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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第一番「瑠璃光寺」

2023年09月15日 | 神社仏閣


七福神めぐりや七草めぐりは各地にあるようですが、そんな数多い中から深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」
をめぐってみました。深谷七福神・秋の七草寺 は次の通りです。
 第一番 瑠璃光寺『大黒天/ハギ』
 第二番 一乗寺 『布袋尊/ナデシコ』
 第三番 宝泉寺 『福禄寿/キキョウ』
 第四番 全久寺 『寿老人/フジバカマ』
 第五番 惣持寺 『弁財天/オバナ』 
 第六番 泉光寺 『恵比寿天/オミナエシ』
 第七番 正伝院 『毘沙門天/クズ』
秋の七草とは言え 咲く時季にずれがあるようで七草寺めぐりについては名ばかりになってしまいましたが、第一
番から順番に紹介してみたいと思います。

第一番
瑠璃光寺(るりこうじ)
『大黒天/ハギの寺』
山 号: 深谷山
院 号: 光明院
寺 号: 瑠璃光寺
御本尊: 釈迦如来像
宗 派: 天台宗
所在地: 深谷市稲荷町北9-25

【関東九十一薬師霊場第39番札所】



仁王門(山門)
江戸中期の享保年間(1716~1736年)建立  深谷市指定有形文化財



山号額
見てすぐの時は何と揮毫されているのか戸惑いましたが「深谷山」ですね
内部に三つ葉葵紋が見えますが、これは徳川家康逝去(1616)後に家康の遺骨を日光に奉遷する際には天海僧正
が当寺で休憩、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を受領していることからのようです。



仁王像


仁王門(山門)を潜った先には薬師堂  深谷市指定有形文化財 
参道の両脇には献灯篭が  通称・深谷薬師と呼ばれる


地蔵堂(奥)と鐘楼(手前)


薬師堂  深谷市指定有形文化財


仁王門(山門)の右方にある本堂参道


定門  深谷市指定有形文化財


同上


本堂


同上


扁額 寺号「瑠璃光寺」


本堂と薬師堂を繋ぐ回廊  本堂→薬師堂


本堂と薬師堂を繋ぐ回廊  薬師堂→本堂


回廊の下を潜ると開山・慈覚大師の「御手植椎」


さて目的の『大黒天』と『ハギ』はどこにと探すに、本堂右手の庫裡の前の方に多層塔がありその後方に


居りました ハギに囲まれた『大黒天』さんが・・・でも、萩の花は咲いていません


同上


同上


ほんの僅かに咲いている花を これで何とか秋の七草寺『ハギの寺・瑠璃光寺』に・・・


同上


ハギの花はまだまだでしたが、百日紅はまだまだ盛りを極めていました


こちらは白色の百日紅

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

スポット展 「菅谷館跡国史跡指定50周年展」

2023年09月12日 | 企画展・見学会


スポット展「菅谷館跡国史跡指定50周年展」
会期:令和4年(2023)8月29日(火)~令和5年(2024)1月7日(日)
会場:埼玉県立嵐山史跡の博物館 展示室(比企郡嵐山町菅谷757)
および、同館ロビーで開催中の
  「展示室スポット展連携展示 菅谷館跡の発掘調査」
    令和4年(2023)8月29日(火)~10月22日(日)
も併せて観覧してきました。

菅谷館跡は、昭和48年(1973)5月26日に、国の史跡に指定されました。当時は菅谷館跡単体での指定でしたが、
平成20年(2008)3月28日に、松山城跡(吉見町)、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川
町)の3城跡を追加指定して「比企城館跡群」と改称されました。
「比企城館跡群 菅谷館跡」は本年国の史跡指定から50周年を迎えます。また、嵐山史跡の博物館は菅谷館跡内に
あります。



まずはロビー展「展示室スポット展連携展示 菅谷館跡の発掘調査」からの観覧です。
第2次調査(1975)、第3次調査(1976)、第4次調査(1979)、第5次調査(1981)の発掘時の写真が数枚づつ
展示されています。



