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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

新田義貞が戦勝祈願した『狭山八幡神社』(埼玉県狭山市)

2020年10月16日 | 神社仏閣


社 号:八幡神社(はちまん じんじゃ)
別 称:狭山八幡神社・入間川八幡神社・新田の八幡宮
御祭神:・応神天皇(誉田別命)(おうじんてんのう〔ほむだわけのみこと〕)
    ・天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)
    ・春日大神(かすがだいじん)
創 建:不明なるも室町時代初期と推定
社 格:旧村社
例 祭:7月15日夏季例大祭 他
指 定:狭山市指定有形文化財〔建造物〕(名称:八幡神社本殿 昭和48年〔1973〕3月1日指定)
鎮座地:埼玉県狭山市入間川3-6-14

狭山市入間川に鎮座する八幡神社は、旧入間川村の鎮守社であったと言われます。
元弘3年(1333)5月8日、上野国(群馬県太田)の御家人・新田義貞は後醍醐天皇の幕府追討の令
旨により挙兵し、討幕のため鎌倉を目指しましたた。その過程において小手指が原(埼玉県所沢市)
の戦いなどを繰り広げましたが、入間川に仮の陣所を置いたとも言われます。その折に八幡神社で
戦勝祈願をし、見事勝利を治めたところから文武・必勝の神として市民に親しまれています。新田
義貞の崇敬篤く一時期は『新田の八幡宮』と呼ばれていました。
また、新田義貞が鎌倉幕府討伐に際して元弘3年(1333)当地に勧請したとの説もあるようです。




『一の鳥居】
鳥居の右側にある『社号標』には【村社八幡神社】と刻まれています。旧社格が【村社】であった
ことを示しています。
石段を上り詰めたところに「二の鳥居」が建っていますが写真は撮っていませんので・・・




正面が『八幡神社社殿』 右の建物は『狭山東武サロン』(結婚式場・レストラン)




拝殿の『扁額』と『門帳』
扁額の「八幡宮」の【八】の文字は鳩が向き合った形 門帳の【左三つ巴】は八幡神社の神紋




左:【本殿』  右:『拝殿』  手前:『新田義貞駒繋の松』




『本殿』 狭山市指定文化財〔建築物〕
享和2年(1802)に建立された 唐破風向拝付 千鳥破風付 入母屋造り




『新田義貞駒繋の松』
義貞は、元弘3年(1333)5月、小手指ケ原の戦いにおいて新田軍は入間川の徳林寺に陣所を定め、
源氏ゆかりの八幡宮へ戦勝祈願した。そのときに愛馬をつないだのが、この松の木だったと言われ
ます。既に松の木は枯れて切り株に若い松の木が移植されていますが何代目の松の木でしょうか。
なお、看板には【史蹟】と入っていますが、国、県、市のいずれからも史跡指定はされていません。
「歴史あるもの」ということで広~く解釈して史跡と表示をしたのでしょう。




社殿の東側には駐車場が設けられています




               『神楽殿』             『八雲神社』



〈境内社 以下同じ〉
       『大鷲神社』                『思兼神社』




       『琴平神社』                 『入間川神社』

散策日:平成30年(2018)8月19日(日)

正平8年/文和2年(1353)に鎌倉公方足利基氏が武蔵国入間郡入間川に設置した宿営地「入間川
御所」の比定地(徳林寺)を訪ねた後に訪ねましたが、既に日が落ち始めていましたのでこれだけ
の写真を撮るののもが精一杯でした。しかも、みんなシルエットに近い写真ばかり・・・何とか画
像処理をして
一部写真については別記事に使っていますが、今回「狭山八幡神社」として新たな投稿です。

鎌倉公方足利持氏によって社殿が再建された『大宮住吉神社』(埼玉県坂戸市)

2020年10月14日 | 神社仏閣


社 号:大宮住吉神社(おおみやすみよしじんじゃ)
通 称:-
御祭神:・表筒男命(そこつつのおのみこと)
    ・中筒男命(なかつつのおのみこと)
    ・表筒男命(うわつつのおのみこと)
創 建:天徳3年(959年)
社 格:旧郷社
例 祭:4月第1日曜日 例大祭 他
指 定:ー
鎮座地:埼玉県坂戸市塚越254

