「おっくう」ということ、
面倒くさい、というような意味
この言葉だんだん身に堪える
ようになりました。
わりとまめな方なんですが、
お礼の手紙でも、
明日にでもと思っていると
あっという間に時は経ち
遅れた言い訳やら、
また出しそびれてしまうと
とても心に引っ掛かるものが
残ってしまいます。
この、森信三先生の言葉、
人間は億劫がる心を
刻々に切り捨てねばならぬ。
そして齢をとるほどに
それが淒まじく
ならねばなるまい。
とおっしゃっています。
三浦先生もこの言葉を
自分の宝物のように
常に口ずさみ実行されていました。
わかっているけど
なんだかんだ理由をつけて
先延ばしにしてしまい
ついには忘れるか
それをいいことになかったことに
してしまいがちです。
「おっくう」という言葉
漢字で書くと「億劫」となります。
億に劫という字が付いています。
なんだか仏教語のような
やはり、
「劫」ということは時間の単位で
インドの言葉でカルパといい
とても長い時間のことを表します。
一説には、
40里四方の石に100年に1回
天女が降りてきて舞を舞い
その衣で擦って
石が無くなるのを1劫といいます
まあ普通では考えつかないような
長い時間ですが、
その劫が億あるというのですから
想像がつかない長さです。
そこから、「億劫」ということは
時間がかかりすぎてやりきれない
ということで、面倒くさい
ということになったようです。
インドという国の発想でしょうか
数の考え方が凄い
経典のなかには
五百千億那由多阿僧祇というような
数を数えるのです。
数字というのは私たちにとっては
数を数える道具ですが
インドの人にとっては
数を愛するというか
便利だから
数を使うというのではなく
数自体がおもしろく
そうなってくると数が舞う
数が歌うというような
学問として数をあつかう
ということになるそうです。
「0」の発見はインドですが
インドでは数を愛し、
「0」から無というような思想を
生み出した。
ところがアラビア人は
それを経済に使って道具として
使いこなした。
ということを聞いたことがあります。
億劫ということも
本当は数としてのいい言葉だった
それが、いつの頃からか
まったく別な「面倒くさい」という
意味に変わってきたようです。
それはそうとして、
億劫という数も自分のこととして
考えると、
あらゆることを「億劫がらずに」
軽やかにこなしていかなければ
ならないように思います。
そして、
年とともにそれがますます
億劫がる心を切り捨てて
いかなければならない
ということです。
肝に銘じておかなければ!!
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