〔2次〕発掘開始前現地伐採風景


〔3次〕調査地点全景(東から)


〔3次〕Bトレンチ発掘作業風景


〔4次〕発掘作業風景


〔5次〕調査後整備状況


ロービー展示の観覧のあとスポット展 「菅谷館跡国史跡指定50周年展」観覧のため観覧料を払って展示室に。
スポット展示は展示室の一角を使っていますので、観覧料が発生するわけでして・・・
まずは畠山重忠公にご挨拶をして、常設展示「畠山重忠・秩父平氏の本拠・戦国時代の城館・供養と埋葬」を観
覧してから出口近くのスポット展示に。



スポット展 菅谷館跡国史跡指定50周年展 のボード


昭和51年(1976)の館跡の伐開等の整備前の写真とその下に現在の写真


「開催にあたって」の挨拶文


昭和51年(1976)の写真
この当時の案内板の説明は縦書きでしたが、今は横書きに変わっています(下の写真)



昭和51年(1976)の三ノ郭中央部


板碑について


板碑


ショーケースには昔の写真が展示されています


同上


埼玉県立歴史資料館(現・埼玉県立嵐山史跡の博物館)建設中の写真 昭和50年(1975)


建設中の写真の一部


同上


埼玉県知事 畑 和(当時)の書による「菅谷館跡」と史跡説明板
なお、畑 和(畑やわら名義)は「坂東武士の鑑」と称された畠山重忠を詠った「重忠節」を作詞しています。


埼玉県立嵐山史跡の博物館の全景を南側(三ノ郭)から

観覧日:令和5年(2023)9月12日(火)

比企歴史の丘巡回文化財展「比企の杜」

2023年09月09日 | 企画展・見学会


比企歴史の丘巡回文化財展  比企のタイムカプセル22
  比企の杜ー神社と文化財ー
期 間:2023年9月5日(火)~9月10日(日)
会 場:東秩父村和紙の里ふるさと文化伝承館
全体期間:2023年8月22日(火)~11月26日(日)・・・10会場を巡回展示
主 催:比企地区市町村教育委員会連合会
    比企地区文化財振興協議会
    埼玉県立嵐山史跡の博物館

内 容
 今回で22回目を迎えた「比企のタイムカプセル」は比企地域に所在する神社にまつわる文化財を紹介する展示。
展示と言っても写真パネルのみで文化財などの物の展示はありません。
神社に関係する「社殿彫刻」・「神社に残る社叢・古木」・「延喜式内社」・「お囃子と神楽」・「獅子舞」・
「絵馬・額」の項目別に展示されています。
項目別全体を撮った写真のうえ、透明ファイルに反射してしまったりで、何が写っているかわからない写真ばかり
ですが、こうした展示だとお分かりいただければと思います。



東秩父村会場の「ふるさと文化伝承館」


伝承館」の看板が掲げられているで出入口


入り口を入った正面に、「ごあいさつ」、「展示関連地図」、「比企の神社」、「ポスター」
なお、展示写真の説明札に、「県(市・町・村)指定」と入っているのがありますが、これらは天然記念物や建
築物、無形民俗文化財などの文化財種別が省略されているものです。
(例)萩日吉神社社叢 県指定・・・埼玉県指定天然記念物
   八宮神社社殿  県指定・・・埼玉県指定有形文化財(建造物)
   松葉町祭ばやし 市指定・・・東松山市指定無形民俗文化財 

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『社殿彫刻』

 ① 箭弓稲荷神社本殿の彫刻 【東松山市】(県指定)
 ② 野球稲荷神社本宮の彫刻 【東松山市】(市指定)
 ③ 手白神社の彫刻     【嵐山町】 (町指定)
 ④ 氷川神社の彫刻     【鳩山町】
 ⑤ 八宮神社社殿の彫刻   【小川町】 (県指定)
 ⑥ 鎌形八幡神社本殿の彫刻 【嵐山町】 (町指定)
 ⑦ 日枝神社の彫刻     【ときがわ町】
 ⑧ 八雲神社本殿の彫刻   【東松山市】(市指定)


