熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。
散歩中に見かけた木々
台風で倒れ、その後切り取られ
その大きな株から新しい芽が
生え出てきています
まず
この切り株が目にとまったのです
この大きな桜が倒れた
それからしても風の強さを
思い知ります。
それでも、
いのちの凄さはここからです
昨年の台風でしたから
もうだめかと思っていたのに
幹の割れ目から新芽を出している
「リボーン」(reborn)
生まれかわる・再生するという
意味があります。
「RE」には、再びという意味が
あります
recycle・リサイクルとか
サイクルは周期という意味があり
もう一度利用する
ということになります
これが、rebound・リバウンド
となると、反動という意味で
せっかくダイエットしたのに
その反動で前よりもっと
凄いことになってしまった、と。
そのままであればまだしも
それが前以上になるというところに
リバウンドの悩ましい問題が
潜んでいます。
しかし自然のハタラキは
そんなものではなく
必死に生まれ変わろうとしています
いたるところで新しいいのちが
芽生えだしています
しかし、ふと思うのです
生まれかわっても
サクラは桜、榎は榎です
ところが、人間も生まれかわる
ということがあります
今までの自分から
さらに上を目指した新しい自分に
生まれかわるということです。
昔から人間は2度生まれかわる
と言われています
最初は、
母親から生まれたという誕生です
それから、
人生に悩み苦しみ、
ついにはその心を翻して
謙虚な素直な心になって
ふたたび人生を出発しなおす
ということがあります
これは第二の誕生といえます
リボーンです。
死んだようになっていた
榎の大木
樹皮の割れ目から小さな芽を出し
昨年は見かけなかったところに
もうこれだけ芽を伸ばしています
タンポポも次の命を
生み出す準備をしています
もう、
半分ほど飛ばした種もあります。
リボーン
生まれかわるといいますが
次に命を繋いでいく
再生するということの方が
植物にとっては正しいようです
人間の場合は
迷った人間が
生きる本当の意味を知った
それをさとりというのでしょうが
迷った人間がさとりに触れる
つまり、
人間がほとけになる
という本当の生まれかわる
ということがあります。
種を飛ばしながらも
もう下には次の花を咲かせている
そういう力強さはありますが
生まれかわって
タンポポが自分の生きる意味を
見出したということはありません
そうやって見ていると
面白いもので
見過ごしていた景色に
新たな発見もあるのです
春に咲くノアザミ・野薊
ここで見かけたのはこの一輪
だけですが
早くも咲いたのか?
まだ今年の残り名残として
咲いたのか?
どちらか不明ですが
この寒い中、健気にも
踏みつぶされないように
小さく咲いているようです。
この桜の枝は
リボーンを願ってでしょう
むしろで養生されて来春に向けて
大きくなるよう
包んだ方の気持ちが伝わってきます
「人生はやり直すことは
できないが
見直すことはできる」
といった方がいらっしゃいます
自分の人生見直すことによって
新たな自分の発見もあるのでしょう
見直さない人生なんて勿体ない
迷いをいくら続けても迷いです
自然にさとりに行く
ということはありません
一度立ち止まり
見直すことによって
自分の今までの生き方が
問題になり、
では何が間違っていたのか
そういう問い直しによって
新たな再生・リボーンが
あるように思うのです。
別な側面から見れば
生まれかわらなくてもいい
ということではなく
人間は必ず生まれ変わらなければ
いけないという義務もあるのです
でなければ
いのちとして食べられていった
生きもの、動物・植物たちが
浮かばれないような気がします
命の意味を問うことのできない
他の生き物たち
自分の命を犠牲にして
自分を食べてくれ
その代わりどうか自分たちの
命の意味を見出してほしい
そういう願いがあるように感じます
「いただきます」
という意味には
あなたの命を頂きます
その代わり必ずあなたの命の
意味を見出します
という内容も含んでいるようです
散歩しながら
ふと、再生する力を見て
リボーンということが頭に浮かび
人間の再生とは
というようなことを考えていました
孫たちがどこかで拾ってきた
どんぐりの実
プランターに一緒に植えました
それから、
植えたこともすっかり忘れ
今年の春には
小さな芽を出したのです。
そのまま気にもとめずに
いたのですが
ここにいるよとばかり!!