大宮住吉神社は、天徳3年(959)当国の山田長慶が長門国の官幣社住吉神社をこの地に奉遷して
創建したのが始まりと言われます。文治3年(1187)、源頼朝の命によって北武蔵十二郡の総社に
選ばれ、室町時代中期に鎌倉公方の足利持氏によって社殿が再建されたと言われています。江戸時
代においては代々の将軍に社領をを認められ、将軍家光の代には朱印高六石を賜わったと言います。
当社が鎮座するこの地の名は「塚越」ですが、康平年間(1058~65)、八幡太郎義家が奥州征討の
際、この地に訪れたが、越辺川・荒川の増水により、渡ることができぬまま滞陣し、村の西方にあ
る古塚に腰をかけた。このため、この地を塚腰と呼ぶようになり、後に変じて「塚越」と書くよう
になったと伝えます。 『義家塚』(義家塚古墳・塚越神社)にリンク




大宮住吉神社入口




神社入口の左側に設置されている「大宮住吉神社」説明板

   大宮住吉神社 (坂戸市塚越)
 社伝によると当社は、平安時代(天徳三年・九五九年)に長門国豊浦郡(現在の山口県下関市)の
住吉神社の御分霊を山田長慶という人が勧請したことに始まるといわれ、祭神として、住吉三神(海・
航海の神)、神功皇后、応神天皇を祀っています。
 当社は、室町時代中期(永享元年・一四二九年)に、鎌倉公方の足利持氏によって社殿が再建され
たといわれており、永享元年銘の棟札が現存しています。後に、江戸入府を果たした徳川家康からは、
自社の所領を確定させた公的文書の御朱印状を賜り、以後代々の将軍に社領を認められ、将軍家光の
代には朱印高六石を賜わったといいます。
 当社は、かつては、北武蔵十二郡(入間・比企・高麗・秩父・男衾・賀美・那賀・児玉・横見・幡
羅・榛沢・埼玉)の総社であり、宮司家勝呂氏は触頭として、配下の神職をまとめており、江戸時代
には、武蔵国の総社である府中市の大國魂神社の祭事に出席し、神楽を奉納した記録があります。近
代には、近隣で唯一の郷社となり、氏子を中心に広く信仰を集めてきました。主な祭りは、祈年祭
(二月二十三日)、例大祭(四月第一日曜日)、新嘗祭(十一月二十三日)であり、中でも例大祭は
最も盛大で、多くの神楽が奉納され、午後に行われる「天下祭」では、天狗(猿田彦命)を先頭に行
列が参道を歩み、神話の天孫降臨になぞらえて五穀豊穣・家内安全を祈願します。
 境内には、本社とは別に、複数の神社が合祀されている「境内社」があり、合わせて十七社が祀ら
れています。道を挟んで境内の南側にある「神泉」といわれる池には中央に島があり、「市杵島比売
命」を祀る厳島神社が鎮座しています。厳島神社の石祠(ほこら)には水の神ともいわれる「弁財天」
の文字が刻まれており、かつては干ばつが続くと氏子が桶を持ち寄り雨乞いをしたといいます。
 平成二十九年三月  
                                    坂戸市教育委員会




同じく神社入口の左側に設置されている「大宮住吉神楽」説明板

  坂戸の大宮住吉神楽 (坂戸市塚越)
      国選択無形民俗文化財・埼玉県指定無形民俗文化財
 大宮住吉神楽は、江戸里神楽の影響を色濃く残した神楽で、物語を身振り手振りで表現する無言の
劇のようなところがあり、演劇性の高い神楽です。神楽の持つ豊かな物語性によって、永く土地に根
付き、人々に伝承されてきたものと考えられます。
 「坂戸の大宮住吉神楽」は、埼玉県指定無形民俗文化財(昭和五十二年三月指定)であるとともに、
平成二十二年三月十一日には、国により「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選
択を受けた大変貴重な神楽です。
 大宮住吉神楽は、天照大神までの神話を題材にした「十二神楽」とその他の神話や茶番狂言のよう
な十座の「座外神楽」の演目で構成されています。
 古い記録によると、県内の児玉郡神川町の金鑽神社を中心とした金鑽神楽が、宝暦年間(一七五一~
一七六四)に大宮住吉神楽から古代神楽を伝授されたと伝わっており、大宮住吉神楽の成立は少なく
ともそれ以前にさかのぼるものと考えられます。
 当初は神主によって神楽が奉納されていましたが、明治以降、氏子男子の有志によって引き継がれ、
現在は「大宮住吉神楽保存会」が組織されて氏子を始めとした神楽師によって、神楽の保存・継承が
図られています。
 神楽の奉納は、祈年祭(二月二十三日)、例大祭(四月第一日曜日)、新嘗祭(十一月二十三日)
で行われ、中でも四月の例大祭は最も盛大で、午前中から夕方まで様々な神楽の座(演目)が色とり
どりの面と衣装を身に付けた神楽師により奉納されています。
 平成二十九年三月
                                    坂戸市教育委員会




