蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

すーぱーはーど。

2011-07-31 22:35:15 | Hiroya's Note

 ・・・いや、日本橋でんでんタウンの最寄り駅、完全に忘れてた。
恵美須町の駅で「降りる」態勢ができてない。
気がつけば、次の動物園前。
御堂筋線?と気がついたときは時、すでに遅し。
ようこそ、西日本一「危険な場所」の入り口へ。

 これが十分に道に迷っていなかったらパニックを起こしてた。
がだ、去年の春、ぎゃ。がin-dependentの1st.で演ったとき、
1stの場所が飲み込めず、同じ場所を3回廻るも、視点が
反対側向いていたからなかなか見つからず、何回も、何回も
動物園前方面にしか出られない。
気がつけば目の前には通天閣。
仕方がないから2ndのところまで戻って、
そこに書いてある番号に電話して、あいうち氏から道を教えてもらい
なんとかごはんを食べる時間を確保できる塩梅で間にあう。

 そこの道の続きを探せば、あとはなんとかなる。
がだ、えげつない、歩行者やらの「切り返し」が福岡よりも鋭く、
大変な目に遭う、頭のネジが数本イカレたおっさんは簡単に騒ぐし、
日本橋でんでんタウンの終点の交差点より天王寺側はまじで怖い。
てか、最近福岡も春吉がえげつなくなってる。
緩んだら、頭のネジが数本イカレた人に因縁付けられる。
トラブルはもうごめんだ。

 というわけで日本橋でんでんタウンに入ると安堵。
それから箱に入って、小さく挨拶、観る態勢にじわじわと入る。

 ・・・反応のスピードがめっちゃ速い。
そして、圧倒的な芸の力。
物語りに引き込まれる、とはこういうことなんだよ。
その後小さく雑談と挨拶をして梅田の宿に戻る。
・・・ケンタッキー食べたかったが、あいにく買えるほどの現金持ってないし、
おサイフケータイが使えない、ついでに堺筋線から谷町線乗り換えのルート、
目的地に着くまで、ずっと地下、その間ケンタッキー見つからず、
阪急百貨店メンズ館近くにケンタッキーはあれど、そこの前の道は
かなり危険がいっぱい。
ほら、福岡の男の人が昔、結婚式の打ち合わせ帰りにたまたまそこを通って、
たまたま頭のネジがいかれた若者に因縁付けられて、
地面にたたきつけられて殺された場所だもん。
それがわかっているからあまり通りたくない。
むしろ梅田は地下街のほうがやや安心。

 新阪急前のアズナスでビールとせんべいとさきいか買って、
宿に戻って風呂に入って、一息ついて、飲んで、まだケンタッキーが
収まらない、というか物足りない、いろいろ食べ物屋を探すが、
ほとんど閉店後、いつものように堂山町のたもんさんとこにいくか。
その途中、完全に男の匂いのする「女装愛好家」ふたりを侍らせた
おっさんをうっかり見てしまう。
で、たもんさんとこでピザとビール。
・・・まともなものをここで食べるのは5年ぶりだぜ。
なんか、身体が納得したのでおとなしく宿に帰って寝る。

 仕事に行く時間帯になると目が覚めて、ぼおっとしつつ
ご飯を食べに行き、あっさりしたものをしっかり食べて、
さあゆっくりかな、と思ったが携帯のメールで新幹線、間に合わないよ。
と連絡が、とっとと方つけて、とっとと大阪駅まで行って、新大阪まで
出て、新大阪から新幹線に間にあう。
車内で、スカウティングレポートを上げるともう博多。

 ぽんプラザホールについて挨拶して、PRONTOでこりっちに
スカウティングレポートを上げる作業をしようとするが、
hotspotの設定、わからない。
腹がたったのでぽんプラザホールに戻り、下鴨車窓の「人魚」を見学。
「その世界」を知っているひとにとっては「こういう解釈」もアリなんだ。
という衝撃、そして美しい。
天神のコナスポに出向こうか、と思ったがからだは帰りたい、と。
まっすぐ家に帰って、やれやれ。