葉を赤く染めていました
その赤さが訴えかけてくるように
私の目に入ってきました。
たぶん何年か前に
醍醐寺に行った折に拾った
ようにも思います
子供たちにとっては
何でも遊びになります
別におもちゃがなくても
無心に拾い集めました
手のひら一杯に拾い集めて
こんなに拾ったよ!
と見せに来ます。
その時は
それだけで結構楽しい時間を
過ごしました。
しかし、
調べてみるとドングリの木という
ものはなく
総体的にはブナ科の果実
細かくいうとカシ・ナラ・カシワ
の実ということです。
葉の形からするとブナの木かも
知れません。
シカさんの大好物
というより、栗ですから
高たんぱく高カロリーの食べ物
生きものたちにとっては何よりも
貴重な食糧です
これを一杯食べて冬を乗り切る
ということでしょう。
ドングリというと
ふと子供の頃に歌った
「どんりころころ」
という歌を思い出しますが
よく見てみると
不思議な歌詞のようです
「どんぐりころころどんぶりこ
お池にはまってさあ大変
ドジョウが出てきてこんにちは
…
しばらく一緒に遊んだが
やっぱりお山が恋しいと
泣いてはドジョウを困らせた」
という、
童謡というもの
簡単そうな歌詞の裏には
いろいろ意味慎重な内容を
含んだものもあります。
「シャボン玉」
という歌も
楽しそうに歌うのですが
作詞家の方からすると
とても悲しい出来事を
あのような歌にしたのです。
「どんぐりころころ」
という歌にも
何か意味が隠されているのかも
知れませんね!
別の鉢に植え替えて
育ててみようと思いますが
本来は大きな木になるのですから
どのような形になるか
分かりませんが
それも楽しみになるのかも??
京都新聞の
「どうぶつえん日記」という記事
❝かわせみ、餌を食べる❞
当園内の野生鳥獣救護センターに
脳震とうを起こしたカワセミが
運ばれてきました。
傷は癒えたのですが、
これまでの例では、用意した餌を
食べたことがない神経質な鳥。
今回も同じでした。
このままでは衰弱するので
無理やり食べさせることに。
捕まえて餌の金魚を
飲み込ませよとしても、
うまくいきません。
切り身を喉の奥に入れると
食べたのですが、
かなりのストレスです。
そこで怒って口を開けた瞬間に
金魚を放り込むと、
何と、
くちばしで咥えて食べたのです。
いつしか、
鉢の中で泳ぐ金魚を自分で捕って
食べるようになりました。
奇跡の頑張りを見せたカワセミに
スタッフ一同は拍手と歓声で
たたえました。
という記事です。
なんとなくよかった!よかった!
ということですが、
金魚が好きな私には
何か悲しい!
金魚の立場に立てば可哀そうに
と思うのです。
本蔵院の池にも
たくさんの金魚がいます。
卵がかえり池の中は
それこそ満室状態です
今はどうか知りませんが
以前は、
やっと大きくなったころを
見計らってか知りませんが
空からアオサギがやって来て
大きくなった金魚
(アオサギからしたら食べごろ?)
を毎日のようにやって来て
とうとういなくなったことが
あります。
生きるということは
こういうことでしょう。
当たり前といえば当たり前
私たちがおいしい美味しい
といって食べてることは
このことと少しも変わりません。
芭蕉の句に
「おもしろうて
やがて悲しき鵜舟哉」
というのがありましたが
保護されたカワセミから見れば
やっと餌を食べるようになって
これで生きていける
本当に良かったという話ですが
金魚からすれば
餌になるために大きくなった
のではありません!!
ということです。
食べ物はいのちですから
あだやおろそかにはできません。
私たちが生きて行くということは
どれだけの命を犠牲にして
成り立っているのでしょう。
そのことを心のどこかにおいて
「たいせつないのちを
いただきます。」
ということでしょう。
この記事
よかったような!
ふと考えると
悲しいような!
