博多の森のバックスタンドを見ながら考えた。
2002年シーズンはバックスタンドすら入りが悪かったんだよな。
てゆーか、福岡蜂の12年は「新しい福岡の演劇の12年」とも読み替えられるんだよ。
12年前、というのはちょうどユニバーシアード、というものがあって、
少しづつ、少しづつ福岡が「脱皮」し始めた始まりの年なんだよね。
街の形も、文化も。
まだ今の西鉄福岡駅は半分しか出来てなくて、中洲には玉屋デパート、
呉服町には壽屋が、キャナルプラザは出来て間もないころだったかな。
向かいの渕上も何とか健在で、ぽんプラザは工事中か?
当然博多座、アジア美術館のあるところはやっと立ち退きが終わって
更地の作業をはじめたばかりかな?
ホークスは今の強豪になるための「一時後退」を始めたばかりで、
ドームの外野にあるスポーツバーは試合のないときでもあいていて、
自分は暇があるとそこで飲んだくれていた。
演劇面では「イムズ芝居」という動きがあって、熊本の「きらら」、
大分の「吉祥じゅんと女騎士団(わるきゅーれ)」、佐賀の「怒幻栖鳥(どげんすっと)」
北九州の「飛ぶ劇場」というカンパニーがなんかなしやってて、
ギンギラ太陽’sは大将をスター高橋から大塚さんに変えてさあ、
本格的にたたかっていくぞ、という体制を作り、テアトルハカタから離脱者が
続々出始めて、一人は劇団四季に活躍の場を求め、一人は唐人町に
自分の城とカンパニーを作った。
玲子さんは舞台をスパッとあきらめ、主婦業の傍ら、KBC所属タレントとして
テレビとラジオで芸達者振りを存分に出している。
(その前にTNCの朝ワイドに出ていたのは黒歴史なんだよな)
福岡蜂は「東京のコピー」をやってしまったが故に成長が遅れた事実がある。
最初のJ2堕ちで少し目が覚めて、「福岡という街に沿ったチーム造り」を
どうするか、という模索を始めた。
演劇面でもそれに歩調をあわせるようにパピオビールームのほか
ぽんプラザが出来、それに併せてk2t3や風三等星、クロサイの前身といった
新しい流れが生まれ、ぎゃとかがらぱ、非売れという流れが続き、
FPAPがカンパニーの取りまとめを始め、北芸ができ、西鉄ホールができて
ゆめアールの完成をもって福岡独自の「演劇インフラ」が整備された。
それに歩調をあわせるかのように博多の森の観客数も少しずつ増え始め、
今では水曜ナイター込みだとコンスタントに5000、土曜日曜だと7000は
入るようになった。
松山、愛媛にはまだこういった「文化的インフラ」が整備されていない。
というか12年前の福岡とおんなじ状況、それよりもひどいかもしれない。
これで愛媛FCの集客が云々言われてもかなりしんどいなぁ、と思います。
まずは、目標を土日コンスタントに3500人、水曜ナイター込みで2500人と
いうふうに設定して、その規模に合った「文化的インフラ」作りを
みんなが率先してやらないと、しかも今すぐに。
まずはそれぞれの「得意技」を知ること、それをどうやって伸ばしていくか、
あと愛媛だけでは拡がりが弱いので、香川の半分と高知をどう巻き込んでいくか、
いろいろやらなくちゃいけないことは多い。
自分も自分でそういったことをやらなくちゃいけないわけで、
一緒に大きくなれたらいいな、そのための努力は惜しまないからね。
がんがんいくよ、がんがん。
まずはホームの試合を見に来て下さい。
来月は平日開催なのでちょうどよいかと。