をその周辺環境も含めて総合的に保存・活用するために策定するものであり、平成19年に国の文化審議会文化財分科会企画調査報告書において提言されたもの。

本町においては「総合計画」の中で文化財の保護や活用について示している。歴史文化基本構想は法定義務ではないことから、現在のところ歴史文化基本構想を策定する予定はない。

今後も「総合計画」及び「文化財保護法」、また、本町の「文化財保護条例」に基づき、適切な保存・活用に努めてまいりたい。


環境分野においては住民参画で丁寧に「環境基本計画」を策定しました(その入り口から市民として参画してこれを実感している)。今現在の環境保全審議会での議論を闊達にしている根っこになっていると思います。

歴史文化分野でも本来そういうプロセスが必要なのです。文化はお金にならないと思ったら大間違いです。文化庁の京都移転に期待したい。とだ*やすこは、わが町・島本の文化行政が充実するよう、祈るように活動を続けます。


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下賀茂神社の蹴鞠展 開催中
鴨社資料館秀穂舎(一の鳥居北)
1月1日~3月21日(日)
10時~15時 水曜日休館
大人500円 中学生以下無料
*後鳥羽上皇は蹴鞠の名手でした

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JR島本駅西のまちづくり ~文化財保護行政3~

2021年01月23日 | もっと文化を!そして歴史を!
12月の一般質問「もっと文化を!埋蔵文化財保護行政と歴史文化基本構想」(要約:文責とだ)*つづき

少し長いです。毎回、時間が足りない!という思いでいますが「NHKの朝ドラ」は15分、フィギュアスケートのフリー演技は数分であれだけのことが表現できるのだ、と自分に言い聞かせています(余談です)。

越谷遺跡とJR島本駅西のまちづくり
越谷遺跡が非常に重要です。2017年の夏、岬状の州浜の痕跡と思われる地形から、御所ヶ池の南が池であった可能性が高いと水無瀬殿研究の第一人者からご指摘いただきました。


真っ先に浮かんだのは、なぜか宇治の平等院の鳳凰堂の苑池、もともとは藤原道長の別荘「宇治殿」でした。後鳥羽上皇をこよなく尊敬していた後水尾天皇の修学院離宮の周辺地形との類似性にも気づきました。

南山城の浄瑠璃寺の池と本堂の姿(宇治の平等院に似ているが規模が小さい)などを思うと、桜井に同様の浄瑠璃世界が描かれていた可能性は十分にあると思います。

問:戸田
JR島本駅まちづくり委員会において参考人・前川氏は、池の汀と思われるとして、当該箇所、岬状の地形の保存を主張されていた。最低限、再度の調査による記録保存を求めておられたと思う。どのようなご発言があったか。

答:都市創造部長
第4回JR島本駅西地区まちづくり委員会(2020年11月17日)、参考人から、名神高速道路拡幅時の調査の際、御所ヶ池で発見された汀を例にあげられ、岬状の地形の保全を主張されていたものと認識する。

また、岬状の地形の詳細がはっきりしない状況において工事を実施するのであれば、発掘調査を実施のうえ記録として残す必要性を主張されていたものと認識する。

御所内、御所池、六条殿、薬師堂の庭、御堂前などの字名があることから、桜井の重要性は久しく研究者から指摘されていました。


昭和34年夏、7月から9月にかけて名神高速道路沿線史跡調査の一環として、奈良国立文化財研究所員が中心となり、広瀬・桜井地内にある水無瀬離宮跡と伝桜井御所跡の実測調査が行われています。←府教委の依頼による

ただ、この段階では後鳥羽上皇や鎌倉時代に関連づけるまでには至っていません。古記録が正確さを欠くきらいはあるとしたうえで、桜井は桓武天皇王子円満院法親王の桜井御所跡と伝えている(地元の伝承)とされていました。

このとき調査を担当された森蘊(おさむ) 氏(日本庭園史学の基礎を築かれた)は、執筆された『遺跡庭園の調査 水無瀬離宮跡並びに伝桜井御所跡の調査』(奈良文化財研究所)を次のように締めくくられています。

「いずれも類例の稀である平安・鎌倉時代宮園遺跡として、文化史上最も重要なものであることが確実となった上は地下遺構の記録保存することのできるよう、今後、工事現場との連絡を緊密にされたいものです。」

