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AKB48の旅

AKB48の旅

「してもらったようにしていく」

2013年02月23日 | AKB
西山恭子ぐぐたす2月22日1:47で、横山さんが書いた言葉が「してもらったようにしていく」。ひらがなのみで書かれてるし、シンプルそのものなんだけど、横山さんの存在様式を背景にすると、その深みに気づけると思うし、ある意味AKBの本質を表現しているとも言えそうだし、ハイコンテクストとしての日本文化とのアクセスを感じさせる言葉だと思う。

これまで何度も、AKBの中の良循環ということを書いてきた。小さな「良い」の積み重ねが繰り返されることで、新たな高みへと辿り着く。そんならせん運動が、フラクタルの如くに相転移へと移行する。共同体の構成員が、それぞれの持ち場を100%全うする時、部分と全体の共鳴が起こり、無限という名の「神」が降臨する。AKBムーブメントのあらゆる場に、そんな光景が垣間見られたように思う。

もちろん横山さんの言う「してもらったようにしていく」は、単純に先輩達から教わったことを後輩に伝えていくということなんだろうけど、そこに現れない「感謝」の気持ちこそがキモだろう。先輩から良くしてもらった、大事なことを教わった、深い恩義を感じた、そんな「してもらった」ことに感謝したからこその、後輩にも「してもらったようにしていく」。

こう書くと、そんなの当たり前と思われるかも知れないけど、全然そんなことはない。一例、体罰というか暴力体質みたいなものもまた、「してもらったようにしていく」になったりするのは、その世界とかでは常識みたいなものだろう。あるいは、長らく日本が陥っているデフレスパイラルなんかも、「してもらったようにしていく」が、決して悪意とかではないにも関わらず、悪循環となって、日本を泥沼へと引きずり込んでいく。

日本以外に目を向ければ、それこそ山のような「悪例」に出会うことになる。あらゆる関係性に対等という概念がなくて、必ず上下関係を付けなくてはならない社会では、それは上意下達を超えて、差別へと墜ちていくことと同義になる。徹底的な相互不信社会では、善意は存在できず、そこには悪意の蔓延しかない。

「してもらったようにしていく」がイコール良循環となる。「良い」ことを伝えていく。そのためには文化的な成熟が必要だろうし、正当な倫理規範とか、個々人間の信頼感、つまりは日本のような高信頼社会であることが必要条件となる。横山さんがこの言葉を語る時、日本文化の精華であるところのAKBの本質を、みごとに伝えてることになる。