宇野常寛という批評家の「思想」というと違うと言われそうかな、「生き様」かな、これもちょっと違うか、「発信」かな、まあ情報として提示されている@宇野常宏的なもの。この番組だけから、そんな宇野さんの何かを論じるとかムリなのは分かってるけど、それでも、番組の感想など。
まず一言で言って、素直に面白かった。NHKらしい丁寧な作りだと感じたし、何より宇野さんのヴィジュアルが良い。なかなかハンサムだしね。そして、語り口が心地よい。早口なんだけど、しゃべりのリズムがあって、確かな知性を感じさせる。このあたりは、正にテレビ的なアプローチになってて、もちろん見た目の説得力が重要なのは言うまでもないこと。そして、そんなテレビの「常識」を番組内で否定してかかる、宇野さんの逆説の自己言及性が、まずは面白かった。
題名にも使われた「ノンポリのオタク」の意味だけど、思想信条やイデオロギーで語らない、そして既得権益者サイドではないという以上に、戦後レジームに対峙する意図が込められてるように感じられた。この捉え方で正しいなら、そしてやはり題名にも入ってるし、番組内でも繰り返し「怒り」について触れていたんで、世代間闘争が強く意識されているよう感じられた。
正直「ノンポリのオタク」というのは、ちょっと古くさい表現にも思えるんだけど、これはやはり団塊との差別化を意識してるんだろうか。つまりは団塊というインサイダーに対するアウトサイダー。著書とかほとんど読んでないのに、宇野さんを論じるのはムリゲー過ぎるのかも知れないと、ここまで書いてのエクスキューズだけど、気にせずイケイケどんどん。
となると、宇野さんがAKBファンなのも、当然と言うことになる。AKBは正に団塊の価値観、戦後レジーム、そしてテレビの枠組みの外側からやってきた。やってきて、既存の価値観の転換を図ろうとしてる。というか、図ってるわけではないけど、結果的に価値観を変えようとしてる。この面白さに気づいた人たちが、AKBサイドとなり、逆に既存の価値観サイド、はっきり言って既得権益者が、AKBを否定する立場を取っているとも言えそう。
もちろんそんな単純なものではないだろうし、そもそもが秋元康氏自身がザ既得権益者なのが、これまたAKBの面白いところだと思う。秋元康氏は、そんなインサイダーvsアウトサイダー的な枠組みすら消し去ろうとしてる、少なくとも私はそう考える者だけど、つまりは思想信条なんか捨ててしまえな立ち位置なわけで、これって実は、ほぼ日本人でなければ取り得ない立場だろう。
そんな秋元康氏がプロデュースするアイドル集団を、高橋さんという「希有の才能」を手にしたことで、インサイダーとしての最大限のサポートを行いつつ、なすがままに任せることができた、自由放任ではないけど「自由放任」した結果、インサイダーとアウトサイダーの枠組みを無化した存在としての、現在のAKBが立ち現れ、そして立ち現れ続けてる。
番組内で、雑誌は滅びると言い放ちつつ、"PLANETS"という雑誌を出す。なんか比喩にすらなってないかもしれないけど、宇野さんの「怒り」と秋元康氏が奇妙にかぶる感じが面白いな。
番組の最後の方で、横山さんではないナレーション、たぶん番組のディレクターなのかな、の言葉が違和感ありまくりだった。以下文字おこし「ノンポリのオタクを名乗るという奇妙な方法で、社会を変えようと戦っていた」「正面から社会を語るより、例えの分かりやすいポップカルチャー批評を経由した方が、動員力を持ってしまうこの国」。
「ノンポリのオタク」が「奇妙」な時点で、それって何も分かってないにならないか、「社会の正面」なんてものがある時点で、それってインサイダーだよね、そんな安易な「批判」ができてしまう。この文言には、宇野さんのOKが出てるんだろうか。その上で敢えてこの文言を入れたのか。それともディレクターが、実際に自身の思いを語っていて、単にまるで分かっていないことの白状なのか。
まず一言で言って、素直に面白かった。NHKらしい丁寧な作りだと感じたし、何より宇野さんのヴィジュアルが良い。なかなかハンサムだしね。そして、語り口が心地よい。早口なんだけど、しゃべりのリズムがあって、確かな知性を感じさせる。このあたりは、正にテレビ的なアプローチになってて、もちろん見た目の説得力が重要なのは言うまでもないこと。そして、そんなテレビの「常識」を番組内で否定してかかる、宇野さんの逆説の自己言及性が、まずは面白かった。
題名にも使われた「ノンポリのオタク」の意味だけど、思想信条やイデオロギーで語らない、そして既得権益者サイドではないという以上に、戦後レジームに対峙する意図が込められてるように感じられた。この捉え方で正しいなら、そしてやはり題名にも入ってるし、番組内でも繰り返し「怒り」について触れていたんで、世代間闘争が強く意識されているよう感じられた。
正直「ノンポリのオタク」というのは、ちょっと古くさい表現にも思えるんだけど、これはやはり団塊との差別化を意識してるんだろうか。つまりは団塊というインサイダーに対するアウトサイダー。著書とかほとんど読んでないのに、宇野さんを論じるのはムリゲー過ぎるのかも知れないと、ここまで書いてのエクスキューズだけど、気にせずイケイケどんどん。
となると、宇野さんがAKBファンなのも、当然と言うことになる。AKBは正に団塊の価値観、戦後レジーム、そしてテレビの枠組みの外側からやってきた。やってきて、既存の価値観の転換を図ろうとしてる。というか、図ってるわけではないけど、結果的に価値観を変えようとしてる。この面白さに気づいた人たちが、AKBサイドとなり、逆に既存の価値観サイド、はっきり言って既得権益者が、AKBを否定する立場を取っているとも言えそう。
もちろんそんな単純なものではないだろうし、そもそもが秋元康氏自身がザ既得権益者なのが、これまたAKBの面白いところだと思う。秋元康氏は、そんなインサイダーvsアウトサイダー的な枠組みすら消し去ろうとしてる、少なくとも私はそう考える者だけど、つまりは思想信条なんか捨ててしまえな立ち位置なわけで、これって実は、ほぼ日本人でなければ取り得ない立場だろう。
そんな秋元康氏がプロデュースするアイドル集団を、高橋さんという「希有の才能」を手にしたことで、インサイダーとしての最大限のサポートを行いつつ、なすがままに任せることができた、自由放任ではないけど「自由放任」した結果、インサイダーとアウトサイダーの枠組みを無化した存在としての、現在のAKBが立ち現れ、そして立ち現れ続けてる。
番組内で、雑誌は滅びると言い放ちつつ、"PLANETS"という雑誌を出す。なんか比喩にすらなってないかもしれないけど、宇野さんの「怒り」と秋元康氏が奇妙にかぶる感じが面白いな。
番組の最後の方で、横山さんではないナレーション、たぶん番組のディレクターなのかな、の言葉が違和感ありまくりだった。以下文字おこし「ノンポリのオタクを名乗るという奇妙な方法で、社会を変えようと戦っていた」「正面から社会を語るより、例えの分かりやすいポップカルチャー批評を経由した方が、動員力を持ってしまうこの国」。
「ノンポリのオタク」が「奇妙」な時点で、それって何も分かってないにならないか、「社会の正面」なんてものがある時点で、それってインサイダーだよね、そんな安易な「批判」ができてしまう。この文言には、宇野さんのOKが出てるんだろうか。その上で敢えてこの文言を入れたのか。それともディレクターが、実際に自身の思いを語っていて、単にまるで分かっていないことの白状なのか。