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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

石垣山城跡(神奈川県小田原市)

2017年01月19日 | 城館雑記


小田原市には何度か行ったことがあります。目的は「小田原城」でした。無論、この「石垣山城跡(一夜城)」の存在は知っていますが未だ訪城の経験はありません。
機会があれば行ってみたいものです。出来れば秀吉と家康が並んで行った関東の〇〇しょんの相手がいればよいのですが、行けるかさえわからないのに無理な相談でしょう。

小田原城と言えば、先週金曜日に聴講してきた「戦国時代を生き抜いた武蔵の国衆たち」の講演会会場で、昨年刊行された「史跡小田原城跡御用米曲輪 発掘調査概要報告書」を
販売していて、購入した方も多かったようですが、自身にとっては高価でしたので手が出ませんでした。この御用米曲輪跡は、小田原城内臨時駐車場として使われていたことがあり、自身も1度だけですが利用したことがあります。

福井

2016年10月06日 | 城館雑記


JR福井駅に降り立ったのは2012年(平成24年)11月12日のことですから約4年も前のことです。
しかし、気持ちの中ではつい最近のことだったように感じています。

この日、福井市に行ったのは福井市に特段の用事があったわけではなく、旅の通過点でした。
本来なら、折角行った福井市でしたから、市内にある日本100名城のひとつ「一乗谷城跡」を訪ねればよかった
のでしょうが、列車の都合で予定に含めることが出来ませんでした。なんで今更そんな古い話をと思われるでしょう・・・




これは、本日(10月6日)の読売新聞朝刊の記事です。この記事を目にしてちょっと懐かしくなりましたので。
前述したよう福井市は旅の通過点。つまり、ここ福井駅前からバスで同県内の坂井市(旧丸岡町)にある現存12
天守のひとつ「丸岡城」を訪ね、再びバスで福井駅まで戻り、更に、列車で北陸・金沢市へと予定を組み、それなりの
乗車券を用意していましたので、気まぐれからどこかに寄るということはできない相談だったわけです。

と言うことで、丸岡城の攻城を終えて福井駅まで戻ってきましたが、列車の時刻までは若干の時間がありました。
「一乗谷城跡」にも行ってみたいけれど、市内とは言え駅からはかなり遠方ですし、行くからにはそれなりに見学もしたい。
それはとてもとても無理なこと。




駅から近いところでは「福井城跡」がありました。今は県庁、警察本部等が置かれているも堀や石垣が残るとのこと。
城は昔の政庁、その政庁跡に現代の政庁である県庁(市庁)があるというのはここだけの話ではありませんね。

駅からそう遠くないとはいえ、それほどの時間があるわけではなく、行ってすぐに戻ってくるUターンどころかVターンで「福井城跡」へ。
その時の写真を引っ張り出してみましたが、余裕がなかったものですから何枚も撮っていません。
大きな建物は「福井県警察本部」の庁舎。県庁舎はこの裏手に。左側にある橋は復元された「御廊下橋」 ここを渡って天守台跡に



「御廊下橋」と「天守台跡」




天守台跡は絵に設置された福井城天守の説明板 文字が小さくて内容を判読できないところはご勘弁を




天守台跡  天守台には1948年に起きた地震により崩れた石垣も残っていました




新聞記事の本題である「福井」の地名の起こりとされる「福の井」の井戸も見るには見たし、説明書きの立札も読んだ記憶がしっかりあるものの、
肝心の写真がありません。
あちこち撮っている余裕がなかったこともさることながら、丁度この時、県庁職員と思しき数名が井戸の周りに陣取り、何やら点検をしていましたので、
それで撮れなかったことを思い出しました。

僅かな時間を利用しての予定外の「福井城跡」見学でしたので、ほんとに行って帰ってきただけでした。ゆっくり攻城にと再び行ければよいのですが・・・無理でしょう。

投稿日:2016年(平成28年)10月6日(木)

思い出の熊本城

2016年04月19日 | 城館雑記










今回の「熊本地震」で熊本城も大変な状態になってしまいました。余震が続いている状況ですから更に被害が拡大するおそれもあります。
そんな中、早くも修復に関する話も出ていますが、修復にかかったとしても何年いや何十年かかるかもわからない状況です。