日本庭園史学の第一人者・森蘊 氏のご指摘から半世紀を経た今、記録保存の蓄積に加えて、文献、地形的観点からの研究がようやく充実してきました。だからこそ、今、地形を壊すことはなんとしても避けたいのです。

森先生が実践されたという徹底的な文献資料の分析や、測量図と発掘調査との照合が必要で、島本町の場合、考古学に偏り過ぎていると、とだは思います。

問:戸田
改めて、越谷遺跡における岬状の州浜と思われる地形の保存協議を、土地区画整理組合、業務代行者・株式会社フジタと行っていただきたいと思うが、いかがか。今のままでは地区道路が敷設され、岬状の形状が壊されてしまう。その損失は計り知れない。

答:都市創造部長教育委員会
平成29年度に実施した土地区画整理事業に伴う試掘調査で遺構等の存在の確認ができなかったため、現時点では発掘調査の予定はないが、工事中に重要な遺構・遺物の存在を確認した場合は発掘調査を実施する予定としている。

なお、今回の尾山遺跡で見つかった池泉跡は、後鳥羽上皇配流後に造営されたものである可能性が高まっており、水無瀬離宮に関連する州浜の存在を裏付けるものではない、と聞き及んでいる。

そのため、町教育委員会の見解に沿って対応してまいりたいと考えているが、組合との設計協議等に際しては、まちづくり委員会でいただいたご意見等についてもお伝えするなど、可能な範囲で協議を行ってまいりたい。


後鳥羽上皇の隠岐配流後、この島本町がどのようであったかという意味で、日本史上、非常に重要な資料になると思います。

森氏の提言を踏まえて、文献資料の収集・保存・活用をもって継続的な研究を半世紀にわたり行っていたならば、桓武天皇王子円満院法親王の桜井御所跡という伝承とは異なる見解が得られていたかも知れません。

場合によっては、町営鶴ヶ池住宅跡地を売却する前に西浦門前遺跡の重要性が推測できていたかも知れず、島本町の歴史・文化・景観、まちづくりも、今とは違ったものになっていたとわたしには思えてなりません。

いずれにしても、水無瀬殿研究者が、膨大な資料、地形、浄土思想、風水学などから、桜井が水無瀬殿を構成する重要な地域であったという論理的推測にたどり着かれた課程において、岬状の州浜が果たした役割は極めて重要なものでした。

問:戸田
このたびの尾山遺跡池泉跡等の発見により、鎌倉時代、貴族の暮らしが当該地に及んでいたことは明らかである。桜井の重要性、州浜の存在の意義、桜井における水無瀬殿研究の信憑性は格段に高まったと言えるのではないか

答:教育こども部長
尾山遺跡で見つかった池泉跡等は、現地説明会後も調査を進め、現状では後鳥羽上皇配流後の13世紀中葉以降に造営された遺構である可能性が高まっている。

後鳥羽上皇が関与していなくとも、非常に精緻に造られており、相当の有力者の関与が窺える遺構で、当時においても桜井地区が重要な地域であったことが窺える。

西浦門前遺跡で水無瀬離宮跡に関連する庭園跡が見つかっていることから、水無瀬離宮跡の範囲が桜井地区まで拡がっていたことは明らだが、尾山遺跡周辺や御所ヶ池周辺まで拡がっていたということを明らかにする資料は、現在のところ今回の尾山遺跡の発掘調査では見つかっていない。

越谷遺跡内に存在する岬状の農地が水無瀬離宮跡に関連する州浜であることを裏付ける資料も見つかっていない。

だからこそ今後の研究を待ちたい。島本町史、日本史研究として、後鳥羽上皇配流後の当該地のあり方を調査することが町教委の役割ではないでしょうか。

問:戸田
さて、当該地はヒメボタル(陸生・森のホタルとも呼ばれる)の生息地。と同時に、宅地造成工事規制区域でもある。農住ゾーンの農の部分を活かし、越谷池からの水路を利用してビオトープ的な緑地あるいは農地とし、歴史的景観の一部として保存・活用するという選択を切望する。考えられる課題は。

答:都市創造部長
農住ゾーンは、民有地となる部分と、公共用地の緑地や道路等となる部分で構成されている。当該の州浜とされる部分について、仮に公共用地の緑地として町に移管される場合、設備の管理コストの課題などもあるが、ご指摘のような協議は一定可能であるものと認識する。現時点においても水を補充しない中でヒメホタルが生息している。