八宮神社社殿の彫刻   【小川町】 (県指定)
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『神社に残る社叢・古木』

 ① 萩日吉神社社叢    【ときがわ町】(県指定)
 ② 児持杉        【ときがわ町】(町指定)
 ③ 大スギ        【嵐山町】  (町指定)
 ④ 靱負愛宕神社の森   【小川町】  (町指定)
 ⑤ 上古寺氷川神社の森  【小川町】  (町指定)
 ⑥ 天神社の大杉     【東秩父村】 (村指定)
 ⑦ 下里のスタジイ林   【小川町】  (県指定)
 ⑧ 伊古乃速御玉比売神社社叢 【滑川町】(県指定)
 ⑨ 八幡神社のイチイガシ 【鳩山町】  (町指定)
 ⑩ クマグス       【東秩父村】 (村指定)



萩日吉神社社叢    【ときがわ町】(県指定)
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『延喜式内社』

 ① 高負彦根神社 【吉見町】
 ② 横見神社   【吉見町】
 ③ 伊古乃速御玉比売神社【滑川町】
 ④ 伊波比神社  【吉見町】



伊波比神社  【吉見町】
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『お囃子と神楽』

 ① 松葉町 祭ばやし 【東松山市・八雲神社/八幡神社】(市指定)
 ② 箭弓町 祭ばやし 【東松山市・八雲神社/箭弓稲荷神社】(市指定)
 ③ 神代里神楽    【東秩父村・坂本八幡大神社】 (村指定)
 ④ 古凍 祭ばやし  【東松山市・鷲神社】     (市指定)
 ⑤ 正代 祭ばやし  【東松山市・御霊神社】    (市指定)
 ⑥ 萩日吉神社神楽  【ときがわ町】        (県指定)
 ⑦ 古里の祭り囃子  【嵐山町・兵執神社】     (町指定)
 ⑧ 下廓囃子     【川島町・伊草神社】     (町指定)



萩日吉神社神楽  【ときがわ町 (県指定)
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『獅子舞』

 ① 日枝神社ささら獅子舞  【ときがわ町】 (町指定)
 ② 野田の獅子舞  【東松山市・赤城神社】 (町指定)
 ③ 下福田の獅子舞 【滑川町・熊野神社】  (町指定
 ④ 越畑の獅子舞  【嵐山町・八宮神社】  (町指定)
 ⑤ 神戸の獅子舞  【東松山市・神戸神社】 (市指定)
 ⑥ 月輪獅子舞   【滑川町・月輪神社】  (町指定)
 ⑦ 下里の獅子舞  【小川町・八宮神社/八坂神社】(町指定)
 ⑧ 浅間神社の獅子舞【東秩父村】      (村指定)
 ⑨ 伊草獅子舞   【川島町・伊草神社】  (町指定)
 ⑩ 朝日根の獅子舞 【東秩父村・朝日根八幡神社】(村指定) 
 ⑪ 下唐子の獅子舞 【東松山市・唐子神社】 (市指定)
 ⑫ 上野本の獅子舞 【東松山市・八幡神社】 (市指定)



神戸の獅子舞  【東松山市・神戸神社】 (市指定)
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『絵馬・額』

 ① 毛呂神社の彫板①  【鳩山町】
 ② 毛呂神社の彫板②  【鳩山町】
 ③ 手習塾の図     【吉見町】 (町指定)
 ④ 八幡神社の絵馬①  【鳩山町】
 ⑤ 八幡神社の絵馬②  【鳩山町】
 ⑥ 鎌形八幡神社の剣道奉納額 「嵐山町】
 ⑦ 大雷神社の絵馬   【東松山市】(市指定)
 ⑧ 野本八幡神社の絵馬 【東松山市】(市指定)
 ⑨ 箭弓稲荷神社の絵馬 【東松山市】(市指定)