これらの写真は今から14年半前、つまり2001(平成13)年10月に初めて(後にも先にもこの1回ですが)熊本城に行った際に
撮った10枚ほどの中の5枚です。当時購入したばかりのコンデジを持って行ったのですが、そう多くの枚数は撮れないコンデジでしたし、
予備のバッテリーを持っていませんでしたから、ここ熊本城で何枚か撮り始めたらバッテリー切れとなってしまったものです。
また、今ほど城に興味を持っていませんでしたから城の写真を撮るという準備も気構えもありませんでした。
その後、城に興味を持つようになり、攻城した際には少しでも多くの写真を撮るようにとしている状況です。
自身初めての攻城の際は、満足な数の写真を撮れなかった熊本城でしたが、その後本丸御殿が復元されたのを初め沢山のものが復元整
備されました。そんな熊本城を再び攻城できたらいいなと思うだけで何年も過ぎてしまい、その思いも叶わぬうちでの今回の震災による被害。
熊本城は何年か先か何十年か先には修復され元の姿を取り戻すかもしれませんが、自身がその姿を観ることは多分、いやほとんど無理でしょう。

熊本城の写真はWebや雑誌等で沢山素晴らしいものを見ることが出来ますし、城番組の映像も沢山ありますから、いつでも震災前の熊本
城の姿を見ることは可能です。こんな素人の拙い写真など何の価値はないかもしれません。
でも、どんな拙い写真であっても自身のこの指でシャッターを押した写真は、自身にとってどんな写真にも勝る思い出の写真なのです。

一番下の写真は宿泊したホテルから撮ったものですが、このホテルも震災被害に遭われてしまいました。



攻城日:2001年(平成13年)10月27日(土)           

特殊切手『日本の城シリーズ』第6集

2016年04月08日 | 城館雑記




本日4月8日(金)、特殊切手『日本の城シリーズ』第6集が発売になりましたので早速購入してきました。

今までは1城×2枚の10枚でしたが、今回は1城×1枚の10枚で次の10城です。


    五稜郭 (北海道)
 ☆ 上田城  (長野県)
 ☆ 大阪城 (大阪府) 復興天守
 ☆ 丸亀城 (香川県) 現存天守
 ☆ 松山城 (愛媛県) 現存天守

 ☆ 松本城 (長野県) 現存天守 国宝
 ☆ 犬山城 (愛知県) 現存天守 国宝
 ☆ 彦根城 (滋賀県) 現存天守 国宝
 ☆ 姫路城 (兵庫県) 現存天守 国宝 世界遺産
 ☆ 松江城 (島根県) 現存天守 国宝
  
   ☆・・攻城済

前1~5集同様に日本城郭協会選定の「日本100名城」に選ばれている城です。松本城は第3集・犬山城は第2集・彦根城第1集・姫路城は第4集・
松江城は第2集で既に登場している城で、天守が国宝に指定されている全5城が再登場と言うことになりましたが、写真は別ものが使われています。

今回、丸亀城・松山城が採用されたことによりこの第6集までに現存12天守の城すべてが採用されたことになります。
また、今年はNHKの大河ドラマで「真田丸」をやっている関係かどうかは分りませんが、真田氏にゆかりの上田城・大阪城が含まれています。
100名城の中でも著名な城がこれで30城。これだけ出てしまうと第7集以降の発売が気になるところですが、今年はこの第6集以外の発売が予定されておりませんので、もしかしたらこれで終了?


なお、切手のバックには9城の写真しかありませんが、上述の通り自身が攻城済なのは9城で五稜郭については未攻城なので写真がありませんので・・・


ちなみにこれまでのシリーズに登場した城は、

  第1集
      若松城 (福島県)
   ☆ 小田原城(神奈川県)
   ☆ 彦根城 (滋賀県)
   ★ 二条城 (京都府)
   ☆ 岡山城 (岡山県)

  第2集
      松前城 (北海道)
   ☆ 犬山城  (愛知県)
   ☆ 松江城 (島根県)
      高松城 (香川県)
   ★ 熊本城 (熊本県)

  第3集
   ☆ 松本城 (長野県)
      竹田城 (兵庫県)
   ☆ 名古屋城(愛知県)
   ☆ 備中松山城(岡山県)
      首里城 (沖縄県)

  第4集
   ☆ 弘前城 (青森県)
   ☆ 金沢城 (石川県)
   ☆ 姫路城 (兵庫県)
      福山城 (広島県)
      福岡城 (福岡県) 

  第5集
   ☆ 江戸城 (東京都)
   ☆ 丸亀城 (福井県)
      広島城 (広島県)
   ☆ 高知城 (高知県)
   ☆ 宇和島城(愛媛県)

     ☆・・攻城済   ★・・「日本100名城」選定以前の攻城

天守 ・ 御三階櫓は歴史資料館 (3)

2016年02月11日 | 城館雑記
今更こんな古いものを出してきたところで何の役にも立たない情報かも知れませんが 昔の入場券(入館券)はこんなものだったのかと思っていただければそれだけでよいと・・・




