Jリーグ観戦者、40代以上が4割に=観戦者調査で判明(時事通信) - goo ニュース
このニュースを聞いて、こないだ、週初めの挨拶回りでこんな話をしたことを
つらつらと思い出した。
「今の30代、40代までにはそれぞれの場所で文化の共通言語があったということ」
テレビの時間帯にしたってそう、自分の子供のとき、大阪の土曜日、
昼にMBSの「もーれつ!しごき教室」からサンテレビの土曜競馬中継、
競馬よりも「キャバレーサン」とか「グランシャトー」のコマーシャルが好きで、
夕方になると「料理天国」、終わり際に関テレにチャンネルを変えると、
阪急百貨店提供の宝塚歌劇団舞台中継の終わりごろ、阪急グループの
PRフィルムを見て(ファミリーランドの行事紹介とか、新阪急のオリンピア)
「たのしいおっかいものっしませんかっ、とぉってもたのしいはぁんきゅっ」の
メロディを聞いて、何本かコマーシャルをはさんでタイムボカンシリーズ。
これが10年くらいずっと続いていたらいろいろな興味が自然と体に染み付いてくる。
その流れで大きくなるにしたがって、自然といろいろな文化に触れるきっかけを
いろいろな刺激を通してもらっていたような気がする。
こんな話をしたらお姉さん、おもしろいたとえ話をしてきたよ。
「最近の若い子、共通のものを何一つ持ってないよ、子守唄も、童謡も、昔話も」
「みんなばらばらの歌を歌い、みんなばらばらの話をしている」
・・・驚いた。
今の20台から下、というのは「共通の文化」がない、とは言いすぎだけど、
「文化」の個別化、が酷くなっている、という認識を強くした。
そりゃそうだ、この国の文化がぶっ壊れたのがちょうどそのときからだよ。
特にテレビ、長い間時間をかけて研究され尽くした結果、
生まれた「曜日、時間」の「フォーマット」が少しずつ壊れ、短いサイクルで
「フォーマット」をころころ変えて、固定客がつかないから変えての繰り返し。
気がつけば「文化」を伝える手段が「商品を売る」道具に変わっていた。
あと「人としての生き方」が若いのはまったく違う。
よく言えば「ベストのルートを最短距離で無駄を省いた生き方」、
悪く言えば「なんか生き急いでいる」ようにしか見えない。
「最短距離で無駄を省けるように」学校を選び、そこにたどり着くまでに
毎日、学校と塾や習い事と家の往復、これが高校まで、
大学に行くと、それに「バイト」という名の小金稼ぎ、が加わって、
いろいろな興味を知らないまま社会に出ちゃった。
社会に出ても7時から11時のいわゆる「セブン・イレブン」で集団に拘束されて、
「上」から「与えられた」課題をただひたすら流れ作業でこなして、
流れ作業で三食食事して、流れ作業でトイレ行って、風呂行って休息。
・・・お金とキャリアは蓄積するけれど、「わたし」はそこにはいない。
正直、危ないと思う。
「感性、感覚の蓄え」が少ないまま、人生をたたかおうとすることに。
そこを補うためにサッカーや野球のスポーツがあり、舞台芸術があり、
本があり、絵画があり、音楽がある。
なのに世の中の偉い人はそこから若者を遠ざけようとしている。
というか「わたし」がそこにはいない、どこか板一枚隔てた世界の人が
何かやってる、という感覚しか与えてくれない。
いろいろ言っているけれど、そこから始まらないと何も始まらない。