箭弓稲荷神社の絵馬 【東松山市】(市指定)
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展示場内の模様
東秩父村はお隣の小川町ととも細川紙の生産地でです。この細川紙(漉く技術)は、石州半紙、本美濃紙と併せ
て「和紙:日本の手漉和紙技術」としてユネスコ無形文化遺産登録されています。その関係でこの伝承館には、
細川紙、石州半紙、本美濃紙の三紙関連の資料が展示されています。更に、「江戸時代の道具展」も開催中です
ので、三つの展示が楽しめました。


見学日:令和5年(2023)9月9日(土)

帯刀古墳群

2023年09月04日 | 古墳


名 称:帯刀古墳群(たてわきこふんぐん)
概 要:神流川流域右岸に分布する古墳群。円墳約20基が現存
築 造:古墳時代後期(6世紀後半)
出土品:埴輪・玉類・銅釧などの装身具など
選 定:埼玉県選定重要遺跡 名称:帯刀古墳群 昭和51年(1976)10月1日選定
所在地:埼玉県児玉郡上里町帯刀、五明、長浜


かつては30基以上の円墳が存在していたようですが、農地転用や削平等で消滅したものがあり現在は20基程度が
現存されるとするも実際の数はわかりません。本筋から外れますが、古墳群の名称「帯刀古墳群」の「帯刀」に
ついて少し記しておきます。

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久寿2年(1155)8月16日、源 義賢(木曽義仲の父)は、武蔵国比企郡大蔵(現在の埼玉県比企郡嵐山町)の大
蔵館を甥である源 義平(義賢の兄の源義朝の子・源頼朝異母兄)らに襲撃されて同日討ち死にしたとされるのが
定説となっています。
ですが、ここ帯刀地域においては、大蔵合戦で敗れた源義賢は上野国に逃れようと、8月28日この地にまで来たと
ころ敵方に追いつかれて打ち取られてしまった。これを哀れと思った村人はこの地に埋葬し墓を建て、村名の上長
村を帯刀村に改称したとの伝えである。帯刀(たてわき)とは皇太子の護衛にあたった武官の官職名で、源義賢は
その長官である先生(せんじょう)であり、「帯刀先生(たてわきせんじょう)」と呼ばれていたことから、帯刀
を村名にしたということのようです。今は合併により大字のひとつとなっています。

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今回巡ってきた古墳を史跡記号と名称を赤字で入れてみました。実はもっと多くの古墳を回るつもりで位置を書き入れた
メモを作っていったのですが、中々見つからず同じ道を行ったり来たりでした。通り過ぎてしまったものや、既に消滅し
ていたものもあるようで、成果はこの程度でした(いつものことですが)
なお、個々の古墳の直径や高さ等の規模は記しませんので写真を見て大きさを想像して下さい。



上越新幹線の高架の向こうに見えるのが帯刀古墳群の主墳とも言える「稲荷塚古墳・帯刀1号墳」
但し、地図によってはこの古墳は帯刀11号墳とあります。また、この稲荷塚古墳の東南東約280mの場所で高架下沿いの
道の脇にも稲荷山古墳と名がついた古墳があります。どちらが正しいのかわかりませんが、皆さんここを「稲荷塚古墳・
帯刀1号墳」としていますので、疑問を感じつつも当ブログもそれに倣うことにします。



帯刀古墳群の標識と説明板 背後の高まりが「稲荷塚古墳」


説明板の文字と略図はほとんど読めない状態です。昭和61年3月建立のようですが・・・


古墳南東の高架下沿いの道路から


南側から  鳥居の神額には「松下稲荷」と揮毫されています。稲荷塚古墳と言われる所以でしょう。


墳頂にある小祠(稲荷神社)


南西方向から


北方向から


円墳の北東斜面に見られる沢山の河原石 ほかの場所には見られませんが葺石でしょうか?  