高島城  (長野県諏訪市高島)  日本三大湖城  天守 ・・・ 復興天守     攻城日:詳細記録なしなるも1970年代

高島城の歴史等についての記述は省かせていただきますが、鉄筋コンクリートによる復興天守が完成したのは1970(昭和45)年で、自身が
攻城したのは完成から間もない時であったかも知れません。この復興天守も例にもれず歴史資料館です。この時の記憶は定かではありませんが、
他の復元・復興建築物はほとんどなかったように思います。ただ、池が「心」の文字を形どったものであるというについては今なお忘れていませんが。

若し可能であるならば当時からは大分整備されているようですので訪ねてみたい城のひとつです。


富山城 (富山県富山市丸の内)   天守 ・・・ 模擬天守      攻城日:1972(昭和47)年8月15日

富山城の歴史等についてはやはり省かせていただきますが、この模擬天守は、1954(昭和29)年、富山城跡の敷地一帯で富山産業博覧会が
開催された折りに、元々富山城には天守は存在しなかったのですが犬山城や彦根城を参考に鉄筋コンクリートで建てられ、通称「富山城」と呼ばれるようになり、
同年11月より富山市立郷土博物館として運営が始まった。自身が訪館したのは能登半島一周の旅の途中に寄ってみただけであり、攻城という意識は全くなかったと
記憶しています。この能登半島一周の旅では金沢城跡にも訪れたが、この時は金沢大学のキャンパスとなっていたころで、今の金沢城跡ではありませんでした。





上の写真の入場券は本記事のタイトルにそぐわないかも知れませんが、新旧の入場券の比較も面白いかと載せてみました。
このうち名古屋城と彦根城の古い方のものについては自身が行ったものでなく、多分家族の誰かが行った時のものと思いますがいつのものかは特定できません。
彦根城については2007(平成19)年に築城400年を迎えており、チケットには約360年前という記述があり、築城400年の約40年前のチケットで
あることから逆算して45~6年前後前のものと推定しました。二条城については新旧とも自身が行った時のものですから記録が残っておりますので・・・

* 齢をとりますと古い話しかありませんので・・・自身では若いつもりなのですが

天守 ・ 御三階櫓は歴史資料館 (2)

2016年02月10日 | 城館雑記
この(2)では、復興天守1基、模擬御三階櫓2基を載せてみたいと思います。

日本100名城を含め未攻城の城郭・城跡が数え切れないほどあります。できれば新たに訪ねた城郭・城跡の攻城記を書きたいところなのですが
最近はそうした城攻めが諸々の事情から一向にできません。そんなことから過去に攻城した中からテーマを探してこうしたものを書いています。





小田原城 (神奈川県小田原市城内) 国指定史跡  日本100名城 23  天守 ・・・ 復興天守 攻城日:2010(平成22)年5月3日 他

1495(明応4)年に北条早雲が入城し後北条氏の拠点となる。城下町を含む全周9kmの総構は難攻不落の城であった。
後北条氏が開城後、徳川の譜代大名大久保氏により近世城郭として整備されたが、明治に入り建物はほとんどが解体された。
1960(昭和35)年に鉄筋コンクリートで天守が復興再建された

* 天守は現在改修中のため来年4月まで休館になっています





忍城  (埼玉県行田市本丸) 埼玉県指定旧跡  関東七名城  御三階櫓 ・・・ 模擬櫓(復興)  攻城日:2009(平成21)年11月8日 他

小田原合戦の際、豊臣秀吉の命により水攻めを行うも失敗(総大将 石田三成)した城で知られる。
明治時代に廃城になる。後に城跡は公園(成田公園のちに忍公園)として整備され、1988(昭和63)年2月に行田市立郷土博物館の
一部として鉄筋コンクリートの御三階櫓 が再建された。鳥瞰図や文献をもとに再建されたが、位置や規模が史実と異なっている。

* 9日(火)夜、テレビでこの忍城をテーマにした映画「のぼうの城」が放送されていました





関宿城  (千葉県野田市関宿)   御三階櫓 ・・・ 模擬櫓     攻城日:2010(平成22)年1月30日 

1995(平成7)年に千葉県立関宿城博物館として、江戸城の富士見櫓を模して鉄筋コンクリートで建てられたもの。
元々の関宿城があった場所は利根川の改修工事で大半が残っておらず、近所ではあるが全く違う場所に建てられている。

