尊敬と謙虚と 満足と知恩と
時々 教えを聞くこと
これが こよなき 幸せである ( 釈尊 )
お釈迦さまの言葉です。
お釈迦さまの教えは実に簡単です。
教えそのものは、簡単なのですが、教えを受け取る私たち ( 人間 )
が、難しいのではないでしょうか。
それは、すべてのことに 『 自分にとって損か得か 』 または
『 自分にとって都合がいいか、都合が悪いか 』
そこらで、どうも判断が狂ってくるようです。
自分が、という 『 我 』( が ) がすべての価値判断を狂わす
基になるように思います。
すなおに、人に対して尊敬と謙虚であれ、そして満ち足りた心を持って
恩を知り、お寺参りしたり、会合でいろんないい話を聞いたりすること、
これが本当の幸せである。 ですよネ! しかし、
なぜかしら、この反対の心ばっかりで暮らしているのですね。
以前、「 そのまま 」 と 「 このまま 」 のことを書きましたが、
人間本来、「 そのまま 」 でいいのですヨネ。ところが、「 このまま 」 と
でいいと、俺がという心が顔を出すので問題が起こってくるのかな?
もう一度、お釈迦さまの言葉を味わって、吟味し直してみるのも
大事なことではないでしょうか。
余談ですが、
インドの言葉では、AとB、というとき、AとBと、という表現をとります。
それで、尊敬と謙虚と、というように 「 と 」 が二つはいっています。
時々 教えを聞くこと
これが こよなき 幸せである ( 釈尊 )
お釈迦さまの言葉です。
お釈迦さまの教えは実に簡単です。
教えそのものは、簡単なのですが、教えを受け取る私たち ( 人間 )
が、難しいのではないでしょうか。
それは、すべてのことに 『 自分にとって損か得か 』 または
『 自分にとって都合がいいか、都合が悪いか 』
そこらで、どうも判断が狂ってくるようです。
自分が、という 『 我 』( が ) がすべての価値判断を狂わす
基になるように思います。
すなおに、人に対して尊敬と謙虚であれ、そして満ち足りた心を持って
恩を知り、お寺参りしたり、会合でいろんないい話を聞いたりすること、
これが本当の幸せである。 ですよネ! しかし、
なぜかしら、この反対の心ばっかりで暮らしているのですね。
以前、「 そのまま 」 と 「 このまま 」 のことを書きましたが、
人間本来、「 そのまま 」 でいいのですヨネ。ところが、「 このまま 」 と
でいいと、俺がという心が顔を出すので問題が起こってくるのかな?
もう一度、お釈迦さまの言葉を味わって、吟味し直してみるのも
大事なことではないでしょうか。
余談ですが、
インドの言葉では、AとB、というとき、AとBと、という表現をとります。
それで、尊敬と謙虚と、というように 「 と 」 が二つはいっています。
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