そんな気持ちで読みました。
ずっと気になっていたのですが
新聞に掲載された被爆地での
演説の全文
あらためて読み返してみると
やはり
素晴らしい事を述べられています
気になっていたのは
今度の教皇は来日する前
ザビエルの書簡をすべて
読んでおられるということを
何かの折に聞いたのです。
ただ単に来られたのではない
ような気がします
広島の演説でも、
「私はへりくだり、声を発しても
耳を貸してもらえない人々の声に
なりたいと思います。」
ということを述べられ、
また、
長崎では
「どうか、祈り、
一致の促進の飽くなき探求、
対話への粘り強い招きが、
私たちが信を置く『武器』で
ありますように。」
とおっしゃておられます。
もっと感動的な言葉は
たくさんあると思いますが
私の目にとまった言葉です。
というのも、
ザビエルの書簡を読んでこられた
ということが
どうも引っかかるのです。
その書簡は長短130通にも及ぶ
ものなのです。
その中でザビエルがどのように
日本と日本人を見ていたか。
ちょっと長くなりますが、
「日本についてこの地で私たちが
経験によって知りえたことを、
あなたたちにお知らせします。
第一に私たちが交際することに
よって知りえた限りでは、
この国の人々は今までに発見された
国民のなかで最高であり、
日本人より優れている人びとは、
異教徒のあいだでは
見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、
一般に善良で、悪意がありません
驚くほど名誉心の強い人びとで
他の何よりも名誉を重んじます。
大部分の人は貧しいのですが、
武士も、そうでない人々も、
貧しいことを不名誉と
思っていません」と。
母国では誇り高い騎士であった
というザビエルが、
遥かな日本の地で、
富よりも名誉を重んじ
礼儀正しく、親しみ深い人と
接したことは驚きであったし
大きな喜びであったでしょう。
それは必ずや日本人が
福音を伝えてくれる民族に
他ならないと確信した
世界を回ってみたけど
このように忠誠心のある
民族に出会ったのは
初めてだったのでしょう。
それは、
インドのゴアで日本人の
弥次郎という人に出会ったから
なのでしょう。
自分なりにはそう信じて
感動をもって
山口でしたかザビエル教会で
その話をしたら
ああ! 通訳した人ですね
と、ことも無下に話され
ちょっとがっかりしたことが
ありますが、
また、ザビエルは
日本人の教養と倫理性の高さに
注目しています。
「大部分の人は読み書きが
できますので、
祈りや教理を短時間に学ぶのに
たいそう役立ちます。
彼らは一人の妻しか持ちません。
また盗人見つけると
非常に厳しく罰し、
誰でも死刑にします。
盗みの悪習をたいへん憎んでいます
彼らは大変善良な人びとで、
社交性があり、また
知識欲はきわめて旺盛です」と。
こういう日本人観を以て
ザビエルはやって来た
福音を伝えてくれる民族と
確信して、
今度の教皇さまもその書簡を読んで
こられたという
だから、日本人というものに
一つの敬意というか、
ザビエルの言葉によれば、
「真の謙遜はいずこの土地に
おいても必要ですけど、
この日本においては、
あなた方が考えているよりも
もっと必要とされています」
たぶん、今回の
ローマ教皇の来日は
こういうことを踏まえたうえで
お見えになったのであれば
それに応え得るものを
持たなければならないのでは
ないかと
竊(ひそか)に
案じているのです。
「道という言葉に迷う事勿れ
朝夕己が為すわざと知れ」
という言葉がありますが、
道ということは
仏道ともいうし、また仏法とも
いいます。
辞書には
迷いから涅槃へ往く路であり
涅槃の果を求めるための依り処
と、このようにあるのですが、
インドの言葉では「ダルマ」
あの「だるまさん」の達磨です
ダルマを普通には「法」と
訳しますが、
「道」とも訳します。
