阿耨多羅三藐三菩提
アノクタラサンミャクサンボダイ
と読みます。
般若心経とか読んでいると
目にする言葉です。
読めても宙に書けと言われると
すっとは書けないのでは??
書家の金沢翔子さん
「涙の般若心経」では筆順も
間違えずに何度も何度も
涙をこぼしながら書写された
般若心経は有名です。
筆順を調べて書いてみましょう!!
書いてみると新たな発見も
また、お経の言葉が身近にも感じます。
インドの言葉、
anuttara-samyaku-sambodhi
を三蔵法師は訳さずにそのまま
音写されたのです。
阿耨多羅三藐三菩提の「三」は
数字の三ではなくsamの音写です。
辞書によると、
無上正等正覚、無上正真道と
訳します。
この上なく優れ正しく平等円満である
という仏さまの悟りの内容というか
仏さまの仏様たる所以を表しています。
私たちが見かけるお経には
必ずこの阿耨多羅三藐三菩提は
入っています。
大乗経典であれば入っています。
この言葉が入っているから
大乗経典であるともいえます。
4月8日はお釈迦さまの降誕会
お生まれになると七歩歩いて
「天上天下 唯我独尊」と
宣言されたとお経には出てきます。
一大事がありお釈迦様は
出家されます。
人生の一大事、死しても悔いない
そういう問題にぶつかられた。
人間にはいろいろな興味というか
関心があります。
お金であったり、仕事であったり
名誉とか …
そんな中で、ではいったい
最終的に究極的な関心事は
人として生まれた意義は、
このことに答えられなかったら
人生100年生きても
むだに空虚に過ごしたというだけです。
お釈迦さまの七歩歩まれた
それは人間としての世俗的な
関心事を超えたということでしょう。
出家の動機には
最終的に人間の問題を解決
したいという願いがあったのです。
ティリッヒという方は
ultimate concern
アルティメイト・コンサーン
究極的関心と言っておられます。
阿耨多羅三藐三菩提ということも
この人間にとっての
畢竟ヒッキョウ・究竟クキョウという
問題に答えたものだと思います。
私たちは忙しく欲得に関心ばかり
ですが、
心の中には誰しも
この究極的関心事が眠っている
その心が阿耨多羅三藐三菩提だと、
ただ一つそのことだけを心に抱いて
出家されたのがお釈迦さま
今日はそのお釈迦さまの誕生日です。
阿耨多羅三藐三菩提
心静かに書写してみませんか
分からなくても何かしら
心の底に感じるものがあるのでは … !!
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