恐ろしく、ハード。

2011-07-30 23:55:04 | Hiroya's Note

 それを支えるにはフィジカルトレーニングだな。
いや、まあ、ブロックを見学したあと、ミキティと雑談して、
なんだかんだして、迷いつつ、戸畑まで電車で出てコナスポで
ローラー踏んで、ステアマスターやったら気持よく眠れた。
起きて、梅田についてオリンピアでご飯食べて、
茶屋町のコナスポでプールリカバーとローラー踏んで、ステアマスター。
それから下の新阪急ホテルアネックスでなんだかんだしていたら
部屋にうまく入れて、部屋を作って、それからインディペンデント。

 地下鉄、降りる駅を間違えて、難儀したけれど、
ぎゃで散々迷った経験が生きた格好。
流れる感じで見て、話して、見て話す。
・・・なんか不思議なポジションだ。


あらためて。

2011-07-27 21:18:42 | Hiroya's Note

 「観る」事と「書く」ことはそれぞれセットになっていて、
そこにまつわるもろもろの準備、身体作ったり、
本読んだり、お話ししたり、ということがくっついて、
ひとつの生活になっていたのだ。

 そこのところが、書く作業をお休みしていると
崩れていて、体も、心も、お金もおかしくなってた。

 そういう事がわかった。


いったい

2011-07-26 21:34:36 | Hiroya's Note

 なんなんだろうなぁ。
リストに「つきまとっていた」嫌味なアーティスト崩れが
謹慎期間中、消えていた。
けれど、口汚く罵っているのは残っているようだ。

 この人たち、一体何がしたかったのだろう?

 正直、訳が分かんね。


休暇は、終わり。

2011-07-26 01:08:48 | Hiroya's Note

 7月のミーティングをもって、自主的謹慎、という長めの休みは終わった。
ミーティングで見えた、「九州」は東京を飛び越えて、というか
あくまでも「九州から見て、東京はアジアのいち都市だ、上下関係は、無い」という
ひとつの流れをどうつくっていくか、それを考えに入れて動かにゃ。

 交歓会、ある意味、重くのしかかった「重石」を飲みながら外す格好。
ワサワサと営業のし過ぎ、というか、シラフのときは強く聴きすぎる
きらいがあって、落し込みが深いので、その反動で酒飲むと人格が、という
新しい発見。

 さる女の子に良く似た女の子から思わぬ求婚を受けた。
という話をうっかりしたことで、交歓会上がりのち、南福岡まで
ひとりで電車に乗り、雑餉隈でその女の子と会う。
「マドレーヌ作った」と5個入りの袋をもらい、ボロボロの体で家に帰り着く。

 いつものように便器と友だちになり、うだうだして飯食って、
博多駅、みどりの券売機で行きの新幹線の切符を引換えて
青ざめる。
・・・予定より一時間遅い新幹線だった。
早割だから変更がきかない、出札の人がみどりの窓口と連絡をとって
もろもろをして、また胆を潰しつつ、何とかなって、地下鉄で唐人町。

 甘棠館の入り口でぼおっとしながら考えて、
ショーマンシップのインプロを観る。
これがまあまたすごい。
「身体言語、言葉に翼をさずける」、
「言葉、身体言語に翼をさずける」というものが
こういうモノだったのか、という発見。

 軽く挨拶をして、唐人町を出て地下鉄、博多について
いい時間帯、かつ一便早い新幹線に変更が効いて
気がつけば鹿児島中央、タクシーを使わず路面電車で
高見馬場、お祭りで天文館は入れない。
でも、中央公民館すぐの道まで難なく歩けた。
着いて、コーラを久しぶりに買って、飲みながら歩くと夕立が。
雨の粒が福岡よりも太い夕立が。

 で、ノヴァの刺身を観る。
始めて長めのお話を見るが、見立て通り、
感じはノコリジルモのような良く考えられた空間。
けれど、「かわいい」や「ふんわりとした甘さ」を
これでもか、と削りとり、詩歌的、絵画的にまとめた。
その中で哲学的な生と死の深淵を見た、そういう見後感。

 終わって、いいあんばいで路面電車に乗り、
ビールではなく、おにぎりとお茶を買い、さつまあげセットを買い、
新幹線に乗る、気がつけば博多。


機会をください。@鹿児島(其の了)

2011-07-19 23:01:51 | 舞台のこと

 どうも、「なでしこのうた」を地で行くような快進撃だった。
・・・てか、あの歌詞のとおりだからこそ、世界「から」手を差し伸べた、というか。
これから、恐ろしく厄介で、面倒なものがつきまとうだろうけれど、
「志」というやつをそういう状況でも無くさないような姿勢、態度が表現できれば。