しかし、
これだけでは言い尽くせないので
あえて訳さずに「達磨・ダルマ」と
そのまま使う場合もあります。
十地経講義の中で
こういう表現があります。
事業が失敗するということが
あるのが人生というのもです。
失敗のないところに
人生はありはしません。
失敗してもそれによって
自分を失わないと。
こういうことがないと、
人生に方向というものが
できないのです。
思考錯誤法ということが
アメリカの哲学
アメリカの思想で生まれていますが
トライアル・アンド・エラーと
エラーというものが
おこるんですけども
しかし、
エラーというものがあるから
それをサクセスに、成功という
ものがあると。
エラーというものを恐れん。
初めから成功したいと
思うなら、やらんに限るんです。
何もせんと。
初めから成功しとる。
失敗はない。
したがって成功もない訳でしょう
だからして
人生に生きとれば、
好むと好まざるにかかわらず
やらされるわけです。
やらされておるのが凡夫なんです
やらされとるなかに
原理というものが出てくるですね。
やらされておることを転じて
やることになるわけです。
内容は同じでなんですけど
やらされておることを転じて
やると。
こういう具合に、
そこへ道というものが
出て来るんじゃないかと
思いますね。
と、
こういう具合に出ているのですが
毎日やっていることの連続
その中に一つの法則を見出す
惰性でやっていることと同じ
ことなんですが
自分から進んであえてやる
そこに、同じことの中に
道ということが見いだせる
ように思うのです。
よく講義の中でいわれていました
「成功したいなら
なにもせんこっちゃ」
「何もせんかったら
成功しとる」
ちょうど、
洛南高校を作り上げていくという
その最中であったので
三浦先生には厳しく聞こえた
のでしょう。
「やれば必ず失敗する。
失敗を恐れて何ができる。」
と激励の言葉を
述べられていたように
聞こえました。
最近になって
特にこの言葉が響くのです
出来事がないといえば
ないという毎日
日々日曜日。
その中に、
同じことの繰り返しの中に
日々新しい発見を見出し
やらされておるという
惰性的な生き方から
やるんだという
そういう生き方を見出していく
それが道に通じるのではないかと
日々考えている、
ということなのです。
今年も残すところ2週間余り
車で走って見ても
何かしらせわしそうな気配です
12月というとクリスマス
お花の飾りもそれらしきものが
使われています
こういう金銀のボールや
白い枝が入るだけで
そういう雰囲気が漂てきます
花の周りを飾るのは
ユーカリの葉
コアラさんの大好物の品です
この葉が高くて
コアラを飼育できないという
ようなことも聞きました
我が家の前の道路
県道69号線
バイパスが出来るまでは
国道24号線で左へ行くと奈良
奈良と京都を結ぶ幹線道路
一本だけですが
まだ美しい紅葉を見せています
この道はいつも混雑していて
朝夕のラッシュ時は特に
渋滞が続きます
でも、
見ているとこの紅葉に
目をやる人はいないようで
イライラした様子の運転です
師走というのに
まだ秋の気配も残り
通りすがりの道では
淡いピンクの山茶花や
純白の山茶花に目を奪われます
一年間のご報告と御礼を込めて
お墓に参りました
掃除をして花をお供えし
好きだったものを供え
般若心経を一巻唱えました
いろいろのご報告やら
現在の心境やら
心に念じていると
何となく心が落ち着き
肩の荷が下りたような気がします
今週はお稽古はないようで
後は暮れにお正月のお花の
アレンジがあるようです。
寒いのでまだ持ちそうです
暫くはこのクリスマスムードの
お花を楽しみたいと思います。
人間80年生きたとして
どれくらいの糞(うんこ)を
するのだろう?
そういうことを調べた方があって
それによると、
約8トンだそうです。
それにしてもすごい量ですね。
4トントラック2台分とは!