『鳥居』と『社号標』




『社号標』には【郷社大宮住吉神社】とあります 




鳥居の『扁額』 【武蔵總社 大宮住吉大明神】とあります




『手水舎』




鳥居を潜って石畳みの参道をそのまま進みます
参道の左側に『神楽殿』がありあります




境内  右手に見えるのが『大宮住吉神社』社殿




『神楽殿』




神楽殿を正面から
神楽殿は拝殿(社殿)と正対していますので神楽は拝殿を正面にして舞う形になります




入口の鳥居方法を見ています 
神楽殿前を左方向に石畳みが伸びていますが その先に社殿があります




入母屋造りの『拝殿』




『拝殿』




『扁額』
鳥居の扁額と同様に【武蔵總社 大宮住吉大明神】と揮毫




『千鳥破風』
鬼飾りには 《丸に大の古字紋》




社殿(拝殿・本殿)を斜め横から




『本殿』側面



『御神木』




『末社殿』
末社はこの覆屋の中に鎮座しています




神楽殿の右手にある石碑群




社殿の脇の方にあるもう一ヶ所の境内入り口




社殿の後ろ側に当る場所から見る社叢林

散策日:平成30年(2018)8月19日(日)
    令和元年(2019)6月4日(火) ※両日の写真を使用

企画展『戦国を彩る武具』

2020年10月12日 | 企画展・見学会


鉢形城歴史館令和2年秋季企画展
 『戦国を彩る武具』

を見学してきました。

埼玉県在住の甲冑歴史研究家伊澤昭二氏のコレクションを中心に、関東にゆかりのある武将たちが
所有していたと伝わる甲冑や軍配、刀などが展示されていました。

新型コロナウイルスの影響で、聴講申し込み済であった講演会、シンポジウム等がことごとく中止
になり、その後に各博物館で予定していた講演会等も中止なってしまいました。つい最近も1件中
止の連絡を受けたばかりです。
従来とは違って、どこの施設も同様かとは思いますが、入館に当ってはマスク着用、連絡先の提出、
他の見学者との距離を保つなどの注意が必要となっています。
他にも見学者が来ておりましたが、幸いにしてかち合うこともありませんでした。




鉢形城歴史館掲示板




頂いてきた資料集(図録)とチラシ

見学日:令和2年(2020)10月11日(日)

水子貝塚公園(埼玉県富士見市)

2020年10月10日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:国指定史跡 水子貝塚公園
形 態:貝塚遺跡
概 要:縄文時代前期の大規模な地点貝塚。環状に分布して形成されている。
指 定:国指定史跡(名称:水子貝塚 昭和44年〔1969〕9月9日指定)
所在地:埼玉県富士見市水子

何年か振りで水子貝塚公園を訪ねてみました。復元竪穴住居を全部見てあるったのは今回が初め
てした。今までは小休憩感覚で寄っただけですから・・・
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水子貝塚は、縄文時代前期(約5500~6500年前)を代表する貝塚として、昭和44年、国の史跡に
指定されました。その後、遺跡の保存と活用のため整備が行われ、平成6年、『縄文ふれあい広場
水子貝塚公園』として開園しました。
公園に隣接した場所には、市内の遺跡から出土した考古資料を中心に展示している『水子貝塚資
料館』があります。
園内には5棟の竪穴住居が復元されています。このうち竪穴住居1棟には、当時の居住生活の様子
が、縄文人の家族とともに、再現されています。
               (富士見市HP【水子貝塚公園の施設概要】から一部抜粋引用)
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埼玉県には現在22件の国指定史跡(うち1件は特別史跡)があり、うち貝塚は今年3月に国指定
史跡となった「神明貝塚」を入れて4件ありますが、貝塚で埼玉県最初のに国指定史跡となったの
がこの「水子貝塚」です、




