安田先生は若い頃
キリスト教も勉強されて
やはり、仏教との比較も
しながら、その宗教の
違いも説いていかれます
ここの講義は
「厳しさ」ということから
宗教性の違いを
述べていかれます。
この講義のなされた時が
昭和49年ですから
田中角栄さんが首相の時
この頃も、石油問題が
起こっていた時です
「イスラム、それから
ユダヤ教ね。
同じ場所に発生してます。
一方はユーフラティスの
文化と一方はナイルの文化
との間に挟まれた地帯。
緑があるのはその二つしか
ないんです。
ナイルの河畔と、
ユーフラティスの河畔と。
だからあの地区というのは
二つの勢力の
大きな大国の間の争奪戦。
それがあのユダヤの
旧約聖書が代表しとる
特異な歴史が出でいる
所以です。
あの時、両方に攻められて
両方の力の中に圧迫されて
いた民族を、
激励するのが預言者です。
預言者の文化です。
それはあの厳しい世界に
生きたんだ。砂漠地帯に。
向うでは、
自然を愛するというような
ことはありえないんです。
自然は何か人間をね、
恐怖するね、
怪物なんだから。
山の格好から見ても。
なんというか、
ちょっと形容してみよう
のないほど、すごい、
形態を持っているんです。
砂漠の山というのは。
『出エジプト記』という
のがありまして、
モーセがですね、
イスラエルの民族を
引き連れて、ヨルダンに
入っていくところで。
モーセの十戒ですね
あれは仏教の戒と違って
それは神律ですね。
神の声という言葉ですから
あの、シナイ半島なんかの
山を見ると、
砂漠地帯で、それは、
水もなければ草もない
ところです。
そこで、
憧れの世界というものを
「乳と水の流れる土地」
という言葉で表しとるんです
水があると草が生える。
草が生えると牧畜が出来る
というわけで、
あれが向こうの浄土という
オアシスを表す言葉です。
乳と水の流れる土地
というのは
人間の渇望を結晶した言葉
です。
その憧れの土地を
もう、絶望してですね、
もうこの苦しさには
耐えられないと。
ここでしんでしまおうと
絶望です。
その民族を引き立てる
というときには、
「何言うか」
という以外にないんです
甘い言葉で約束するわけに
はいかんのです。
𠮟り飛ばすわけです、
神の権威で。
それで、あの、
民族の絶望から救った。
人間が自分に絶望して
しまうんだ。
それを、なんていうか
立ち上がらせる厳しい言葉
そこから厳しさが出てくる
とてもそりゃ
仏教なんかで考えられる
ようなものじゃない。
まあ、注意してみれば
分かるように、
キリスト教が伝播した
ところは、
それ以前にあった古代文化
が全体根こそぎ消えて
しまった。
それはもっといえば、
味方でないものは
敵なんですよ。
敵でないもの、その中間の
友達というものは
ないんです。」
まあ、こういう話しが
続きます。
それであらためて
イスラエル、出エジプト記
預言者、十戒、キリスト、
イエス、などなど
調べてみると
知っているようで知らない
ことばかりで
現在の問題の歴史的背景を
少しばかり理解できる
ような気がします。
宗教ということも
起こったその歴史、場所
時代ということで
随分と変わってくる
もので、私たちが考える
宗教ということは
一概には言えないのです。
やはり、知り、理解する
ということが必要な
気がしますが
相手の立場に立って
理解することは不可能な
気もします。
難しい問題です。
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