蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

少し、落ち着いた。

2008-10-31 20:34:45 | Hiroya's Note

・・・不本意な形ながら最近苦しんでいたお金のことを解決できた。

きちんと段取りして解決したかったのに、心が苦しい。

まあ、軽くなったんでよかったのはよかった。

さて、辛抱のしどころがやっと見えてきた。


ん、まぁなぁ。

2008-10-30 21:44:45 | Hiroya's Note

・・・定期便、月末だからまだ来ない。

あと、「秋春問題」、どう考えても、「地球温暖化問題」に逆行している。

気候帯が日本と北欧はほとんどおんなじで、ヨーロッパと「雨の降る傾向」は
まるっきり逆なのだからシーズンが逆いくのは致し方ないこと。
そこを解消するためにエネルギーを使うのはなんだかな、と。

まず、「ベストメンバー規制」を取っ払って、ヤマナビ杯を
「春のJ1(J2)チャレンジ戦」という位置づけにして、リーグ戦と同時進行、
ある程度の進行までサテライトリーグはやらない方向で(ヤマナビがその代替)、
ヤマナビが佳境に差し掛かるときに天皇杯が始まるし、ACLもいい塩梅、
そのころにはリーグ戦も銀皿争いと上がり、落ちの勝負どころが始まってくる。
そこまでにある程度の戦力の見極めができているからおんなじ時期に始まる
Jユースカップとサテライトリーグをおんなじ場所で第一試合をユース戦、
第二試合をサテライト戦、という按配に集中開催できたら面白いのですが。
代表月間ではヤマナビをメインに若手中心の8人制大会という感じで。
・・・とにかく、日程で工夫して、きつかったらリーグのフォーマットを工夫して、
  それでもきつかったら始めて秋春のことを考えればいいことで。

なんかさぁ、どこもかしこも「有効利用」というものができていないよなぁ。
こういうことが続くのならば、極端に走りたくなるのです。


肉体の「言語化」。

2008-10-29 23:48:48 | 舞台のこと

「元気か、面出せ」と手紙出されたら行くしかないのです。
おまけに、最近よく通る場所に箱があるものだから驚いた。

というわけで、今日は自分の体捌きのお師匠さんが
月いち演ってる「肉体の劇場」という舞踏公演に出向いてきた。
・・・いろいろな意味で会うの2年ぶりなのですよ。
おととしの年賀状がお師匠さんの演ってる写真じゃなく、
干支の漢字を書いたもので「活躍を祈念します」と書かれたら
「ああ、当分違う道を歩くのかなぁ」と感じてしまったのです。
で、久しぶりにあって、挨拶して、近況を報告する。
余計なことまで話さなくていい、ということがうれしくて。

内容は二本立て。
最初の作品は「母性」というものを随所に見せ付けられた出来。
「女は強し、されど母はもっと強し」を上手に表現できていた。
子供生んで、育児して、その経験が体を通してうまく「言語化」
できていたから、なんだかうれしくてうれしくて。

次はお師匠さんの作品。
お師匠さんの持つ独特の世界観はそのままに、
そこから一歩踏み込んだ「老い」と「死」、さらにはその先にある
「現世でいろいろ受け取ったもの」をすべて剥ぎ取って、
もともと存在していた「たましい」に返るところまできっちりと
表現できていた。

やっぱり、お師匠さんとそのまわりに会うとすごくほっとするな。
また少しだけ同じ道を歩いているようで。

毎月、29日(「にく」の日)に定期的にあるので、ぜひ。


どうなるのかな。

2008-10-27 21:59:26 | Hiroya's Note

取りやめて、さる所で吐き出したから何とか。

にしても、見学行くはずだった演目がそれぞれのカンパニーが
ある意味「転換点」を迎えて、それがどう変わっていくか、道しるべになる
一作だったのに、自分の「転換点」と重なっていけなかったのが残念。

これから予定がすでに入金しているやつを除いてほぼ変更になるのが
ちょっと心苦しい、というか、すごく悔しい。

いったいどうなるのかなぁ。
もしかしたら、これからある一定時期、舞台のことやゴール裏のことから
本当に「離れる」時がとうとうやってきたのかな。

何とか接点を保ちながらやっていきたいと思うのですが。
まずはよどみをとりに行ってきます。


谷底に「落ちた」のではない、「降りて」いったのだ。

2008-10-24 21:42:13 | Hiroya's Note

とにかく、「次につなげるのだ」と生きて降りていっている、ということ。
足を滑らせなければ必ず間が狭くなっているところがある。
そこを見つけたらまた上を目指して登ればいい。

・・・なんか今年は尾根伝いに歩いていったら大きな断崖絶壁が見えて
  その部分をやり過ごすのにかなりの時間を使ったような感じだ。
  「高い位置で間を渡る」という考えにある時点まで支配されていたようだ。
  橋かけられるほど技量もないくせに。

とにかく立ち止まって死ぬのはいやだから断崖絶壁を一度降りてみる。
そうしていたら下に降りていくにしたがって間がだんだん狭くなってくる。
まあ、そこにたどり着くぎりぎりのところでうまくからだを入れて次につながった。

そういうシーズンだった、自分も、われらが愛媛も。

さて、来年の年間座席券、買えるように、そして新しい生活を何とかできるように
今年の残り時間を使っていかないと。