本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

午後六時の宇治の空

2017-09-17 18:21:36 | 住職の活動日記

宇治にも大雨警報が出ました

けれども、外を見る限り

雨はまだ降っていません。

 

 

北の空は雲の流れが速く

不気味な風が吹き出しています。

 

 

西の空も雲がいっぱい、

 

 

渦を巻いたような雲が

流れていきます。

 

 

ちょうど、近鉄特急「しまかぜ」が

通り過ぎてゆきます。

 

これから雨も激しく

なっていくのでしょう。

窓を鳴らす風が吹き出しています

たいしたことにならなければ

いいのにと願うばかりです。

 

 

 

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「伏見・指月・淀城」~秀吉の目指したもの~

2017-09-16 20:46:34 | 住職の活動日記

宇治市民大学、

滋賀県立大学人間文化学部教授

「中井 均」先生の講演です。

矢張りこの題でしょう、

雨にもかかわらず大勢の方が

ご参加です。

 

一概に伏見桃山城といっても

時代とともにその姿があり

解ったようでわからなかった

ことだったのです。

今日のお話しで少しは分かったかな

というところなんですが、

結論から言うと、

「伏見城は重要だったからこそ

ややこしい」

とおっしゃていました。

 

淀城も淀君や鶴丸の城ではなく

もともとは三川合流の要衝の地

豊臣政権の城であったということで

茶々の産所となったことから

「淀君」の名称が生まれた

ということです。

 

伏見城の歴史も

三つの時期があって

秀吉の隠居所として指月屋敷

として作られた第一期

この頃、京都の聚楽第が完成

そして東山に大仏建立に着手

鶴松死去、秀次関白に就任

朝鮮出兵、と続きます。

 

第二期として

聚楽第に変わる指月城として

大きな城郭へと

隠居所から副都としての

機能をもたせ、

宇治川に面し、太閤堤を作り

陸路と水運との交通の要衝とし

伏見の地を都の中心とした

ということです。

 

第三期

慶長の大地震で指月城は倒壊

そこで木幡山伏見城を作り

秀吉晩年の居城とした。

この城の跡地が明治天皇の御陵に

なったということもあって

なかなか調査が進まなかった

ということです。

 

その後この伏見城は

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の

前哨戦で落城消失、

しかし、徳川家康によって修築され

家康、秀忠、家光の将軍宣下が

執り行われたのも伏見城です。

秀吉政権の城を引き継ぐという

狙いがあったということです。

 

大坂城は武家政権としての居城

京都の聚楽第は関白としての居城

しかし

関白秀次の事件後廃城となります。

そこで、

隠居城だった伏見の指月城が

秀吉の居城となり

大坂城を秀頼に譲った後は

この伏見の地に首都としての機能

をもたせたということです。

 

両城制ということ

大坂城を首都として伏見城を副都

という形です。

大坂城には秀頼を置いて

大名の奥方たちを住まわせ

伏見城には秀吉が

大名屋敷を作り、その城下町を

作ったということです。

 

地図を交えながら、

発掘の現場をこなしてこられた

豊富な知識で

聴く人たちを魅了したのでは

ないでしょうか。

頂いた資料と地図を片手に

現地を歩いてみたくなります

そのようなお話でした。

 

今まで感じていた疑問

少しは一つ一つ解けたような

気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋の実り

2017-09-15 20:16:20 | フラワー

台風が近づいているせいか

 

 

空は曇り空、

ときおり風が吹いている。

 

 

打って変わって

これから出番とばかり

シクラメンの葉が元気に顔を

出してきました。

 

 

 

となりの株はこれからです。

 

 

 

今日の花はなんだか

豪華絢爛

 

「村祭り」の歌が聞こえてくる

ようです。

 

 村の鎮守の神さまの

 今日は楽しい村祭り

どんどんひゃらら どんひゃらら

 

 

 

実り豊かな

そのような賑やかな花の装い

 

 

 

まあ、形も面白い

 

 

角度を変えると

一瞬、静かな佇まいも見せ

 

 

 

 

中心の赤や黄色、

青やオレンジと

今年の豊作を表現しているのでは

ないでしょうか??

 

勝手な私の解釈ですが… ?

 

とても楽しい花が活けられました。

 

 

 

 

 

 

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凄いぞケルヒャー!!

