

「献塩の儀」
上杉は敵である武田に塩を送った(贈った)という逸話から。細かい話は省略しますが、これが「敵に塩を送る」という言葉で残っています


米澤藩火縄筒保存会の皆さんによる火縄筒(銃)の演武です。その後も合戦の中で何度も見せてくれました


合戦出陣に先立ち、武田信玄は「三献の儀」を 上杉謙信にあっては「武帝式」を
「三献の儀」は積まれた木材の陰で見えませんでしたが




信玄軍は「啄木鳥戦法」で謙信軍に挑むため全軍を本隊と別隊に二分し、別隊は謙信軍の裏に回るべく移動を開始した


両軍鉄砲隊による応酬が始まりました


上杉軍が武田軍に向かっていきました。これに応戦する武田軍です
上杉軍の「車懸りの陣」に対し、「鶴翼の陣」で応戦する武田軍
何度も合戦が繰り返されましたが、同じような写真ばかりなので・・・


橋の上では迫真の切り合いの演技が繰り返されています
向こう岸の合戦場所と違い見物席から一番近い場所である橋の上ですからよく見えます。上手い演技だと皆さん感心
それもそのはず、一般公募で参加した方ではなく、それなりの方々ですから。でも、見物人のほとんどの方は、一般参加の方たちと思っていたようです


馬に乗った謙信が武田本陣に突入して信玄に切りつけ、信玄はこれを軍配団扇で防ぐという、信玄・謙信一騎打ちの場面も再現されました
信玄さん、切りつけられる前に軍配を出して構えていましたが・・・


信玄を切りつけた謙信を山本勘助が追いましたが・・・
そうそう、勘助はこの合戦で討たれてしまったんですよね



武田・上杉両軍の騎馬軍団による合戦の模様が・・・




合戦はまだまだ続いて・・・


戦い済んで
武田軍が勝ち名乗りを挙げれば、上杉軍も同じく勝ち名乗りを。結局、はっきりした勝負はつかなかったようです


合戦を終えて皆さん引き上げです。
楽しかったみたいですね。この「川中島合戦戦国絵巻」は、見物するより参加する方が面白いというのを色々なところで見ます。まあ、若ければネ
ところで今回は川に入っての合戦が見られませんでした。いつ川の中へと思いながら見物していたのですが、それがないうちに終えてしまいました
事故防止等の観点から川へ入ることは禁止されたのかもしれませんが。
合戦参加の皆さんが引き上げだすと見物客も引き上げだしました。最後の武者が引き上げた頃は、見物客は僅かだったでしょうね

4月1日から始まった「笛吹市桃の花まつり IN 石和温泉」も、この川中島合戦戦国絵巻の終わりをもって終りました
今回もお土産は「信玄餅」。前回は青い袋のものを買いましたので、今回は「武田の赤備え」にあわせて赤で(中味は同じですが)
あれ!写真が消えてる~
以上で~す
簡潔にまとめるつもりだったのですが、ついついあれもこれもと長くなってしまいました
見学日: 2012年(平成24年)4月15日(日)