蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

「お茶の間」へようこそ。

2011-10-22 22:50:16 | 舞台のこと

 柿喰う客を追いかける前に、まずは枝光。
まあ、いろいろなことがあって、携帯電話が電池切れで
博多駅のマクドナルドでお茶しながらある程度充電して
これ以上充電に時間をかけると間に合わない、という
タイミングまで粘って、特急に乗る、黒崎で乗り換えて
スペースワールドの駅、そこから
どしゃどしゃの雨の中を
ずぶ濡れになって
たどり着いたおかげで、
お茶やお菓子が
とてもありがたい。

 そうしているとひょっこり演者登場。
お客さんとコミュニケーションとりつつ、
ものすごく綺麗で、ものすごく個性的で、
ものすごくおしゃれな空気を辺りに振りまいている。

 と、突然、おしゃれな空気を振り切るように客席の段組にあった
お茶やお菓子をいつの間にか表演部のど真ん中に
置き直して、のんびりしている、と言うか、
やりたい放題、と言うか、なんとも言えない状況で
菓子を食って、お茶を飲んでじわじわと世界に入っていく。


 
 いつの間にか、私達の日常から自然な感じで
物語の日常へとストレスなく入っている。

 
 ここで繰り広げられる日常は「表現者」という
普通の人と同じようで、少し違う人種の日常。
一番上と末っ子が女の子で、身体言語を使って
表現をする仕事をしている。
真ん中が男の子で髪の毛をいじる仕事を通して
自分を表現している、というおおまかな紹介が入る。

 その三人が台風の日、電車が止まって
どうのこうのということから始まって、
なか卯のカツ丼がどうのこうの、とかモスバーガーが
どうのこうのだとかという食べ物の話に飛んで、
気がつくと一番上の子が
一番下の子と同居するようになって
外国での仕事が出来るようになった、という喜びと
苦労をいつの間にか体じゅうから話している。

 
 表現する仕事、というのは、行って、宿に入って、
自分の口にあうご飯を探して、自分にあった
トレーニングをして、ハコに入って、カンパニーで合わせて、
本番をして、ご飯を食べて、お風呂に入って、親兄弟に
メールなり絵葉書を書いて、寝る、その繰り返し。
その中で見つけた小さな発見や大きな違いを
ここまで率直に表現できている。

 こういう仕事をすればするほどいろんな発見をして、
その発見を体に落としこみ、また新しい表現を作って
この表現をお客様に見せて、お金をもらう。
自分はその発見から生まれた表現を見て、
自分の歴史と生活から生まれた表現と照らし合わせ、
また、別の発見をし、それを言葉にして不特定多数の
人間に見せて、何かをもらう。

 その作業をするために表現者と同じくらいの
トレーニングをして、体と心を作り、自分のスタイルで
勉強をし、自分が表現することで得ることができた仕事で
お金を稼ぎ、そのお金でたくさんの表現を見る。
これが私の新しい人生。


 そのひとつひとつの経験が心の布地に「ドット柄」となり、
そうしてできた心の布地で服をこさえて、まとうことで
いろいろな場所で戦っていくことができるのだ、
てかできるようになったのだ。
・・・だから「ドット柄の服は(最初から)持ってない
   (だから作るものだ)」という題なのかもしれない。

可愛いなりして刺激的なことをいうぜ、この姉妹は。

 この演目、「演劇」というにはフリーダム過ぎる。
けれども、このフリーダムでしか表現できないものも確かに存在するのだ。
 妹のほうがこふくのかみもとちはるさんに感じがよく似ているという発見も。


 
ものすごく居心地のよいところで「新しい演劇」を
楽しんで、そして終演後、
なんともいえない空気の余韻を
もっと楽しみたかった、けれど次なる用事で名古屋行きの
夜行バスに乗らねば、その前に汗を出して、
その汗を風呂で流さないといけない。
名残惜しいが時間が、これが去りがたし、という
心情なのかという見後感。


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