2017-09-14 16:14:23 | 住職の活動日記

ジャパネットタカタのテレビCM

ついつい、こはいいぞと

家内が申し込みました。

 

実際使ってみると

なるほど、汚れが飛んでいきます。

 

 

裏のコーナー日当たりも悪く

じめじめとそして苔も生え

どうにも掃除のしようがなくて

困っていたのですが、

ブロックに生えた苔も

この水圧できれいに落ちます

 

 

こんな小さな機械ですが

たいした威力です。

 

最初の頃は水道と直結するのに

黄色いホースについている

附属の金具ではすぐに抜けてしまい

使いにくかったのですが

 

 

水道の蛇口にも黄色いホースにも

この道具を付けたら

とても使いやすくなりました。

 

よく落ちるのはいいのですが

狭い空間、

苔やら汚れやら

そこらじゅうに飛び散り

私も苔の汚れの返り討ちにあい

私も少しですが苔まみれ

 

 

なかなか手の届かない

室外機の上、

拭いても汚れはとれません

しかし、この水圧ですとなんのその

あっという間に汚れも飛んでいきます

 

仕舞う時も

 

 

こんなにコンパクトに収納できます

そして我が家では

 

 

収納ケースも買い

ここに鎮座ましましています。

 

寒くなるまでに

次は窓の網戸に挑戦です。

まあ、なんとも重宝な代物です。

 

 

 

 

 

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木田安彦 木版画展

2017-09-13 21:21:50 | 住職の活動日記

上京区の堀川通りから下立売通りを

東に入った所に「中信美術館」は

小さな佇まいをみせています。

建物の感じはちょうど、岡崎にある

「細見美術館」と同じような造り

京都らしく間口は狭いものの

中は結構奥行きがあります。

 

 

立派なパンフレットを頂きました。

なにせ入場無料というのが有り難い

 

今回のお目当ては

「朝鮮通信使」を描いた版画と

「東寺の弘法さん」の風景です。

 

拝見しながら

お寺さんも多く、また

色々のお不動さまの姿の多さにも

驚きました。

 

 

赤・青・黄の三不動とか

その外沢山のお不動さまが

いらっしゃいます。

 

 

東寺の弘法さんの市です。

たぶん広い境内なので横使いかな

と思っていましたが意に反して

立て使いの構図です。

金堂前の風景です。

 

 

 

色々の市が立ち並び

売る人、買う人の表情も豊かです

 

 

右端の子は飛び降りようと

ためらっているのでしょうか

目の付け所がおもしろい!

 

圧巻の朝鮮通信使の版画

 

 

縦170センチ、横340センチの

4曲の屏風仕立てです。

 

たぶん、思うに

右端の船に乗って鞆の浦に着いた

そこから左へ

 

 

その一行の姿も丁寧に彫られていて

その華やかさが伝わってきます

 

 

 

京都を通り、

屏風では左から今度は上へ上がり

右へ江戸目指すのです

そして右端の上には

 

 

江戸城へ入っていく一行の姿

それを先導する奴さんの姿

一人ひとりの表情がとても温かく

表されています。

 

拝見していてホッとするような

この方のお人柄がにじみ出てくる

そのような版画です。

とても心安らぐ版画の数数

 

そのような話を友人としていたら

木田さんは東寺にもおられて

木村澄覚という管長さんの頃だと

というと、

私も居った頃と重なります

私よりも4つくらい上の方

たぶんすれ違っていたかもしれません

版画の通りとてもいいお人柄で

お宅へ寄せていただいた時も

とても美しく整理整頓された

工房が印象的だったということです

 

 

 

中信美術館は京都中央信用金庫が

運営している財団のようです。

 

展示会は10月8日まで

   ですよ!

 

 

 

 

 

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蝸牛

2017-09-12 21:34:05 | 漢字

 でんでんむしむしかたつむり

おまえの頭はどこにある

やりだせつのだせめだまだせ 

 

という歌も

最近は歌わなくなりました。

そういえば今ごろはあまり

見かけないようです。

 

ふと見かけたアジサイ

 

 

 

ところどころ葉っぱが

食べられたような跡がある

何の虫だろう??

 

 

発見!!

 

 

カタツムリがいるのです。

梅雨時になると

決まってどこから来るのか

雨にアジサイ、カタツムリは

セットのようなものです。

 

 

歌のように、気配を感じると

めだまを引っ込めてしまいます

 

 

一寸間を置くと

またぞろ、めだまか、つのか

じんわりと出してきます。

 

カタツムリも漢字で書けば

「蝸牛」音読みでカギュウ

訓読みではカタツムリ

子どもの頃にはでんでん虫と

いっていました。

この言葉も最近は通じない

のではないでしょうか。

 

あたまを引っ込めたりする

ところから、

でよでよむし、がでんでん虫に

なったとか、

 

蝸角の争い、蝸牛角上争

という言葉もあります。

カタツムリの角の上にある二国が

争ったことから

きわめて小さな争いという

意味になったということです。

 

「冎」 カ、わけるという文字が

もともとの意味で、

そこから、サンズイが付けば

「渦」うず、という字になり、

シメスへんが付くと「禍」わざわい

という字になります。

神の意志から歪曲された

曲げられたということで

わざわい、ふしあわせという意味

になったようです。

「過」しんにゅうが付いて

行きすぎる、から度をこす、あやまち

という意味になり、

「過猶不及」

過ぎたるは猶及ばざるが如し

という言葉も生まれました。

 

この「咼」ということには

まげる、まがる、というような

意味を含んでいるようにも思います

 

周りを見渡せば

 

 

栗の実も青く顔をだし

これから美味しくなっていく

様子です。

 

 

柿の実もこれから熟して

美味しくなっていくことでしょう

 

 

そして、南天の実も

これから真っ赤に熟れていく

 

季節の移り変わりを肌で感じます。

 

 

 

 

 

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お寺にルンバがやってきた!

