幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

記憶と夢

2019-10-28 00:37:00 | Weblog

どれほど複雑な事象に見えても
解析すれば単純な構造によってできていることが分かる

それと同じで
様々な経験を
秩序だった意味の構造の中に記憶していく
記憶は
ときに苦く、または甘美でもあるが
それらを二度と同じ状況では味わえないという意味では
儚く無常なものであることは共通している

ところが、記憶の秩序はときにはほどけて
意味をなさない断片になって
花がくから剥がれ落ちる花びらのように空中に漂い
やがてそれらが偶然にも寄り集まって
自律的に再構築されることがある

夢の中で
理性的に構造化された記憶の秩序の中から
断片が剥がれ落ちて
それぞれの記憶の一コマが無意味なものに還元されたあと
偶然にも結合して
意味をなさないストーリーを展開しているとき
それらを創造しているのは自分ではないし
それらを解釈するのも自分ではない

我々はできることなら
自らの体験を自律的に構築したいと願う
ところが体験は意志によっては導き出せない
なぜなら、体験とは常に過去に属し
我々はそれらを記憶の連なりの中に
自律的に意味付けて格納することしかできないからだ

体験とは“私”に属する限り
常に過去形であり
自らの意志によっては
それを創造するすることはできない

夢はその意味では
裏返った現実であり
“私”から解放された過去形が
自由に組織化されつつある
唯一の現在形の体験ともいえる

逆に言えば
我々は夢を見るために
記憶を収集するために
生きているとも言える

様々な記憶の断片から
意味や価値や感情のエッセンスを抜き出して
新しい体験として再構築する
ただし、再構築する“私”は
覚醒時の理性的な“私”ではない
それはあたかも
“私”をすっかり忘れてしまった
私が知らない“私”のようなもの

そのときにのみ
“私”は唯一、私を忘れて自由になれる

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 






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