石標『史跡 水子貝塚』




縄文ふれあい広場




貝塚表示
園内に散らばる白いエリアはその下に貝塚があることを表示




『2号復元住居』




2号復元住居説明板




『15号復元住居』




15号復元住居説明板




15号復元住居内部
縄文時代の人々のくらしの様子を再現している




『17号復元住居』




17号復元住居説明板




17号復元住居内部




『1号復元住居』




1号復元住居説明板




『6号復元住居』




6号復元住居説明板




復元竪穴住居群 2号復元住居だけ離れた位置にある




展望台から見た復元竪穴住居群




『水子貝塚展示館』
水子貝塚から発見された人骨や犬の骨、当時の人が使っていた土器や石器、出土した貝・獣骨・
木の実などの展示や、発掘調査時の住居跡を複製・再現して、貝塚や当時の人々の暮らしぶりが
わかるように紹介




『富士見市立水子貝塚資料館』
市内の遺跡から出土した考古資料を中心に展示している

散策日:令和2年(2020)10月6日(火)

武将らの銅像(4)

2020年10月08日 | まち歩き
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最近撮った武将の銅像ではなく7年も前に撮ったものですが、どういうわけかこれまでの『武将らの銅像』
に上げてありませんでした(城の記事や他の記事の中に入れてあるものもあります)ネタもなくなったこ
とですから、過去の城の記事と重複しますが・・・
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 堀尾 吉晴公(ほりお よしはる)  【天文12年(1543)~慶長16年(1611)】

 所在地:島根県松江市殿町 松江城大手前広場
 撮影日:平成25年(2012)8月6日
 
 豊臣政権三中老の一人 松江開府の祖 松江城を築城
 松江藩主は 堀尾家2代 京極家1代 越前松平家10代
 初代藩主は堀尾吉晴の子・忠氏




 松平 直政公(まつだいら なおまさ) 【慶長6年(1601)~寛文6年(1666)】

 所在地:島根県松江市殿町 島根県庁前広場
 撮影日:平成25年(2013)8月6日

 松江藩松平家初代藩主 祖父・徳川家康公 父・結城秀康公




 楠 正成公(くすのき まさしげ)  【生年不詳~延元元年/建武3年(1336)】

 所在地:東京都千代田区 皇居外苑
 撮影日:平成25年(2013)3月17日

 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将
 像の正面は「記文」がはめ込まれている側ですが、像の顔は正面とは反対側の皇居側を向いている。
 これは皇居に対して顔を背けるのは失礼にあたるという理由によるもの。




 西郷 隆盛公(さいごう たかもり) 【文政10年(1827)~明治10年(1877)】

 所在地:東京都台東区上野公園 上野恩賜公園
 撮影日:平成25年(2013)3月23日

 倒幕と維新に尽力した英雄三傑の一人 江戸城開城 新政府樹立




 大村 益次郎公(おおむら ますじろう) 【文政7年(1824)~明治2年(1869)】

 所在地:東京都千代田区九段北 靖国神社
 撮影日:平成25年(2013)3月23日

 幕末の洋学者 日本の近代的兵制の創始者

※ 下3人(楠正成・西郷隆盛・大村益次郎)の銅像を『東京三大銅像』と呼ぶ

『武将らの銅像』  『武将らの銅像(2)』  『武将らの銅像(3)』  ⇐ 過去記事


【追加】


 村山 土佐守(むらやま とさのかみ)【室町時代末期から安土桃山時代】

 所在地:東京都西多摩墳瑞穂町殿ヶ谷 玉林公園
 撮影日:平成30年(2018)6月23日

 村山土佐守は、武蔵七党という武蔵国(現在の東京都、埼玉県など)を中心に活躍した武士の集団のう
 ち、武蔵国村山郷(現在の瑞穂町、武蔵村山市など)に住み、村山氏平頼任を先祖とする人物だと伝え
 られています。
 村上土佐守の生きていた時代(室町時代末期から安土桃山時代)の多摩地域は、八王子滝山城の武将・
 北条陸奥守氏照が統治していました。
 村山土佐守は中世豪族としての村山氏最後の人物で、殿ヶ谷に居館があったと伝えられています。
 その実像に関する資料は残っていませんが、神仏を敬う心のある武士として、村山郷の人々によって後
 世に語り継がれてきました。                      《現地説明板》