2017-09-11 18:09:43 | 住職の活動日記

法事のお経が終わって開口一番

「ルンバってしってますか?」

若い子がにやっと笑うと

「そうですか。

ルンバという外国のお手伝いさんが

やってくるのかと思ってました」

それから、ルンバの話が持ちきりで

ルンバの賢さを偉く熱心に

語っておられるご住職です。

 

ここのご住職、

檀家の方とも親戚付き合いのような

そんな親密さを感じます。

お経の途中で、それも「理趣経」

(この難しいお経の最中に)

「お焼香回しますからな、

おもたいでっせ、大丈夫ですか

手を放しまっせ!」

そしてやおらお経をつづけられる。

最初に言っておけばいいのに

と思いつつも、

これがこのご住職の人柄なのかも

 

市内とはいえ、

見わたす限り山また山、

そういう地域であればこそ

気取らないのがいいのかも

しれませんが、

ゆっくりした時間が流れます。

朝から夕方まで一日を費やして

ご法事を勤めます。

 

 

お墓はもう秋の気配

ここでも、お経の途中で

「水をバサッとかけて線香立てて

順次お参りしてくださいや」

なんだか、

最初に段取り言ってから

お経に集中したらと、

つい、坊主の気持ちがわき出てくる

 

 

お墓のさくらも紅葉しかけて

奥には夏のサルスベリが花を残し

季節の移り変わりを感じさせます

 

 

やはり、カマキリも前足を重ねて

頻りに拝むような格好をしている。

 

迎えのバスで市内のホテルまで

初めて顔を合わす方やら、

お互いの関係を言いつつ

施主さんからは、

母の昔の写真をアルバムにして

またそのルーツを調べたこと等

紹介されました。

ゆっくりお斎を頂いて

また家まで送ってもらい、

そこでまたお茶を飲んでと、

夕方まで法事の席は続く

 

最近ではこういう形で

故人を偲ぶということは

希薄になって来ているようです。

長い時間と思いつつも

こういうことが本当の法事のあり方

ではないかと思い知らされました。

 

日曜日ということもあって

通りすがりの田んぼでは

 

 

総出で稲刈りの様子です。

 

 

昔と違って今はどこでも

コンバインが入って

機械の後ろからは袋詰めされた

お米が出て来ています。

 

途中には、

やはりこの地域は歴史のある所

 

 

阿弥陀如来の磨崖仏もあり、

 

 

横には六地蔵さまもあり、

天皇さんの御陵もありということで

その歴史の深さを感じます。

 

ご法事の原点を見る思いで

一日ゆっくりと過ごさせて

いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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しずかに・ゆっくりと・しなやかに時に力強く

2017-09-08 20:33:14 | 住職の活動日記

静かに座り息を整ええてゆく

呼吸に合わせ身体を動かして

やわらかく体を整えて

時に保持するというポーズで強靭に

なんとも気持ちのいい時間

ゆるやかなポーズながらびっしりと

汗がにじんでくる。

 

先生も3人ほど変わり

今回の先生は職人さんのような

力を入れるポイントを教えてくれる

同じポーズながら汗の出方が違う

筋肉がプルプルとふるえてくる

ヨガのポーズも柔軟さだけではなく

その柔軟さを維持するためには

強靭な筋肉が必要となってくる。

 

ヨガと言いますがインド的発音では

ヨーガとなります。

インドではEとOは長母音ですから

デビ夫人も正確にはデービとなります

女神という意味です

男の神さまはデーバといいます

お釈迦さまのいとこにデーバダッタ

という人もいました。

 

ヨガということも日本では

瑜伽(ゆが)と音写されました。

真言宗でも三密瑜伽という言葉も

あります。

直訳すれば相応ということです。

息を整え心を一点に集中して

止観の行を修して

本当の真理と相応するということが

本来の意味です。

別に、サーカスまがいのポーズを

する事がヨーガではないのです。

 

雑念をはらい三昧というか定に

入っていくには

先ずは呼吸を整えそれに体を

合わせていくと

ただ座るよりかは早く入れるようです

 

