子どもたちは何でもないことに
興味を持ち、
それを遊びにするものです。
お寺の境内や公園でドングリ集めに
集中したり、
今日は薄暗くなりかけた公園で
「松ぼっくり集め」を楽しんだり
まあ、それでも集めてみると
その形は何とも絵になるというか
不思議な造形美を醸し出します。
松ぼっくり漢字で書くと「松陰嚢」
男の「ふぐり」
形が似ているからでしょうか?
これが松の種ということでしょう。
種として見ても改めて見直すと
不思議なかたちです。
集めながら思うのですが
妙なもので
集めてみると所有欲というか
これは自分のもの、と
こんなものでも欲が出てくる。
「集める」ということも
木に鳥(隹・ふるとり)が
あつまっているという形、
また、仏教でも重要な文字で
お釈迦さまの最初の教え
「四諦八正道」の「四諦」の中の
苦集滅道の
(く・じゅう・めつ・どう)
集諦になります。
「集」というのはただあつめる
というだけでなしに、
集めたものは起るという
集起ということがあります。
「苦」ということも
ただ苦が存在するというのではなく
あつめるということは
苦というものを起してくる
集起してくるということです。
いろんなものを集めるから
苦が起こってくる。
また、因縁集ということもあります
ものは因縁によって起こる
つまり縁起するということです
因縁が和合して起る、
ものはいろいろな因縁の和合によって
起るという意味が縁起ということです
だから、「集」という、あつめる
といういことも
幅広い意味を持った言葉です。
そこらに落ちていた松ぼっくり
集めて形作っていくと所有欲が
でてきて、これは自分のものと
執着が生れ、
やるのやらんの、取られたのと
そこに苦しみも出てきます。
最近この「集」ということが
自分の中ではテーマなのですが
見ているとなかなか
面白い発見もあるものです。