本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

等持(とうじ)

2015-08-01 21:35:10 | 十地経

「等持」という言葉、

普通の辞書にはありませんので、

やはり仏教だけの言葉のようです。

京都には「等持院」というお寺もあり

この寺のある地名は等持町と、

 

「三昧」という言葉も仏教語ですが

この言葉は普通に

「寿司三昧」とかいう店もあり

また、ゴルフ三昧とか贅沢三昧

高野山には「金剛三昧院」という

お寺もあり、

念仏三昧、とか

理趣三昧という事は真言宗で

いうようです。

 

インドの言葉サンスクリット語で

サマーディを三昧と音写したのです。

この三昧を訳すと「等持」となります。

三昧も等持も音写か翻訳の違いです。

意味は「心を一か所に置く」ことです。

つまり精神統一、精神集中ということです。

 

なぜ、「等持」

等しい、持つ、と訳したのでしょう。

仏教のなかには面白い言葉が

たくさんありまして、

これも人間の心を分析したのですが、

「掉挙」(じょうこ)と「惛沈」(こんじん)

人間は心がウキウキしているか、

暗く沈んでいるか、の

どちらかのようです。

掉挙はウキウキしてハイの状態

惛沈はやる気がなくだる重、といった

心が沈んだ状態、

 

それで、等持の

「等」は心が掉挙、惛沈を離れて

平等で安らかということで、

「持」は心を一つのことに

留めておく、持しておく

ということです。

 

人間何かに集中しているときは

本当に周りの状況に左右されない

ものです。

 

以前、三浦先生が

東寺の北門のところを走っている

列車を見て、

「あれは何か?」

と尋ねられたことがあります。

「あれは新幹線ですよ!」

驚いておられましたが、

洛南高校を作るという時には

学校しか見えてなかったのです。

それほど集中しておられたのでしょう。

 

それから、この「三昧」「等持」と

同じような言葉に、

「定」(じょう)「禅」(ぜん)ということもあります。

仏教の根本概念です。

辞書を引くと、

とても詳しく厳密に分析してあります。

 

三昧といっても

集中することには

違いないかもしれませんが、

パチンコ三昧と念仏三昧

とでは、明らかに心の状態が

違っているのです。

 

弘法大師も亡くなられたとは

言わないで、

「入定」(にゅうじょう)したと、

定に入られたのだ、

とこういうふうに言います。

やはり、

広く「定」というのか

細かく分析して三昧、禅というのか

 

何度も読み、書き写してみても

ここまで厳密に言うか、と

まして、その境地に入ってない

私には如何ともしがたい

理解できないし、

心境にもなれないので、

これほどたくさんの人間の

心境があるものだと

驚くばかりです。

ノートに書き写すだけでも

十数ページにもなるのです。

 

今の十地経のなかでも

繰り返し繰り返し出てくるので

また、折に触れて

理解が進んだらお知らせします。

 

 

 

 

 

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