今読んでいる「唯識」という経典も

正確には『瑜伽唯識』ともいいます

また、『瑜伽師地論』という経典も

あります。

唯識という人間心理の微妙な動きは

三昧に入ったデリケートな意識で

分析していかないと

わからないということでしょう。

 

『華厳経』というお経に

有名な一句があります。

「またこの念をなさく。

三界は虚妄(こもう)にして、

ただこれ心の作なり」

これが『十地経』では

「但是一心作」

という短い一句で表現されます。

全てのことは人間の心が

作りだしたものである。

ということでしょう。

 

自分が生まれる前から

阿蘇山はあり白川もあり

すべてのものはもうすべてそろって

いる所に自分は生まれてきた

自分が死んだ後も周りのすべては

永遠に続いていく、と

普通には考えるのですが、

阿蘇山も白川も自分の心が

造りだしたものである

ということです。

そして自分が死ねば

阿蘇山も白川もなくなる

というのが唯識の考え方です。

 

常識的にはそんな馬鹿な!!

と思われますが、

事実として

本蔵院を次の住職に譲った

すると、同じ本蔵院なのですが

もう、

自分がいた本蔵院ではないのです。

自分が見ていた本蔵院ではない

このことは、実感として

感じとることが出来ます

同じ本蔵院でも

100人いれば100通りの本蔵院が

あるということです。

阿蘇山といっても

見る人感じる人によって

それぞれ違った阿蘇山がある

ということになります。

 

まあ、ヨガということから

それてしまいましたが

ヨガということもスポーツという

一面だけではなく

本来は人間の心の問題を

大切に取り扱っている

ということなのです。

 

 

 

 

 

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移ろいゆく季節

2017-09-06 18:07:06 | 住職の活動日記

朝夕めっきり涼しくなりました。

昨日からの雨、今日一日曇り

気温も30度を越えないようです。

 

草花にとっても

これから秋を迎え次第に冬支度

という草木もあれば

これから冬に咲く花とかの準備

それぞれの装いです。

 

 

庭の山法師、まだ緑色ですが

その色が力を失くしてきたような

 

 

 

もう、葉の働きを終えて

次第に枯れ行く葉もあります

 

 

今年は虫もつかず

自然な形で葉も枯れていくようです

 

ところが玄関先のシクラメン

 

 

 

紫色の小さな葉を

伸ばし始めています。

触ってみると球根もずいぶんと

大きくなってきているようです。

 

 

こうやって

新しい葉を出した株もあります。

シクラメンはこれから寒さに向かって

花を開いていきます。

 

それぞれの働きがおもしろい

楽しく見守っていきましょう。

 

ということは

季節の変化が草花に命を吹き込み

また働きを終えさせ

次のいのちに備える準備

私たちにとっては

過ごしにくい時期でもあります。

寝冷えしたり、風邪ひいたり

ここのところ喉の調子がおかしい

やはり私たちにはこの時期

要注意ですね!!

 

 

 

 

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「巧」という字

2017-09-05 21:49:22 | 漢字

「巧」普通には、コウと読みます。

たくみ、じょうずなこと、

また反対に、

いつわりという意味もあり

くわだて、たくらみ、という意味も

面白いのは

心に誠がなくて口先だけうまいこと

という意味もあります。

 

ところが仏教では読み方も

「ギョウ」となります。

また、とても意味深い言葉になります

熟語としては

「善巧方便」ゼンギョウホウベン

という言葉で出て来ます。

 

方便ということも

一般的には「嘘も方便」と使い

それが方便は嘘だということにも

なってしまっているようです。

 

方便波羅蜜という

十波羅蜜の一つにもあり

方便は智慧として使われます。

六波羅蜜の布施・持戒・忍辱・精進

禅定・智慧の次

第七番目が方便波羅蜜で

願波羅蜜・力波羅蜜・智波羅蜜

ということで十の波羅蜜になります

 

安田先生は「十地経講義」の中で

ウソを本物にするのが

方便の智慧ではないかと

とおっしゃっています。

ただ真実だけではやせ細ってしまう

大乗仏教を開いてきたのは

方便を開いたということ

大乗の大は大方便の大とも

述べておられます。

 

巧(ギョウ)ということも

辞書の中には

衆生を教化するのにその方法手段がの

巧みなことをいう、とあります。

 

「釈迦牟尼は馬鹿に譬が上手なり」

 

という川柳がありましたが

お釈迦さまは巧みに譬を用いながら

人びとを導かれたのでしょう。

 

巧という字には

巧みという意味もあれば

口先だけで誠がない

という意味もあり

なんだか、

方便という意味にも

嘘が方便であると取られる

一面もあれば

真実という味気ないものに

豊かに色づけしてその巧みな

表現という意味もあり

正反対の内容を持っているのは

非常に面白いと思います。

 

 

 

 

 

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