東福寺には禅寺としては
最古で最大のトイレ
「百間便所」といわれている
建物があります。
便所とは言えないほどの
立派な建物です
近くによって見ると
段があって中を覗けるように
なっています
こういう便をした壺が
ずらっと並んでいます。
ご不浄とかいって家では端っこに
あったものですが
ここでは重要な役割をしています
室町時代の建物で重要文化財
トイレと言えども
たかがトイレと言えないものです
当寺の排泄物(糞)は貴重な肥料
京野菜には
欠かせない存在だったのです。
それで京都の公家、武家、庶民の
台所を潤したということです。
それからまた、
この糞は肥料となりそれが
この東福寺の大切な収入源に
なっていたということです。
東福寺のお茶です。
茶畑というより囲いのような形で
植えられています。
この東福寺の御開山・円爾(エンニ)は
応長元年(1311)初めて
国師号をを頂かれた方で
聖一国師といわれています。
その方がもたらしたのがお茶の木
それで静岡茶の始祖と言われています
また、博多の祇園祭を始めた方
ということです
疫病が流行った時に
施餓鬼壇を持ち出して
その上に乗り水を撒きながら
疫病退散の御祈祷をしたのが
山笠の始まりといわれています。
紅葉の名所の東福寺
もう終わりかけです
枯れた葉が水路に落ちている姿は
もう秋も終わり
冬の到来を告げています。
たまたま見つけた
「ピラカンサ」の赤い実
見事に咲き誇っています。
もう一つであったのは
わずかに残る紅葉です
この時期には全山を覆いつくす
モミジで真っ赤に染まり
楽しませてくれます。
食べる方は色々取りざたされる
のですが
出る方も大きな役目です
胃腸が弱い私には
心がけていることは
いかにスムースに
お出ましいただくかという
ことなのです
ですから、食物繊維の多いもの
ということが食べるうえで
気にかけていることなんです。
ということもあって
東福寺の東司(とうす)という
トイレの建物が気になっていました
糞についても
踏ん切りがついたような
気がします。
「竊以」と書いて
「ひそかにおもんみれば」と
読むのです。
この「竊」という字も難しい
大きく書くと 竊 となります。
これは古い書体で、
今は「窃」と書きます。
この字は「窃盗」というような
言葉でよく使われます。
この字が気になったのは
先日、読んだ
「弘法大師御遺告」で
その書き出しが、
「竊(ヒソカニ)に以(オモンミ)れば
大法味同じけれども、
興廃機に任せたり。
師資代を累(カサ)ねて、
付法、人に在り。」
という言葉で始まります。
それから、
親鸞聖人がお書きになった
「顕浄土真実教行証文類序」
普通には『教行信証』の始まりが
「竊かに以みれば、
難思(ナンシ)の弘誓(グゼイ)は
難度海(ナンドカイ)を度する大船、
無碍(ムゲ)の光明は
無明の闇(アン)を破する恵日なり。」
と、こういう文になります。
どちらも「竊に以みれば」
という書き出しで始まっています。
この現代語訳は
「心静かに考えてみれば」
とか
「私なりに考えてみると」
というように書いてありますが
どうも納得がいかない
腑に落ちないのです。
そこで、漢和辞典を見てみると
「ひそか」という字も
いろいろあって、
密・私・窃(竊)・陰・間・
微・潜。
これらはすべて「ひそか」です
それぞれ微妙な意味の違いが
あるようです。
密は、深くとざすこと。
私は、公の反対でないしょごと。
窃は、人の目を盗んで
こっそりすること。
陰は、かげですること。
間は、すきまの意で、
表ざたにせぬように
すきまを見計らうこと。
微は、かすか
人の目につかぬよう、
しのんですること。
潜は、水にもぐるように
しのび隠れてすること。
このように漢字では
人間の行いも微妙な変化も
的確にとらえているのです。
こういうところに漢字の
面白さもあるのですが、
経典でもサンスクリットを直訳
というよりも、
玄奘三蔵が苦心して漢字で表現した
経典の方が優れていると思います
といっても
調べて見てもどうも納得する
答えが見つかりません。
思うに、
お釈迦さまが説かれた経典に
対して、
自分の思いを述べる、
堂々と唱えるのではなく
かといって
こそっと言うのでもなく
そこに謙虚に受け止めたことを
述べさせていただくと
というような
ニュアンスがあるように
思うのです。
ですから、
昔の祖師方は自分の意見を
いう場合に
「竊に以みれば」
という書き出しで書かれたのでは
ないかと思います。
しかし、
よくは分からないのですが
この「竊に以みれば」
という言葉は
自分にとっては何かしら
響いてくる言葉なのです。
けれども、
「窃」という言葉、
いい熟語は出てきません。
窃名ーその実がなくてむなしく
誉のみが高い。
窃位ー位を盗む。
徳がないのにその位にいる
こと。
窃盗というのが一番使いますが、
どうもいい言葉が見つかりません。
そこで、あえて
難しい「竊」という字を
使った方がまだしも
意味慎重に考えるのです。
しかし、なんだか
好きな言葉です。
ふと自分の行動を見てみると
もっぱら車
途中、景色は見ているものの
通り過ぎているだけで
見てないようです
点から点へ
その道中は車ということは
点という目的地に着けば
その景色は見ているのですが
見落としている風景もたくさん
あるようです
昔住んでいた京都の吉祥院
というところ
交通量も激しく周りの景色など
見てる余裕などありません
ところが付近を歩いてみると
意外なものが
目に飛び込んできます
「この野菜一体何だろう?」
落ち葉にまみれて
周りは自動車の展示場やら
会社関係が多い処
隣の列には、
これは「白菜」です
その隣は「キャベツ」
では、この葉っぱのものは?
