蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

機会をください。@鹿児島(其ノ参)

2011-07-17 22:09:29 | 舞台のこと

 さてと、いよいよ核心に入ってきた、と言うか。

【4本目 ジャッド会】

 福岡の劇団PA!ZOOのようなホームドラマ風味で、
全体を彩る色調は宮崎のこふく劇場の趣。
演じているプレイヤーは四十、五十の手習いに演劇を始めました、
という今までにはなかった流れ。
 そういう人たちだからこそできる「演劇」というものはあるのだな。
ま、なんてことはない世代を超えた夫婦のおはなし。
ありとあらゆる修羅場を乗り越えて穏やかに、
不満も多少はあるけれど、まあぼちぼちやってますわぁ、
これから夫婦という「登山」にでかけます、という三者三様の
「人生物語」が「役の中の人生」と「実際に生きた人生」を
ほどよい感じで混ぜ込んで、不思議に惹きこまれてしまう。

 というわけで物凄く、ムーブマイムが自然、おまけに感情も素直。
「娘の幸せは、わたしの幸せ」と勘違いしがちなところやら、
「子の心、親知らず」とか、若い男女ふたりが共に人生を始めるに
当たってぶつかる「最初の障害」を等身大で表現できている。

 で、複雑がピークになったとき、反対いうてた父が突然倒れて
半年間も入院・リハビリ、リハビリの担当がたまたま娘の恋人だった。
で、お互いがお互いを知って、収まるところに収まって、めでたし、めでたし。

 こういう状況では暗くても見えやすいんで、出はけにも心を行き届かせるところと、
突然倒れるところが、「脳関係」で倒れたのか、「心臓関係」で倒れたのか、
見手にははっきりと分かりにくかったのです。
半年入院・リハビリだったら多分脳関係の疾患と思うのですよ。
・・・それぞれ、倒れ方って違うんじゃないのかな。
あと、娘の恋人役の人がミズノの2万円もする最高級ランニングシューズを
履いていたのは、内緒だ。

【5本目 劇団いぶき】

 南薩、加世田・枕崎方面で34年間、いちから自分の力で演劇してきたカンパニー。
初手から「ものすごい手作りのエンターテイメント」が炸裂してる。
感じとしては長崎の謎のモダン館、そこに福岡の高野ヒロノリという
最近つとにいい味出してる映像作家が作っていくような映像をオープニングに
混ぜ込んで、まずはジーザス・クライスト・スーパースターの始まりのように
三々五々集まって、演劇の準備を始める。

 そこから「糞がしたい」というある意味下品なことを
エンターテイメントに仕立て上げ、それをスイッチにして
毛皮族の江本純子風味の女の人が不思議な世界に半ば強引に持っていく。
あとは「演劇をめぐるもろもろの葛藤」をガチで演劇使って表現しつつ、
南薩にある「釜蓋神社」という縁結びの神様をめぐる「婚活」の話を
隠し味に効かせて、「人は運を運ぶ、方舟だ」という
不思議な悪魔と不思議な天使の「運を廻る冒険」にまで持って行きやがる。

 あと、すごいのは楽器演奏やら合唱やら、ダンスやら、当然演劇も、
板の上にいるひとりひとりがそれぞれ何かしらひとつの「できるもの、できること」を
持っていて、それをそれぞれが持ち寄って「良い響き」というやつを作っている。
・・・「未定」なんて勿体無いよ、ちゃんとした形でぜひ見たい。

 この二つを見て、「自分を拓くために演劇をする」というのは有りなんだよな。
けれど、「自分を閉じるために演劇をする」こともこれまた有りなんだよな。
でもなぁ、「自分を閉じるために演劇をする」人たちは知らない間に
その回りを窮屈にさせている、というか窮屈にさせていることを楽しんでいる。
だったら、「自分を拓くために演劇をする」ほうがこうやって知らない人たちを
楽しく、朗らかにしているじゃねーか。
だったら自分は「自分を拓くために演劇をする」、ただそれだけ。



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