 村山土佐守は、村山氏から派生した支族のひとつ金子氏の流れを汲む人物との推測もあり、そうとすれ
 ば家紋は『蜻蛉紋の【三つ蜻蛉紋】が考えられますが、確証がありませんので不詳としました。

歩道の天守

2020年10月06日 | まち歩き
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歩道にその町の名所や行事・特産品等をデザインしたタイルが設置された場所を時たま見かけます。
旅した所はほんの僅かですから、そうしたものも見かけたのもほんの少数。その少数は天守と御三階櫓がその大部分(と言っても4カ所だけ
ですが)。ネタ切れが続いていますのでまたまた古い写真を引っ張り出してきました。
城(天守等)の写真も路上の絵に近いものを探してみたのですが、絵には描けても実際にはその角度での写真を撮るのは難しいし、写真を撮
った後でデザインタイルを見かけたり、また先に見ていた場合でも写真を撮っているときは頭の中にタイルのことはありませんので・・・
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◇ 高知城 (日本100名城・現存天守)                               平成23年(2011)8月9日撮影
     設置場所:高知県高知市 高知城追手門付近
     撮影月日:平成24年(2012)8月9日


 
◇ 備中松山城 (日本100名城・現存天守)                             平成25年(2013)8月7日撮影
     設置場所:岡山県高梁市 高梁駅前通り
     撮影月日:平成25年(2013)8月7日


 
◇ 小田原城 (日本100名城・復興天守)                             平成22年(2010)11月15日撮影
     設置場所:神奈川県小田原市 詳細場所失念
     撮影月日:平成22年(2010)11月15日


 
◇ 忍城 (続日本100名城・模擬御三階櫓)                            平成29年(2017)11月12日撮影
     設置場所:埼玉県行田市 詳細場所失念
     撮影月日:平成29年(2017)11月12日

抽象的なデザインのマンホール蓋

2020年10月04日 | マンホール諸々
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マンホール蓋のデザインの中には幾何学模様で抽象的な表現をしたものがあります。
下の三つもそんな部類に属するかと思います。
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◇ 深谷市(埼玉県)       2016.12.23撮影

 2006年(平成18年)1月1日、旧・深谷市・大里郡花園町・岡部町・北本町との新設
 合併により誕生した新・深谷市のマンホール蓋。
 中央に【市章】を配し人が大勢ジャンプする姿で市民の協調と飛躍、輪を表現した
 デザインのようです。




◇ 志木市(埼玉県)       2017.10.9撮影

 中央に【市章】を配し、周りには手を広げて(繋いで)立つ人達(子供)でしょうか。
 結束する市民を表現したのでしょうか。




◇ 入間市(埼玉県)       2016.12.17撮影

 中央に【市章】。入間市のキャッチフレーズ「自然が好き、人が好き、入間市が好き」を
 デザインのコ ンセプトとしたとのことで、外周の葉をイメージしたモチーフは自然を表し、
 人をあらわす モチーフはデザインに人型で取込み、そのさらに内側の直線部が市章に向か
 うようにして 市民全体が協力し合うイメージを表しているとのこと。

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上の三つとは異なるテーマですが、どこに割り振ってよいのか分りませんでしたので、
取り敢えずは存在主張のためにここに寄生しましょう・・・
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◇ 平塚市(神奈川県)      2013.6.2撮影

 七夕の町・湘南平塚のマンホール蓋は七夕まつりをデザインしているがこれもそのひとつ。
 相模湾の波をイメージしたデザインで中央に「平」を図案化した【市章】と下水道の「下」を
 組み合わせたものを配し、左右に湘南ひらつか七夕祭りのシンボルマークを配している。
 下部に「紅谷町」と設置場所の町名が入っている。※※町、◎◎町と町名が入るので同じデザ
 インでも何種類もある。