その奥に白いものが
どうやら「カリフラワー」
のようです
子供の頃は「ハナカンラン」とも
言っていたように思います。
車であれば気に留めることもなく
過ぎ去っていた景色
歩いてみると何でもないことが
驚きに満ちた発見があるものです
いつもの背割提
いつも歩く土手の上は
吹きっさらしで風も強い
そこで
土手の下の道を歩くと
またいつもとは違った風景です
何でもないことかもしれませんが
光の関係もあってでしょうか
草花が輝いています
すっかり葉を落とした桜の木
青い空に映えて
枝の造形美が面白く見えてきます
台風で随分と枝が折れたのですが
来年は新しい枝も出て
涼しい木陰を作ってくれるでしょう
なんだか不思議なもので
葉を落とした裸のような姿ですが
青い空と相まってでしょう
いつまで見ていても飽きない
姿をしています
足元にはタンポポの種が
風に吹かれながら揺れている
けどまだ種を飛ばさずに
吹かれるままに
風と一体になっているようです
その下にはまだ
小さなたんぽぽの花が残って
います
落ちた桜の葉ですが
光の具合で真っ赤に輝いています
枯れた木の枝には
カラスウリの赤い実です
この花も面白く
夏には日没後から
甘い香りを漂わせ純白の花を咲かせ
夜が明ける頃には
萎んでしまうという不思議な花
それが終わると赤い実をつけて
次の世代へと引き渡しです
冬は日が落ちるのが早く
背が伸びたように
長い影になります
三歩下がって師の影踏まず
というところでしょうか?
土手に上がってくると
足元に何か飛び跳ねたような
バッタ君です
どうも負傷しています
片方の足が取れています
お腹も傷があるようです
それでも飛び跳ねて行きました
これから寒くなるというのに
まだ、生き残ってたのですね
寒空の中ガンバレ!!
なんでもない風景ですが
歩いてみると
新しい発見があるようです。
先日、鳳凰大学で
歩いて四国をお遍路され
その後、鹿児島から北海道まで
歩いて縦断された方が
省エネを訴えながら
歩くということであらためて知る
ことの多さに驚いた
というお話をされていました。
何時もの道でも
歩いてみると新しい発見が
あるのではないでしょうか。
令和2年はネズミ年
6回目の干支が回ってきます
そろそろ年賀状を、
と考えていたところ
デパートの文具売り場に
年賀状のハンコを見つけた
ふとした一枚が目にとまり
今回はこのゴム印でもって作るか
と買い揃えてきました
早速、押し始めました
まず黒のスタンプで
真ん中にネズミをデザインした
文字を押して、
その下に謹賀新年を押す
黒のスタンプはそれで終わり
次に
黒の色を拭き取り
ねずみ色のスタンプで
周りに押していく
それから次は
こういう色スタンプ台で
少し重なるように押す
このように押して
最後に令和2年の朱を押すと
出来上がりということです。
何時もはネットで注文
後は宛名を書くだけということ
だったのですが
なんだか、小学校での
ゴム版印刷を思い出したようで
ちょっと楽しい気分でした。
ところが
この版どうするの??
と、家内からの問い
そう次のネズミさんはないか?
いや、あるかも?
もしあったとしても
もう作れないか!!
やはり今年限りの
ネズミさんのようですね。