本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

十地経講義雑感

2023-06-26 18:01:16 | 十地経

私が東寺にお世話になったのが

昭和42年

その時にはすでに講義は

始っていました

その頃は先生もお元気で

一泊二日という日程で

講義がなされていました

「これは序文、あなた方も

早大分前の、

十年も前の話で、」

 

という一文が出てきました

この講義は昭和48年6月

ですから、10年前というと

昭和36年頃から始まった

のではないでしょうか

それから途中先生が

ご病気になり中断

その第一回の講義が

昭和46年3月28日に始まり

その冒頭が

 

「ちょうど4年ほど

この会も間ができましたん

ですが、

今度もまたこの東寺で

相応学舎の講義をここで

始めていただくことに

なりました。」

 

とあります

そして

こうやって講義録として

まとめられ、

その講義が第39講まで

昭和56年11月28日が

最後の講義となりました

約10年講義が続いたわけです

 

今回の講義では

珍しく人の名前が出てきます

 

「岩橋君のまだ青春時代に

始った会や。」

この人の名もどういう訳か

「いわばしくん」と

濁って読んでおられました

それから

 

「この会で縁起の話を

大分していたが、

仲野君が来てね、

今日は来とらんか知らんけど

『先生、もうそこらで

第二章へ行かんならんと

違うか』というんだ。

話が長すぎるじゃないかと。

いつまで縁起の話を

しとるんだ。

まあ

聞く方はそうかも知らんけど

僕はまあ、ともかく

外に移るような気持ちが

せんのや。

縁起の道理というものの

意味の深さがね、

味わえば味わうほど

味が出てくるんだ。」

 

この仲野先生も

私が見た最初の印象は

お酒も入り、少々足元も

おぼつかない様子で

入ってくるなり

堂々と一番前の席に座り

するとこくりこくりと

居眠りを始められました

「突然、

先生今日は帰りますわ」

といって座を立たれました

 

なんと失礼な

と思っていたのですが

先生が

「仲野君はまじめやからね

酒でも飲まんと

おれんのでしょう。」

と言っておられました

 

先生の亡きあと

この十地経の講義を

受け持たれたのが

仲野先生です

講義を聞いていると

やはり、

安田先生の目に狂いはなく

仲野先生が正しく

受け継いでおられました

 

講義に対する姿は

いのちがけという感じが

するのです

足元はよちよち

思い余って車椅子を準備

玄関から部屋まで乗せて

行くという

足袋も二足準備され

道中用と講義用と

講義の前には履き替えられ

 

講義はじまると

その姿は大きく見え

荘厳ささえ感じさせる

ものでした

若い頃聞法されている

その求道心を彷彿とさせる

ような態度でした。

 

安田先生も

ご自身の経験や自分の事は

ほとんど語られません

自分のことをいっても

仕方ないだろうと

やはり、

法ということを中心に

経典に沿って語るという

そして

味わうというように

繰り返し繰り返し

でありながら

古さを感じさせない

同じ話でも日々に新しく

感じるような話で

それこそ

歩みの中から話されるので

同じ話に見えて

実は歩んでおられるので

新しい話のなのです。

 

まあ、読んでいる私が

読むたびに新鮮さを感じる

話しなので

それも不思議な話です。

 

 

 

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