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鬼塚古墳  東側道路から


鬼塚古墳  北側道路から

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帯刀15号墳 南東方向から 
墳頂部が削平されたように広くなっています 石造物が2~3基見えますが近付けないので確認できませんでした

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福昌寺」 山号を士峯山と号する曹洞宗の寺院です。過去に2~3度参詣していましたが、その際は山門があり
ませんでした。いつの間にか建立されていたようで、記念碑を見ると令和3年12月の建立のようでした。
帯刀先生こと源義賢の墓(宝篋印塔)があるお寺で源義賢の没(久寿2年〔1155〕)後から300余年経た寛正5年
(1464)に創建され帯刀山士峰院と称したのが始まりとされます。
この福昌寺境内にも複数の古墳がありますので幾つかを。



福昌寺本堂前にある  帯刀29号墳 石段脇の石の前に「上里町 107号古墳」と記された小立て札があります。
107というのは上里町の遺跡の遺跡番号をスライドしています。
帯刀※※号墳 と 上里町 ※※※号古墳(或いは 帯刀古墳群※※※号古墳) と言った複数の呼称があって
ややこしくしています。更に、帯刀古墳(例)などの名称を持つ古墳もありますので統一した呼び方ができませ
ん。
墳頂の石碑は源義賢(帯刀先生)を称えた碑ですが、全部漢字のうえ大分古いものですので読むとなると大変で
しょう。



帯刀29号墳 西側から


帯刀29号墳 東側から


「上里町 106号古墳」


「上里町 105号古墳」? 立札がなかったので自信なし


本堂裏にある帯刀26号墳 「上里町104号古墳」の小立て札あり
ほとんど古墳の形を残していないようです


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帯刀22号墳  石段脇に「上里町 101号古墳」と記された小立て札があります。背後と横は墓地です


墳頂にある小祠とその覆い屋  および石碑

散策日:令和5年(2023)8月27日(日)

エジプト文化展講演会「古代エジプトの食文化」

2023年09月02日 | 講演会・講座


エジプト文化展講演会「古代エジプトの食文化」
日 時::令和5年9月2日(土曜日)午後2時~3時30分(実終了は4時ころになりました)
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1 (本庄市西富田1011)
講 師: 馬場 匡浩 氏(早稲田大学考古資料館学芸員)

を聴講してきました。

「パンを食べ、ビールを飲む人々」
   と呼ばれていた古代エジプト人。
企画展「エジプト文化展」の展示コンテンツは、
  ■早大隊の軌跡 ■調査 ■生活 ■経済 ■文字 ■技術 ■宗教 ■埋葬
であり、本企画展の担当者である馬場匡浩氏が、世界最古の一つであるエジプト文明の食生活に焦点をあて、パン
とビールそしてワインを中心にお話ししてくださいました。
当時のビールやパン、ブドウが自生していなかったエジプトでワインはどのようにして作られたかなど大変興味深
い内容でした。



早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター1Fエントランスホールのサイネージに講演会の画像が流れ
ていました。


講演会の会場である3階レクチャールーム1 の入口
講演中の模様やレクチャールームの写真はありません
講演会の終了予定を大幅に超えてまでの色々とお話しいただきました。ちょっと裏話的なものもありました。


講演会終了後、講師の馬場匡浩氏による展示品の解説「ガイドツアー」にも参加させていただきました。
講演雄テーマであるパンとビールのパネル



アンフォラ 陶器の器の一種で、ワインをはじめとした様々な液体や物品を運ぶために用いられた素焼きの容器

色々な講座や講演会を聴講させていただいておりますが、古代のエジプトを扱ったものは初めてでした。エジプ
トに限らず外国関係そのものが初めてであったわけですが。この講演会は女性の聴講者が圧倒的に多かったよう
です。


聴講日:令和5年(2023)9月2日(土)