人間の五感の割合は
やはり視覚が87%大部分です
次が聴覚の7%、そして臭覚3.5%
触覚が1.5%で味覚が1%
ということです
意外だったのは味覚です
器官としての働きが一番下
しかし、
今はグルメとかテレビの番組も
料理に関する番組はやたらと
多いように感じます。
今の人たちの感覚を割合でいうと
視覚は一番としても
次は味覚でしょう
聴覚は二番で7%と言いますが
自分のことをしゃべる人は多く
人の話を聞かないのでは
ないでしょうか
そして臭覚も触覚も衰えている
ように感じます
動物たちは臭覚と触覚で
相手を認識し撫でること愛情を
感じています。
以前は「人の話を聞く」という
教育が盛んでしたが
今は自分の意見を言うということ
に重点が置かれているようです。
『十地経』でもそうですが
やはり、聞法といって
法を聞くということが
まず最初の修行でもあるし
三昧を得るただ一つの方法です
自分探しということを
よく言いますが
本当は、探しても醜い欲深い
自分勝手な自分しか出てきません
それで、
自分の都合に合う人を求めて
そういう人に出会ったとき
自分探しが出来たと思うのですが
ただ、好都合な人に出会った
ということです。
「声がお聞きしたくて」
と電話がありましたが、
やはり声を聞くということは
大事で、文章を読むのと違った
声の高さとか迫力とか
同じ言葉でも聞けば迫ってくる
ものがあります
聞法ということも
声を聞くということで
それも自分の欲を克服した
自分に打ち勝った人の話
道を見つけた人の話を
聞かなければ
聞法ということにならないと
思います。
『十地経講義』のあとがきに
「安田先生の語られる語調を
そのままにできるところまで
残しておいてよかったと思える
ご感想が多いことに
気づかされます。
どうしても、編集者たちの頭で
整理してしまいたいという傾向を
正してくれるように思います。」
とでてます。
安田先生ご自身は一つも本を
書かれなかったのです
話されたことをテープに録音して
それを言葉を文字にしていかれた
のですが、
やはり、あのとか、そのという
言葉は略されて文章として
まとまりのよいように編集され
きれいというか正しい文章に
なってしまったのです。
この『十地経講義』だけが
ただ一つ、先生の一言一句
そのままに文字にされました
そこには本当のご苦労があったと
おもうのですが
私にとっては
その時の講義を思い出しながら
読めるということが
何よりもうれしいのです
面白いもので、座る席順も
言わずもがな決まっていて
三浦先生はあそこの席、
まあ、安田先生に一番近い場所
でしたが、
私たち学生は末席の一番後ろで
うろうろとしていて
分からないなりにただ座っている
ということでした。
ということもあって
この講義を書写していると
不思議とその光景が思い出され
声が響いてくるような気がします
今でも書き写すということは
その声の響きを聞きながら
書くという、
私にとってはそれが聞法です。
読めば分かるということも
ありますが
声を聞くということの
大切さもあります
また、憧れていた人の声を聞けば
声を聞けたということで
内容まで理解できなかった
ということもあります
お会いしただけで胸が一杯になり
聞こうと思っていたことの
なにも聞けなかったということも
あります。
視覚ということが
一番大きな割合を占めますが
もう少しせめてもう少し
10%くらい上がればいいのでは
と思います。
せっかく耳は二つあるのですから