真田氏ゆかりの地を巡る

2016年02月01日 | 城館雑記
NHKの大河ドラマは何十年と観ることがありませんでしたが、一昨年久しぶりに観たのが「黒田官兵衛」でした。しかし、昨年の大河ドラマは1度も観ずに終えました。
今年はまた戦国ものの「真田丸」と言うことで第1回から観ています。真田丸とは真田信繁(幸村)が大坂冬の陣の際に築いた馬出(砦・曲輪)のことですが、大河ドラマに
おいては、この馬出(砦・曲輪)の意味と、真田家の一族が力を合わせて戦国の世を生きていくひとつの船(丸)として捉えての両者からつけられたタイトルのようです。
中には、大ブームとなったラグビーの五郎丸選手に因み真田丸にしたのだろうという方も・・・ブーム以前に真田丸のタイトルは決まっていたような気がしますが。

この大河ドラマに限らず何かブームになると「ゆかりの地を訪ねる」こともブームになるようです。大河ドラマにおいては番組の最後にゆかりの地を紹介しています。
「真田丸」の放映が決まる前に自身も何か所か真田氏ゆかりの地や関連施設にお邪魔していますので載せてみたいと思います。いつもの過去からの引っ張り出しで・・・




真田氏が上田城を築城するまでの居館跡で、地元では「御屋敷」と呼んでいた。現在は「御屋敷公園」となっている

所在地 : 長野県上田市真田町本原   訪問日 : 2010(平成22)年4月29日




上記真田氏館跡のすぐ近くにある「真田氏歴史館」 真田一族ゆかりの資料等が展示されている

所在地 : 長野県上田市真田町本原   訪館日 : 2010(平成22)年4月29日




1583(天正11)年 真田昌幸により築城された 真田氏と言うとすぐにこの上田城が浮かぶが1622(元和8)年に真田氏は松代に転封
になっていることから上田城には約40年しかいなかった。また、現在の上田城公園の元の形は、真田氏転封後に入った仙石氏によるもの

所在地 : 長野県上田市二の丸   攻城日 : 2010(平成22)年4月29日




JR上田駅前に建てられている真田幸村公騎馬像

所在地 : 長野県上田市天神1丁目   訪問日 : 2010(平成22)年5月23日




古くは鎌倉時代に北条義政の居城であったが、その後いろいろな武将の支配下となり、武田氏滅亡後は真田氏の支配下になったが
上田城の完成により廃城となった

所在地 : 長野県上田市前山   攻城日 : 2010(平成22)年5月23日




1622(元和8)年 真田信之が上田から転封されて13万石で入城 当時の城名は松城 1711(正徳元)年に幕令により松代城に改名
明治維新まで真田氏の居城・・・上田城よりこの松代城の方がはるかに長いのにちょっとマイナーかな

所在地 : 長野県長野市松代   攻城日 : 2010(平成22)年5月22日




新御殿跡(真田邸)は、1864(元治元)年に、松代藩9代藩主・真田幸教により、義母・貞松院の住まいとして建てられた松代城の城外御殿。その後は幸教自身の
隠居所、さらに明治以降は真田家の私邸になり1966(昭和41)年に、真田家から当時の松代町へと譲渡された。(訪問時、工事中のため見学はできませんでした)

所在地 : 長野県長野市松代   訪問日 : 2010(平成22)年5月22日




松代藩8代藩主幸貫が水戸の弘道館にならって計画し、9代幸教の時代に完成 1855(安政2)年開校

所在地 : 長野県長野市松代   訪問日 : 2010(平成22)年5月22日




真田家12代当主幸治氏より1966(昭和41)年に譲渡された武具や調度品、書画、文書などの大名道具を収蔵、展示した博物館。

所在地 : 長野県長野市松代   訪館日 : 2010(平成22)年5月22日




この沼田城も真田氏の城であったが経緯を書くと長いので省略します(実は手抜きをしたいがため)

所在地 : 群馬県沼田市西倉内町   攻城日 : 2010(平成22)年7月19日

真田氏ゆかりの地は長野、群馬に限らず大阪、和歌山、宮城等にも及んでおりそれこそ数えきれないようです。
出来うるならばこうして過去に訪れたところのみならず色々な地を訪れてブログにできればよいのでしょうが、
それはできそうにありませんので過去に訪れた僅かな場所で記事にしてみました。

天守 ・ 御三階櫓は歴史資料館 (1)

2016年01月28日 | 城館雑記
本来、「城」とは縄張りを含めた総体を言いますが「天守」を城だと思っている方が多いようです。かつての自身もそうでした。
天守は城の象徴ともいえる建造物ですのであながち間違ってはいないかも知れません。と、寛容な心遣いをしておきましょう。

その「天守」ですが、役割や構造・形式での分類は別にして、「現存天守」、「復元天守(木造復元天守・外観復元天守)」、
「復興天守」、「模擬天守」があります。また、天守ではないが天守を模した「御三階櫓」があります。