 さて、寄り道はここまでにして本題入るか。

【6本目 劇団コスモス】

 なんか、すげぇよ。
一青窈の「もらい泣き」から「ハナミズキ」までの世界観を
ああいう形で表現できるなんて。
そこにスズメが殺されたり、なんだかんだと血なまぐさいダークな
鬼束ちひろの世界観、という隠し味が効いている。
物語の手触りは毒々しささえ感じるナチュラルではない感じ。
そういうのを表情豊かに演るものだからゾクゾクするような怖さが迫ってくる。

 ダメ男とダメ女がDVの関係で、別れたいけれど、別れられない、
お互いがお互いに依存していて、わたしが殺されるか、あなたが殺されるか、
どちらかを選択しないと救われない、それくらい狂気が充満していて、
不感症という「心の病」を受けた人の苦しみ、哀しみ、が狂気を倍増させている。
愚かさや、汚さ、という水を凍らせて、みぞれを作り、そのみぞれをうっかり食べた。
そういう見後感。

 「遊びなし」でダークな世界を「一人芝居」でここまでやれるとは、すごいもんだ。
・・・もし、5月のINDEPENDENT九州トライアルにこの演目がエントリーしていたら
いったい、どうなっていたのだろう?
もう少し「狂気」をぎりぎりのところまで「研いで」いないところから来る
若干の甘さがあったのと、ざわ感や足音を生かした「仕掛け」の処理を
INDEPENDENT向けに調整する、という作業は必要だが、出たらいい勝負。 

【7本目 Alm Dawn】

 初手から掴まれた。
マイケルジャクソンの"BLACK or WHITE"で朝起きてから着替えるまでの
ムーブマイムをひと通り作れるなんて、こういう使い方もありなんだ。
あとはある男の人の日常をマイケルジャクソンの音に乗せて
軽やかにやってのけた。
・・・このパターン、東京のピィキィ*パァクウというカンパニーが
シルク・ドゥ・ソレイユ、というものを使っておんなじように表現しているのを
去年、島根県松江の山の中で見たのです。

 その文脈からしたらフィジカルが若干甘いところがあるし、
もう少しマイケルジャクソンの「音」が身体の中から「鳴って」いたら
もっと、もっと楽しかった。
あと、全体的に身体を作っていったら更に良くなる。
「純粋」にからだで「しゃべれている」からなおさら。

 マイケルジャクソンは「魅せて好、聞かせて好」というのが胆で、
その肝もちゃんと出せていた、その隙間すきまを埋めていく
「ヘタウマ」風味のコーディネーションの曲がつい最近までは
Perfumeの「チョコレイト・ディスコ」やら「マカロニ」を使っていただろうに、
いつの間にやら少女時代やらKaraになっていた、時代の流れは激しいよのぉ。

 あと、福園さんのOL服、よく似あってますわ。

 今年は去年よりも色とりどりで、外国の方も出ていたりで
多様性、というやつがよく出ていた。
 
 多様性が出ている、ということはそれぞれのスタイルを
「許している」空気感がそこにはあって、自分はそこに安堵する。

 観ることで、観られることで初めて「鍛えられる」のだ。
「鍛えられる」からそれぞれの「化学変化」がきちんと出来ている。
こういった「野試合」はどんどんやってくれ。


機会をください。@鹿児島(其ノ参)

2011-07-17 22:09:29 | 舞台のこと

 さてと、いよいよ核心に入ってきた、と言うか。

【4本目 ジャッド会】

 福岡の劇団PA!ZOOのようなホームドラマ風味で、
全体を彩る色調は宮崎のこふく劇場の趣。
演じているプレイヤーは四十、五十の手習いに演劇を始めました、
という今までにはなかった流れ。
 そういう人たちだからこそできる「演劇」というものはあるのだな。
ま、なんてことはない世代を超えた夫婦のおはなし。
ありとあらゆる修羅場を乗り越えて穏やかに、
不満も多少はあるけれど、まあぼちぼちやってますわぁ、
これから夫婦という「登山」にでかけます、という三者三様の
「人生物語」が「役の中の人生」と「実際に生きた人生」を
ほどよい感じで混ぜ込んで、不思議に惹きこまれてしまう。