消火栓のマンホール蓋(Ⅱ)

2020年10月03日 | マンホール諸々
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消火栓のマンホール蓋(Ⅱ)は、角型のものをいくつかと、独自デザインのものと
既製のシンプルなものをちょっと。
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◇ 姫路市(兵庫県)                   2013.8.13撮影

 市の花:サギソウ  市の鳥:シラサギ




◇ 岡山市(岡山県)                   2013.8.7撮影

 岡山と言えば「桃太郎」鬼退治ならぬ火消しに




◇ 静岡市(旧・静岡県静岡市)              2011.11.14撮影

 富士山 安倍川 登呂遺跡




◇ 行田市(埼玉県)                   2017.11.12撮影

 忍城の御三階櫓 市章の入った纏




◇ 太田市(旧・群馬県太田市)              2018.9.23撮影

 赤城山を背景に市の木:マツ 子育て呑龍「大光院」  ※制水弁




◇ 深谷市(旧・埼玉県深谷市)              2017.12.11撮影

 旧・深谷市の木:ツバキ 市の花:フクジュソウ




◇ 熊谷市(埼玉県)                   2016.12.12撮影
 
 消防車をデザインしたシンプルなもの




◇ 新座市(埼玉県)                   2017.10.9撮影

 網目模様のノンカラー




◇ 飯能市(埼玉県)                   2016.12.17撮影

 どこでも見かけるシンプルなもの




◇ 小川町(埼玉県)                   2016.12.8撮影

 双口消火栓

消火栓のマンホール蓋

2020年10月02日 | マンホール諸々
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マンホールの蓋には丸型と角型がありますが、角型は破損しやすく、かつマンホール内に落ち込む危険性があるか
ら丸型を用いるとのことです。水道栓の蓋には丸型がありますが、これは手や器具で使用する際作業のしやすさか
らという理由によるそうです。
消火栓の蓋は消防車や消防吏員をデザインしたものが多く使われているようです。多分、これは既製のデザインで
そこに市町村の紋章を入れることによって他市町村のものと区別している(紋章を入れるから「セミオーダー」か
もしれませんが・・・)
丸型の消火栓蓋をいくつか載せておきます。紋章が違うだけで他の町にもあるようなものと、本当のオリジナルデ
ザインのものとを載せますが、既製のものかオリジナルかは勝手に判断しましたので違っていることもあるかもし
れませんことを先にお断りしておきます。                 
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◇ 花園町(旧・埼玉県大里郡 現・深谷市)      ◇ 足利市(栃木県)
                 2016.11.18撮影                    2012..11.24撮影

 既製のデザインなのでしょう消防車のデザインのものでは一番多く見かけます。
 右の足利市のものは「消火栓」の文字以外はノンカラーですが、色が落ちたのではなく初めからの仕様かと。
 設置されている場所が石畳の道ということで、雰囲気を壊さないためにと勝手に解釈しています・・・


  

◇ 熊谷市(埼玉県)                 ◇ 上里町(埼玉県児玉郡)
                 2016.12.12撮影                    2016.12.19撮影

 熊谷市のものは上のものと同じ消防車、上里町のものは違った消防車ですが、これも既製のものと勝手に判断。


  

◇ 本庄市(埼玉県)                 ◇ 富岡市(群馬県)
                 2016.12.12撮影                     2016.12.24撮影

 これらもまた消防車のデザインが違っていますがやはり既製のものでしょう。
 本庄市のものは、新・本庄市になってからのものにしては状態が悪すぎます(ご免なさい)
 オリジナルのものを作るなら単に消防車ではなく町独特の何かをデザイン化するでしょうから・・・自論
 右の富岡市のものは、新・富岡市になってからのもので新しい市章が入っています。


  

◇ 富岡市(群馬県)                 ◇ 富岡市(群馬県)
                 2016.12.24撮影                     2016.12.24撮影

 両者とも上の富岡市のものと同じですが、左側のは中央の市章が、旧・富岡市時代のもの
 右のものは中央の市章の部分が市章ではなく「水」の文字が入っています。ということはセミオーダーではなく
 本当の既製品?