しかしながら、事業実現性を考慮し道路の敷設や換地設計等を行われるため、当該の州浜とされる部分が民有地に含まれる場合、都市計画上における規制等の枠内での土地利用を妨げることはできない。土地を所有される方の意向を尊重すべきものと考える。

なお、歴史的景観の保全については、JR島本駅西地区まちづくり委員会でも議論されている内容であることから、今後いただく予定の提言等をもとに、まちづくり全体のガイドラインとして作成してまいりたい。

尾山遺跡・越谷遺跡の歴史的・文化的価値は、JR島本駅西地区のまちづくりに付加価値をもたらし、また水無瀬神宮の存在価値をさらに高めるものです。島本町にとって、いえ日本史の観点から極めて重要なものと訴えました。 

つづく*

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越谷遺跡にのこる池の汀の面影(2017年夏)
岬状の州浜は歴史的美地形として
JR島本駅西のまちづくりに活かしたい

次回の第7回JR島本駅西地区まちづくり委員会(最終)
令和3年1月29日(金曜日)13時から
島本町役場3階 委員会室

詳細、傍聴についてはこちらから
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水無瀬学と史跡指定 ~文化財保護行政2~

2021年01月22日 | もっと文化を!そして歴史を!
12月の一般質問「もっと文化を!埋蔵文化財保護行政と歴史文化基本構想」(要約:文責とだ)*つづき

水無瀬学と史跡指定について
考古学に頼らない複眼的な視点が求められています。藤原定家の『明月記』など、文献による水無瀬殿研究からすれば、山崎から桜井方面まで、町域内のすべてが重要な地域です。


島本町教育委員会として水無瀬殿関連遺跡の内容とその価値を明らかにし、十分な知見を蓄えていかなければなりません。←ここ重要

第4回JR島本駅西地区まちづくり委員会において、参考人・前川佳代氏(考古学)がおっしゃった言葉をお借りして、わたしはこれを「水無瀬学」と呼びたいと思います。

問:戸田
埋蔵文化財分野においては「文化財保護法」に現状保存の理念が含まれていないことから、行政として可能な限りの現状保存を求めても、広瀬国木原遺跡、西浦門前遺跡がそうであったように、開発行為に伴って発見された遺跡の保存は容易ではない。

にもかかわらず全国各地で遺跡が保存され活用されているのはなぜなのか。史跡指定がなされているからではないか。保存と活用が行われている事例をどのように把握しているか。

答:教育こども部長
一般的に史跡指定は、埋蔵文化財の発掘調査だけではなく、歴史学や地理学などといった様々な学問分野から、その範囲、構造、性格などの検討を行い、検討委員会などを立ち上げて審議を重ねたうえで、その遺跡の情報がある程度詳細に把握できた時点で、国に意見具申するものであると認識する。

保存と活用についての事例として、例えば、高槻市には安満遺跡公園や今城塚古墳公園などの史跡公園があり、安満遺跡公園は昭和初期(1928)から発掘調査を進め、平成5年に民有地を史跡指定して以降、徐々に公有地化を進め、京都大学大学院農学研究科附属農場の移転に伴い、その跡地を追加指定して、安満遺跡公園として活用していると聞き及ぶ。

今城塚古墳公園は、昭和33年に史跡指定を受けた後に、約50年間かけて公有地化を進め、現在、史跡指定範囲のほぼ全域が公有地となり、公園として活用されている状況であると聞き及ぶ。

いずれにしても、今後の遺跡の保存と活用方法については、引き続き関係機関とも連携しながら調査研究していく必要があると認識している。


つまり展望を持って時間をかけて取り組む必要があります。国木原遺跡、西浦門前遺跡など、水無瀬殿関連の遺跡の発見は、広瀬、百山から桜井にまで展開される後鳥羽上皇の都市計画の思想を物語るものです。

今後も町域内から重要な遺跡・遺構が発見される可能性は十分にあります(広瀬・第一小学校のあたりで馬場跡など)。考古学的情報以外の資料から得られる情報も含め、総合的な見地から史跡指定を目指す必要があると考えます。

問:戸田
埋蔵文化財の平面的な拡がり、層位的な重なり、遺構や遺物の密度、遺跡の性格と重要度を把握し、適切に伝えることなく、遺構の原状保存への理解、協力は得られない。町教委はこれができていないのではないか。