 というわけで物凄く、ムーブマイムが自然、おまけに感情も素直。
「娘の幸せは、わたしの幸せ」と勘違いしがちなところやら、
「子の心、親知らず」とか、若い男女ふたりが共に人生を始めるに
当たってぶつかる「最初の障害」を等身大で表現できている。

 で、複雑がピークになったとき、反対いうてた父が突然倒れて
半年間も入院・リハビリ、リハビリの担当がたまたま娘の恋人だった。
で、お互いがお互いを知って、収まるところに収まって、めでたし、めでたし。

 こういう状況では暗くても見えやすいんで、出はけにも心を行き届かせるところと、
突然倒れるところが、「脳関係」で倒れたのか、「心臓関係」で倒れたのか、
見手にははっきりと分かりにくかったのです。
半年入院・リハビリだったら多分脳関係の疾患と思うのですよ。
・・・それぞれ、倒れ方って違うんじゃないのかな。
あと、娘の恋人役の人がミズノの2万円もする最高級ランニングシューズを
履いていたのは、内緒だ。

【5本目 劇団いぶき】

 南薩、加世田・枕崎方面で34年間、いちから自分の力で演劇してきたカンパニー。
初手から「ものすごい手作りのエンターテイメント」が炸裂してる。
感じとしては長崎の謎のモダン館、そこに福岡の高野ヒロノリという
最近つとにいい味出してる映像作家が作っていくような映像をオープニングに
混ぜ込んで、まずはジーザス・クライスト・スーパースターの始まりのように
三々五々集まって、演劇の準備を始める。

 そこから「糞がしたい」というある意味下品なことを
エンターテイメントに仕立て上げ、それをスイッチにして
毛皮族の江本純子風味の女の人が不思議な世界に半ば強引に持っていく。
あとは「演劇をめぐるもろもろの葛藤」をガチで演劇使って表現しつつ、
南薩にある「釜蓋神社」という縁結びの神様をめぐる「婚活」の話を
隠し味に効かせて、「人は運を運ぶ、方舟だ」という
不思議な悪魔と不思議な天使の「運を廻る冒険」にまで持って行きやがる。

 あと、すごいのは楽器演奏やら合唱やら、ダンスやら、当然演劇も、
板の上にいるひとりひとりがそれぞれ何かしらひとつの「できるもの、できること」を
持っていて、それをそれぞれが持ち寄って「良い響き」というやつを作っている。
・・・「未定」なんて勿体無いよ、ちゃんとした形でぜひ見たい。

 この二つを見て、「自分を拓くために演劇をする」というのは有りなんだよな。
けれど、「自分を閉じるために演劇をする」こともこれまた有りなんだよな。
でもなぁ、「自分を閉じるために演劇をする」人たちは知らない間に
その回りを窮屈にさせている、というか窮屈にさせていることを楽しんでいる。
だったら、「自分を拓くために演劇をする」ほうがこうやって知らない人たちを
楽しく、朗らかにしているじゃねーか。
だったら自分は「自分を拓くために演劇をする」、ただそれだけ。


機会をください。@鹿児島(其ノ弐)

2011-07-16 23:14:53 | 舞台のこと

 さて、さくさくいくよ。

【2本目 アクターズファクトリー鹿児島】
 前回は福岡の「劇団カミシモ(現劇玩カミシモ)」テイストの
不思議な世界をいくつか「小品」として見せて、つなぎ合わせる形だったけれど、
今回は「謎の殺し屋集団」をめぐるサスペンス・コメディで最初から最後まで
物語を統一する格好。
 
 見せる技量も「劇団ショーマンシップ」が時折見せてくれる、
「高い技量でシュールかつ、お馬鹿な世界を見せていく」テイストで
暗殺者から町内会、それからまた暗殺者、と言いまつがいやら
ブラックなギャグをかませつつ、「赦すって何よ・生きるって何よ」と
「家族って、何よ」、「殺しはしないが、助けない」という真面目な肝も伝わって、
最後、なんとはなしに「新しい家族」を作って、それゆけワンダー3。
・・・あの展開でTM Networkを使うなんて、正直反則だ。

 

【3本目 演劇ユニット火曜市】
 こらまた、どこぞのスーパーマーケットのような名前だな、と
観てみたら、何だコリャ、福岡で酒瀬川真世やら古賀今日子がやりそうな
オシャレなカフェでの演劇、俗にいう「テアトル・ソネス」風味の演劇が
鹿児島でもできるなんて。