  

◇ 川越市(埼玉県)                 ◇ 川島町(埼玉県比企郡)
                  2013.3.30撮影                     2020.8.19撮影

 真中縦に「消火栓」の文字があり、上に紋章と左右に好きなデザインをするという一種の型が出来ているのでしょ
 うか。川越市のものは纏に「川」「越」と入っていますし、川島町のはまちの花「ハナショウブ」が入っています
 からオリジナルと判定


  

◇ 秩父市(埼玉県)                 ◇ 深谷市(埼玉県)
                   2020.3.1撮影                    2017.5.27撮影
 
 秩父市のものは纏の「秩父」の部分のみを入れ替えできる既製のものがあるのかもしれませんが、「秩父」とある
 ことから、深谷市のものは市の花「チューリップ」のデザインですからオリジナル。


  

◇ 飯能市(埼玉県)                 ◇ 志木市(埼玉県)
                 2016.12.17撮影                      2017.10.9撮影                

 通称消防士(正しくは消防吏員)をデザインした2種。飯能市のものは他市でもみています(但し、市章をヘルメ
 ットの記章のところに入れている)
 志木市のものと同じものはまだ他市では見ていませんが、やはり既製のデザインのものでしょう。


  

◇ 毛呂山町(埼玉県入間郡)             ◇ 小川町(埼玉県比企郡)
                 2016.11.13撮影                       2019.12.4撮影

 毛呂山町のは、町の木「ユズ」、町の鳥「メジロ」、900有余年の伝統を誇る出雲伊波比神社の流鏑馬をデザイン。
 小川町のものは、ユネスコ 無形文化遺産に登録された手漉き和紙「細川紙」の産地で、手漉き和紙の様子がデザイ 
 ンされたもので共に他市町村では真似できないオリジナルデザイン。
 また両者とも色違いで「空気弁」にもこのデザインが使われている。


  

◇ 坂戸・鶴ヶ島下水道企業団(埼玉県)        ◇ 花園町(旧・埼玉県大里郡 現・深谷市)
                 2018.8.11撮影                      2016.12.23撮影

 「坂戸、鶴ヶ島水道企業団」のマスコットキャラクター「さかつるちゃん」が描かれているオリジナルもの。
 花園のものは他市町でも見かけるシンプルなデザインの既製デザイン。

埼玉県流域下水道のマンホール蓋

2020年10月01日 | マンホール諸々
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埼玉県に8ヶ所ある(荒川・新河岸川・元荒川・中川・古利根・小山川・市野川・荒川上流)水環境センター
(下水処理場)では独自のマンホール蓋を設置しています。
このうち3ヶ所のみですが、カラーとノンカラーの両方のマンホール蓋を撮る機会を得ました。あと5ヶ所に
ついては無理そうなので取敢えず3ヶ所のものを。
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◇ 小山川水環境センター
    カラー 撮 影 日:2017.9.1                ノンカラー  撮 影 日:2016.1.20
        撮影場所:児玉郡上里町神保原陸橋(北)            撮影場所:本庄市内

利根川は、関東(坂東)で一番大きな川ということで「坂東太郎」の異名を持つ。
中央に埼玉県の県章を配し、その背景に利根川とその支流である小山川の豊かな水量をブルーの文様でイメー
ジしている。





◇ 荒川上流水環境センター
    カラー 撮 影 日:2017.9.1               ノンカラー 撮 影 日:201612.13
        設置場所:深谷市(旧・川本町)川本保育園付近       撮影場所:深谷市(旧・川本町)

中央に埼玉県の県章を配し、荒川上流域に属する旧・川本町と旧・花園町が町の花にしていしていた「フク
ジュソウ」と、寄居町の花「カタクリ」、県の花「サクラソウ」を荒川の波紋に浮かべている。





◇ 市野川水環境センター
     カラー 撮 影 日:2020.8.19             ノンカラー 撮 影 日:2016.12.27
         場所場所:比企郡小川町東小川団地内           場所場所:比企郡嵐山町内

中央に埼玉県の県章を配し、市野川流域に属する小川町の鳥「メジロ」、同町の木「ケヤキ」、滑川町の魚
「ミヤコタナゴ」、嵐山町に生息する国蝶「オオムラサキ」を描き、同流域の豊かな自然を表現。