「 DA SEIN 」 ( ダーザイン )
というドイツ語です。
哲学用語で 「 実存 」 という意味です。
もう一度詳しく調べてみようとネットで検索すると、
「 DASEIN 」 というロックバンドが一番にヒットしました。
と一瞬びっくりです。
どういう意味で DASEIN という名前にしたのかわかりませんが
えらく難しい言葉をロックバンドの名前にしたものです。
そして、このバンドのファンを 「 ザイナー 」 と
いうのだそうです。
DA SEIN 英語では THERE BING となります。
DA というのは 「 ここ 」 という意味です。
哲学的には、 「 今 」 「 此処に 」 「 誰か 」
として在る、ということになります。
SEIN というのは 「 在る 」 ということ。
有るというのは、今有る、ここに有る、誰かとして有る、
ということです。
話はそれますが、
「 十戒 」 という映画が昔ありました。
その中でモーゼが神に会うという場面があります。
モーゼが神に 「 あなたは誰か 」 と尋ねるのです。
すると、神の声として、
「 I AM WHO I AM 」
という言葉が響いてきます。
その時の訳は、
「 我は在りて在るものなり 」
と出ていました。
やはり、哲学でもキリスト教でも
存在というか実存、在る、という概念が
中心になってくるようです。
そして、在るということ、存在という概念は
仏教の中心問題でもあります。
今読んでいる 「 唯識 」 というお経、
その最初の文にも、
「 異熟 」 ( いじゅく ) 「 思量 」 ( しりょう )
「 了別境 」 ( りょうべっきょう )
という聞きなれない言葉がでてきます。
人間の意識を三つに分けたものです。
この中で 「 異塾 」 という、
異なって熟する、このことが
先ほどの 「 DASEIN 」 ということにあたります。
唯識というお経は面白くて魅力的なのは
仏とか如来という立派なものから出発していないのです。
どうにもならない、苦悩している、今いる自分という
具体的に現存する自己、
そこをまずおさえて、そこから出発している
ということがあります。
異熟、異なって成熟している。
これはただ有るというだけでなしに、
成ってきたもの、という意味もあります。
前とは異なった状態で今結果した、成熟した、
と同時にまた異なった状態に移っていく、という。
赤ちゃんを見ていると
日々とても速いスピードで成長しているようです。
口にも態度にも具体的には出てきませんが
ありとあらゆる情報をインプットしているのでしょう。
今は母親の両親のもとで育ち、
やがて、ひと月を過ぎるころになると、
今度は親子3人での生活が始まります。
その時その時の環境が変わっていくわけです。
その折々の環境を受けながら
成長していくわけです。
その環境に合わせた自分になっていきます。
環境に合わせて、異なって成熟していく、
そういうことを異熟とあらわしたのでしょう。
弘法大師も
「 心境冥会して道徳玄存す 」
( しんきょうみょうえ どうとくげんぞん )
と述べておられます。
心と環境は別物ではなく、
心によって環境も作り出すし、
また、環境によって心は作られていく、
心と環境は切っても切り離せないものです。
今、現実に自分が在るということは
振り返ってみると、自分の歴史は
いろいろな環境によって、その影響を受けつつ
異なりながら成長してきたし
またこれからも、今の自分と違って
成熟していくと思います。
赤ちゃんの寝姿を見ながら
ふと、考えてしまいました。
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