答:教育こども部長
史跡指定するためには、その遺跡を詳細に把握する必要がある。水無瀬離宮跡の構造や性格等の詳細を明らかとするためにも、まず、その位置や範囲をある程度把握する必要がある。

しかしながら現在までの発掘調査では、水無瀬離宮跡の発見例は広瀬遺跡・国木原地区及び西浦門前遺跡の2例のみで、その範囲についてはほとんど判明していない。

そのような状況で、水無瀬離宮跡の詳細な情報を得るために広範囲に発掘調査や試掘調査を実施することは、費用・労力に対して効果が薄く、不要に文化財を破壊することにもなりかねない。

また、水無瀬離宮跡の中心となる埋蔵文化財包蔵地として指定されている水無瀬離宮跡や広瀬遺跡周辺はすでに市街化しており、広範囲に調査を実施するのは困難な状況。

本町では「島本町文化財保護条例」第18条第4項の規定により、埋蔵文化財包蔵地外の土木工事等においても教育委員会と協議するよう義務づけ、必要に応じて埋蔵文化財の調査を実施している。

引き続き埋蔵文化財包蔵地内外での土木工事等に伴う調査を実施し、その位置や範囲を把握してまいりたい。ある程度、位置や範囲を把握することができた段階で、水無瀬離宮跡の構造や性格を明らかにするためにどのような調査が有効であるかを検討してまいりたい。

埋蔵文化財について重要な発見があれば、その都度、そのときまでに蓄積した発掘調査成果や、その他の分野の研究成果をもとに事業主と発見された文化財の保存ができるように協議を行ってまいりたい。
つづく*

必見☆彡
尾山遺跡

2020年10月3日現地説明会資料


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高槻市・今城塚古代資料館にて
土師器が祭礼で使われる様子
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尾山遺跡の復元と活用 ~ 埋蔵文化財保護行政~ 

2021年01月12日 | もっと文化を!そして歴史を!
1月も半ばになりました。寒中お見舞い申し上げます。残念ながら、新型コロナウイルス感染症の流行状況が深刻になっていると辛い報道が繰り返されています。

今年は新年互礼会も出初式もなく、1月7日の会派代表者会議、議員全員協議会が仕事はじめとなりました。議会基本条例の制定に向けて最後の議論、調整を行いました。

年末年始は、やがて迎える任期満了(4月29日)を前に大量に溜まった資料に向き合いました。仕分け、処分、ファイリングを繰り返すうちに、できたこと、できなかったこと、これからやるべきことの整理ができました。楽しい作業でした。

今、もっとも取り組まなければならないテーマのひとつは文化施策です。

そもそも取り組まなければならないと思いながら、そのときどきの政策課題(JR島本駅西・保育環境・ごみ処理広域連携・新庁舎建設などなど)を調査研究するなかで、つい後回しになってしまっていました。

縁あって後鳥羽上皇の水無瀬殿(水無瀬離宮)のことを勉強する機会に恵まれ、島本町は天王山を挟んで都に近く、歴史的に重要な地域であったことがよく理解できました。

自慢にもなりませんが、実は地理歴史分野の基礎的知識が想像を絶するほどに乏しいです。仕事を通じて必死に理解しようとするうち、歴史考古学にたいそうロマンを感じるようになりました。

昨秋、JR島本駅西の開発に伴う埋蔵文化財発掘調査で鎌倉時代の池泉跡が発見され(桜井・尾山遺跡)、文化施策は名実ともに、もっとも取り組まなければならない重要なテーマになりました。

そんなわけで今年初めてのブログ記事は、令和2年(2020年)12月に行った質問「もっと文化を! 埋蔵文化財保護行政と歴史文化基本構想」とその答弁をつぶさにご紹介します。
※文責:戸田
※要約です。会議録は追って町HPに掲載されます。

尾山遺跡の復元と活用について
問:戸田
尾山遺跡の発掘調査において、これまでに発見された遺跡・遺構について、JR島本駅西土地区画整理組合、株式会社フジタとの協議の内容、特に鎌倉時代の池泉跡と発表された遺構の保存協議について、詳細、ご説明を。

答:教育こども部長 
JR島本駅西土地区画整理組合と、その業務代行者である株式会社フジタとの遺構の保存協議につき、発見された遺構の中で本町の歴史上重要であり、遺構の解釈についてある程度判断することができた池泉跡周辺の遺構について保存協議を進めている。