 父親がある日、突然失踪してそれからずっとひとりで生きてきた女の子。
なんか、「自責の念」を抱えてずっと生きてきた。
そんな時、突然「孤独死の後始末専門のNPO」の人がやってきて、
手紙と、父の形見のオウムを持ってきた。
女の子は、最初「知らない」という、当たり前だ。
今まで嫌な記憶を何処かにほったらかしにしてきたのだから。
そこから始まるオウムとわたしの奇妙な生活。

 奇妙だけれど、その中でいろんな記憶が引っ張り出されて、
「父は娘を見捨てて行ったわけでもなく、たった一度娘に自分の感情で
 手を上げてしまった、そのことが情けなくて、許せなくて」ということが
じわりじわりと湧いてきて、不思議な感情が起こりながらも、
最後、その貴重なオウムをほしがっている金持ちにうまく売りつけて、
そのお金で父と母のお墓を作って、きちんと供養して新しい人生を始める。
 「動物の個人売買は動物愛護法により禁止されています、真似しないでね」
というオチに「ズバットは大変危険です、よいこのみんなは真似しないでね」という
懐かしさを感じてしまったところに座布団一枚。

 ・・・これぐらいはっちゃけたニュー酒瀬川が見たいのですよ。


機会をください。@鹿児島(其ノ壱)

2011-07-14 23:14:36 | 舞台のこと

 あの一派が醸し出している「変な空気」というものがないのは
ものすごく何よりだ。

 さて、見本市のレギュレーションは去年といっしょ。
仕込みから本番、撤去までを30分以内でやる、ただそれだけ。
去年は6つだったのが、今年はひとつ増えて7つに。
時間表示のスクリーンもなく、あくまでもシンプル。
そんな中、進行のおねえさんがやってきて、一言。
「ツボにハマれば笑ってもいいし、とにかくからだ全体で見てくれ」と、
・・・例の件、知らない間に伝わっていて、ある意味気を使わせてもらってすまない。
がなぁ、今年の進行のおねえさん、某国営放送サッカー中継のアシスタントやってる
「肩岸さん」に感じが似ていて、なんとも言えないやぁと思っているうちに一本目。

【1本目 劇団CLOVER】

 ハコに入って、前の真ん中がもう入っている、なんでだろう、と
思っていたら、そういう「仕掛け」だったのですね。

 何かを待っている女の苛立ち具合から客席からの出し入れを使って、
「現実」と「嘘」の境界線をうまく曖昧にして物語を作ってきやがる。
 「堅物のお兄さんに結婚相手を紹介したい、がだ、やばい事情がある、
 今日だけでいいから適当に男の子見繕って」てな塩梅で知り合いの
劇団に頼んで、派遣してきたのは「ちびまる子ちゃん」に出てくる
永沢君というある意味シニカルさを持ったのがそのままおとなになったよな感じ。

 そういう一筋縄ではいかない男と女のそれぞれの「ストーリー」というか
「人生のゲームプラン」が真っ向からぶつかり合い、
男が「自分とは違う自分を演じているといつの間にやら感情が消えて、
これじゃいかんと、演劇を使って、自分を何とかしたい」という事を話し、
結構収入やらがいいところをうっちゃって自分を取り戻したい、という覚悟、
こういうことを感じる前提としての「本質を見抜く力」が関係を近くして、
女にとうとう、この恋愛は「略奪愛」でした、と本音を吐くまでの関係性が出来てる。
「演劇を真剣にやるといつの間にか裸の自分をさらけ出してしまう」というか。

 そこに10月公演で演る「表へ出ろぃっ」で使うムーブマイムや
場面をそれとなぁく混ぜ込んで、「次回予告」という形にもまとめて
「なんか観てみたいよなぁ」と興味をそそられる作りにまとめた。
にしてもだ、この演目、去年野田秀樹と中村勘三郎で演ったときの
上演時間は80分、19時に始まって、終わったのが20時20分。
で、ここのチラシを見ると上演時間は60分。
稀代の名優ふたりと若手女優で80分、それも密度の濃いやつだったのを
どういう「魔法」を使って20分の尺を「埋めて」いくのか、すごく楽しみだ。