喜多院法興寺

住職のひとりごと

高田松原」の松、京都の大文字で燃やす計画が中止

2011-08-09 05:47:05 | Weblog
8月9日付 編集手帳 読売新聞
 {都々逸にある。〈松という字を分析すれば きみ(公)とぼく(木)との差し向かい〉。人と人とが寄り添う。差し向かいになるはずが、相手からツンとそっぽを向かれた松は気の毒である。
◆大津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った 薪 ( まき ) を「京都五山送り火」(今月16日)で燃やす計画が中止になった。放射能汚染を心配する声に配慮し、大文字保存会(京都市)が判断したという。
◆犠牲者の名前や復興の願いが書き込まれた薪は、鎮魂の祈りとともに京都の夜空を焦がすはずであったが、それも残念ながら 叶 ( かな ) わない。
◆高田松原は原発から遠く離れ、検査でも薪から放射性セシウムは検出されなかった。それなのに、である。この一件は例外的な出来事であって、被災地の人々や産品を科学的根拠もなしに遠ざける心が知らず知らず、日本人の胸に根を張ったのではないと信じたいが、さて、どうか。一人ひとりが胸に手をあててみる機会になるなら、不幸な松たちも幾らかは浮かばれよう。
◆「大」という字を分析すれば、おのれ一人がいるばかり。寄り添う心を持てない世の中はさびしい。}

 東日本大震災で津波になぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪(まき)を、京都の伝統行事「五山送り火」の大文字で燃やす計画が中止になった。放射能汚染を心配する声が京都市などに寄せられたためという。阪神淡路大震災では関東の人は他人事だった様に、関西地区は今回の大震災対し身近に感じていない。ただただ、放射能汚染を恐れるが、被災者に対しては哀悼の気持ちが薄い気がする。
保存会の松原公太郎理事長は、頭を丸めて陸前高田市を訪れ謝った。保存会は、鎮魂と復興への思いを受け継ぐため、薪に書かれた被災者全員のメッセージを護摩木に書き写して、16日に大文字で焚(た)くことにした。陸前高田市にある薪は、保存会の会員らが8日に現地で「迎え火」として燃やすという。