池泉跡が見つかった地点は公園建設予定地、その地下には調整池の埋設が予定されている。遺構が破壊されないよう開発計画の変更について協議を実施したが、調整池の形状を変更することはできないと聞きいた。

そのため、現在の位置の地中に保存することはできないが、池泉跡を文化財保護の普及啓発に活用するため、移築復元の場所などについては、今後の発掘調査結果なども踏まえながら事業主と協議を進めていきたい。

戸田:当該箇所は、調整池を設置するために深く掘る必要があり、遺跡があれば、当然破壊されてしまう。そこで記録保全を目的とした埋蔵文化財発掘調査を行われた。

埋蔵文化財の原状保存の原則により、発見することを目的にして掘り壊さない、すなわち発見には常に開発が伴う。ここに埋蔵文化財保護行政のもどかしさがある。

問:戸田
幸い、当該箇所は公園となる計画。遺跡を活用した公園とすることは十分以上に可能と考える。教育委員会、都市創造部の見解はどのようなものか。

答:教育こども部長
発見された場所に近い場所の地上に復元することが望ましいと考えている。そのことにより当時の周辺環境を想起することができ、最も文化財保護の普及啓発に有効と考える。

可能な限り遺構から近い場所に移築復元できるよう事業主と協議を進めてまいりたい。

遺跡を活用した公園としての整備については、JR島本駅西土地区画整理組合及び公園の所管である都市創造部と連携しながら、今後のあり方を検討してまいりたい。

答:都市創造部長
具体的な公園整備のあり方については、まちづくり委員会のご意見等も踏まえながら、当該土地区画整理組合と協議を重ねてまいりたい。まずは公園管理を所管する都市創造部と埋蔵文化財を所管する教育委員会において、遺構の活用も含め、検討してまいりたい。

戸田:まちづくり委員会でも、歴史を軸に闊達な意見が交わされるようになった。期待したい。学術的観点からすると移築は避けなければならない。同じ場所(その地上)での復元を目指すべき。

問:戸田
尾山遺跡の発掘調査は14工区に分けて行われる計画。このたびの池泉跡の発見を受けて、今後の調査をどのように強化するか。越谷遺跡についても再調査が必要と思うが、いかがか。

答:教育こども部長
このたびの鎌倉時代の池泉跡の発見を受け、周囲の調査地においても同様の遺構が見つかる可能性があること念頭により慎重に調査を実施するよう、実際に発掘調査を実施する公益財団法人大阪府文化財センターと考え方の共有を行っている。

越谷遺跡周辺については、平成29年度に試掘調査を実施しており、遺構が存在しないことを確認している。越谷遺跡周辺に残る平安時代前期の桜井御所跡の伝承や、近年、唱えられている越谷遺跡周辺に水無瀬離宮関連遺構が存在したとする説のことは認識している。

が、このたびの鎌倉時代の池泉跡は13世紀中葉以降のものである可能性が高く、これらの伝承や説に直結するものではないと考えている。

戸田:開発に伴う発掘調査において単独で遺跡の価値を判断すること、まして原状保存することは極めて困難。島本町が主体的に動かずして遺跡の保存・復元等はできない。また今回の遺跡をどう扱うかが今後に影響し、このことは水無瀬殿関連の遺構であるかどうかに関わらない。

つづく*

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桜井・尾山遺跡
池泉跡の西方面には
井戸の遺構も発見された
2020年10月3日現地説明にて
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初春や叶結びの赤と白

2021年01月03日 | 花鳥諷詠☆いまここ俳句
初春や叶結びの赤と白  靖子


はじまり
門松を知らぬ息子の新世紀
着ぶくれて肩の凝るこる初戎
人形屋で干支の根付を買ふて春


ふるさと
初比叡京も淡海も晴れてをり
故郷に赤城山あり空風
雑煮椀かかあ天下の隠し味


ぬくもり
桜榾炎の綾を紡ぎをり
懐炉炊き声いっぱいの火の用心
左義長の火を守る人の風をよむ

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2021年・令和3年恭賀新年

2021年01月03日 | こんにちは!とだ*やすこです
新年あけましておめでとうございます

みなさまにとって
よりよき年となりますよう

今年もよろしくお願い申し上げます 
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