これらの定義は、専門家等により若干の相違があるようですが、簡単な説明をしますと、
 「現存天守」 ・・・ 江戸時代期までに建てられた天守で現在に至るもので12天守がある
 「復元天守」 ・・・ 火事・天災・破却・戦災で消失した天守を以前の通りに復元したもので、
           天守が現存した当時の図面・文書記録・遺構などに基づき、当時使われていた材料・構法・工法によって忠実に原状に復したものを木造復元天守
           鉄筋コンクリート構造などを用いて外観だけを往時のように再現したものを外観復元天守
 「復興天守」 ・・・ 天守がかつて存在したことは確かであるが、史料不足のため規模や意匠に推定の部分があるものの元の場所に再建(木造・コンクリ)された天守
 「模擬天守」 ・・・ 城は実在したが、元々天守のなかった城や、天守が存在したか不明な城に建てられた天守 天守は存在したが史実に基づかないもので、異なる
           場所に建てられたもの等

このうちの「現存天守」を除く「復元天守」等の内部は大体が歴史資料館や博物館になっています。現存天守においても資料等が展示されているところもありますが、博物館の
ようには至ってはおりません。

そんなことで自身が訪ねた城で天守が歴史資料館・博物館になっているものを僅かですが載せてみたいと思います。





名古屋城 (愛知県名古屋市中区) 国指定特別史跡 国指定史跡  日本100名城 44  天守 ・・・ 外観復元天守  攻城日:2011(平成23)年5月1日

1610(慶長1945)年徳川家康が西国の外様大名らに命じて造らせた天下普請の城 
1945(昭和20)年5月14日 名古屋大空襲により本丸御殿、小天守などとともに消失 1969(昭和34)年鉄筋コンクリートで外観復元で再建





大阪城 (大阪府大阪市中央区) 国指定特別史跡 登録有形文化財  日本100名城 54  天守・・・復興天守  攻城日:2014(平成26)年8月13日

1585(天正13)年完成 1615(慶長20)年 大阪夏の陣で炎上 〔豊臣大阪城〕
1626(寛永3)年完成 1655(寛文5)年 消失 以後天守が存在しないまま推移
1931(昭和6)年 徳川大阪城天守台の上に豊臣大阪城天守を模して鉄筋コンクリートで復興
豊臣大阪城天守、徳川大阪城天守に続き3代目であるが前2天守は短期で焼失したため1番長寿の天守





岡山城 (岡山県岡山市北区) 国指定史跡 国指定特別名勝  日本100名城 70   天守 ・・・ 外観復元天守  攻城日:2013(平成25)年8月9日

元々は金光氏の居城であったが、1570(元亀元)年に宇喜多直家が略奪 その子秀家が1597(慶長2)年に大改修
関ヶ原の戦い後に入った小早川秀秋や池田氏によって城の拡張整備が続けられた
1945(昭和20)年6月29日の岡山空襲で焼失 1964(昭和39)年~1966(昭和41)年鉄筋コンクリートで外観復元で再建

特殊切手『日本の城シリーズ』第5集

2015年08月07日 | 城館雑記


特殊切手『日本の城シリーズ』第5集が本日8月7日発売になりましたので早速購入してきました。

今回は、

 ☆ 江戸城 (東京都)
 ☆ 丸岡城 (福井県)
   広島城 (広島県)
 ☆ 高知城 (高知県)
 ☆ 宇和島城(愛媛県)   

☆・・攻城済

の5城で何れも前4回同様に㈶法人日本城郭協会選定の「日本100名城」に選ばれている城で、丸岡城・高知城・宇和島城の3城は現存天守を有する城です。

ちなみにこれまでのシリーズに登場した城は、
  第1集
     若松城 (福島県)
   ☆ 小田原城(神奈川県)
   ☆ 彦根城 (滋賀県)
   ★ 二条城 (京都府)
   ☆ 岡山城 (岡山県)

  第2集
     松前城 (北海道)
   ☆ 犬山城 (愛知県)
   ☆ 松江城 (島根県)
     高松城 (香川県)
   ★ 熊本城 (熊本県)

  第3集
   ☆ 松本城 (長野県)
     竹田城 (兵庫県)
   ☆ 名古屋城(愛知県)
   ☆ 備中松山城(岡山県)
     首里城 (沖縄県)

  第4集
   ☆ 弘前城 (青森県)
   ☆ 金沢城 (石川県)
   ☆ 姫路城 (兵庫県)
     福山城 (広島県)
     福岡城 (福岡県)   
 
☆・・攻城済   ★・・「日本100名城」選定以前の攻城