金沢城
金沢城は天正8年(1580)、加賀一向一揆の拠点であった金沢御堂を織田信長軍の佐久間盛政が陥落させ、そこに城を築いたことに始まる。
天正11年(1583)、前田利家が加賀に入封して犀川と浅野川にはさまれた小立野台地上の金沢城を加賀支配の拠点とすべく近代城郭へと改修した。
基本的な縄張りを行ったのはキリシタン大名の高山右近といわれる。天守は慶長7年(1602)の落雷により焼失。残念ながらその姿については記録が
なく不明である。名城の姿を壮美にするために取り入れたといわれる鉛瓦や海鼠壁、唐破風付出窓や二重二階の多聞櫓なども、加賀百万石の
居城にふさわしい格調の高さと美しさを見せている。 (「日本100名城公式ガイドブック 35金沢城」より引用 )
金沢城石垣
保存修理工事中の「石川門一の門」と「付属太鼓塀」
保存修理工事中の「左方太鼓塀」
金沢城を攻城するに当たり、現在の状況を調べることもなく出かけましたが、そうしたところ、国指定重要文化財である石川門が50年に1度という保存修理工事中でした。
まあ、一日や二日で終わるような工事ではありませんから、攻城時期を多少ずらして行ったところで状況は同じはありますが。
石川門二の門
復元された「河北門二の門」
同じく復元された「河北門一の門」
三の丸広場から見た「河北門」
3年前(2009年10月)に、この金沢城を攻城したときには「河北門」はまだ見ることができませんでした。
復元整備は、2007年11月から始まり、2年半の歳月をかけた2010年4月に完成したとのことです。
つまり、前回私が訪れた時は復元工事中であったわけです。そういえばこの河北門のある辺りは囲いがされていたような記憶が蘇ってきました。
二の丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門一の門(平成13年復元)
菱櫓
橋爪門二の門と桝形土塀の復元整備工事中
二の丸
三十間長屋(国指定重要文化財)
鶴丸倉庫(国指定重要文化財) ・・・ 武具土蔵
丑寅櫓跡
辰巳櫓跡
辰巳櫓跡から見た復元された「鯉喉(りこう)櫓台跡」と「いもり堀」
「辰巳櫓跡」と「鯉喉(りこう)櫓台跡」
前田利家公銅像
前回の金沢城攻城の際はお会いできなかった前田利家公(銅像)でしたが、今回はしっかりと会ってきました。
白鳥堀跡に建っていました。
金沢城を攻城することを決めていながら情報収集(下調べ)もせずに出かけたものですから、最初の方でも述べたように、石川門が保存修理工事中であったり、
河北門が復元されていとことさえ知らずにいましたか、行ってみて半分がっがりした反面には儲けものをしたと思いもあります。
まあ、こんないい加減な城攻めですと戦国時代ならとても勝てませんね・・・
攻城日:2012年(平成24年)11月13日(火)