蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

すべては繋がっている、さらに。

2011-12-13 22:01:03 | 舞台のこと
 うーん、スカウティングレポートにハンセン病を書き抜かした、不覚。
「四畳半の羽音」、鹿児島の座組でのリーディング公演に行ってきた。
まどかぴあでは高低がきちんとついていたのに対し、
鹿児島では純粋なリーディング公演、という作り。

 非常口としまださんの持ち味は、「生きていく」という感覚を
じっくり、ゆっくりと身体が丁寧に動いていくときに鳴る音が
ムーヴ・マイム、そして物語から聞こえてくる、みしみしと。
これらそれぞれが響きあってなんともいえない空間ができていた。

  さとねーさんはこの矯めている音が鳴っている代わりに、
「都市生活」の軽やかなスピード感覚が全編に流れていて、
「正統派博多演劇」を「現代口語」で演るという持ち味で
「閉塞感」の物語として恐ろしい何かが迫ってくるような感じがした。

 しまださんの持ち味のみしみし感をさとねーさんが取り入れた結果が
ゲハハだったのか、そこであまりにも粘っこく、あまりにも得体のしれない
「不条理感」として自身の「引き出し」の中に入れ込んだか、
おまけに「不運の受け入れ方」というところまできちんと工夫できていた。

 根底にある、全てはなるようにしかならない。
だからこそ、過度な危機感は持つべきではない。
けれど、人間というのは危機感を持てば持つほど臆病になる。
この過度な危機感による臆病からくる「生きていかなくてはいけない」と
すべてはなるようにしかならないとある種の覚悟を決めて、
腹を括った「生きていかなくては!」の
言葉の強さ、感覚の違いはどちらともきちんと見えている。

 この言葉の強さと感覚がまどかぴあのリーディング公演では
那珂川を挟んで昔色町だった春吉ら近辺の雰囲気を感じさせる
「艶」というものがくっついてくる。
反対に鹿児島リーディングでは先週見てきた大口の文化会館近辺の
川向の雰囲気や、文化会館隣の体育施設の集合体の持つ空気感がそのまま。

 物語の土台は去年の口蹄疫にまつわる諸々なのだが、
それからあとに起こった東北大震災、福島の原子力発電所爆発、
さらには広島、長崎の原子力爆弾、満州・朝鮮・中南米移民、白虎隊、
そしてハンセン病と、さらにはえたとの物語が
すべてひとつの線に繋がっている。
 これらの底に流れている暗黒のえげつなさをそれとなく見せる恐ろしさ、
そして、社会の繁栄のために、たくさんのものやひとが「隔離」という
犠牲になっているという現実。

 この犠牲に知らぬ存ぜぬを決め込んでいた方が、
またはその犠牲を積極的にでも、嫌々でも引き受けた方が幸せなのか、
どうなのか、自分は正直わからない。

 けれども、今、現実に起こっている出来事は
すべてある一直線上で繋がっていて、そうなるようにしかならない。
というか、なりようがないということもまた事実。
ならば、現実にどう向き合う、ということを強く問われている。

 このことを前提にすれば、「私たちは特別な存在である」という
「驕り」が事態をよりいっそう悪化させている。
という答えが出てしまう。
さらにはひとは生きていれば何かしら波風が立つ、
それをどう引き受けて生きているか、
そこに人間の真価があるのではないだろうか?

この現実を知らずに正しさを押し付けられても誰が聞くか、
反論するのもアホらしいので、黙るしかないんだよな。

そして、自分に与えられたつとめを黙々と果たすのみ。

果たせば果たすほど、世の中の歪みが見えて、壊れていく様子が見えてくる、
まるで蝶々がどこかに飛び去るように。
それは見るひとによっては美しいが、ものすごく切ない。


根岸響子・・・・・田中ロイジ(劇団XERO)・ ヒガシユキコ
 このおはなしを動かしていく存在。
両方とも、演者自身の持ち味をきちんと出している。
まどかぴあのほうは艶がある分、あっさり味が生きていたし、
鹿児島の方は「真実が知りたい」と「真実を隠している」という
相反する感情が台本を持つ手からも感じられた。
その感情をうまく読み取ってこの相反する感情を
コントロールできればロイジさんは演者としてもっと良くなる。

長瀬日菜子・・・・・春田久子(演劇集団非常口)・ 宗真樹子(劇団きらら)
 このおはなしの肝となる存在。
きららのまきこさん、演者としての「地」が見えた、という感じ。
いや、まあ、熊本で仕事をしているとき、折に触れてまきこさんが
きららに来る前、何をしていたのか、という話をよく聞いていて
その感覚がビビッドに役に入り込んでいて、妙にエロかった。
鹿児島の方はそのエロさが消えていて、なんていうのかな、
なんか複雑な家庭環境で親元を若いうちに離れて
伊佐のどこにでもある畜産工場に住み込みで働いていた、という
純朴な感じが出ていて、土のついた切なさがなんとも言えない。

水原志津恵・・・・・上田美和(高校演劇連盟)・ 中村とし子(九州小劇場)
 「ザ・体制側」というポジション。
まどかぴあの方は「閉塞感」というものを「おせっかい」という形でくるんで
突然牙を見せる、という感じで見せていた。
鹿児島の方は「閉塞感」をひたひた、じわりじわりと出して行って、
気がつけば「閉塞感」という罠の中に追い込まれてしまったという感じ。

矢野俊司・・・・・西山和仁(劇団いぶき)・ 村上差斗志(14+)
 「本音と建前」という「甘い善意」にくるまれた「悪意」を見せる
「狂言回し」のポジション。
まどかぴあの方は「これ以上やると本気でヤバイ」という
セクハラ境界線ぎりぎりの所まで「善意の甘衣をまとった悪意」を
変態的に表現できていた。
鹿児島の方は「慇懃無礼」とはこういうことだ、という感じでストレートに
というか甘さ控えめでじわじわと「悪意」を表現している。

根岸純平・・・・・前田茂喜(劇団LOKE)・ 前田直紀(劇団ひまわり)
向井瑞穂・・・・・馬場千里(アクターズファクトリー鹿児島)・ 成清暁子
 このおはなしのシンボル。
まどかぴあの方は都会的なキラキラとした空気が出ていて、
鹿児島の方は土の匂いのする純朴さという空気だった。

 トレーニング期間がまどかぴあのほうは全体の合わせが一週間と
結構な時間を持てていたのに対し、鹿児島の方は全体の合わせが
公演当日の朝から開演ギリギリまで、と時間がなく、
それぞれのプレイヤーがホンをひと通り読んで、自分なりに考えた
「役のすべて」を持ち寄って、いちど読んで、その結果と演出のダメだしを
元にして「一度役を壊す・組立て直す・微調整」の作業の精度と密度が
うまくできていなかったところが多々あった。
この作業の制度と密度をきちんとできたら、すごいのができそうだ。


 元カンパニーの非常口がこのホンを福岡演劇フェスでなるべく早く、
本当は来年のフェスに間に合えばいいのだが。
ということをいったが、まどかぴあと鹿児島リーディングがいい刺激になって、
来年一年間演者の布陣と制作の体制を整えて再来年実演に持っていきたい、
という次に繋がる希望ができて、まあなにより。


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